接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  「和」のもてなしの礎(サービス業手引き書)

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
2017新タイトル

サービス業やおもてなしに関わる方,コミュニケーション,対人関係などの心と技に関連することを載せてます

ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s


当ブログに御訪問戴き、誠に有り難うございます。

書き始めて10年目に入り、人との和,思いやりの投稿を選び心の礎“和”と“思いやり”を開設しました。

≪お知らせ≫

当ブログは,読者の皆さんが記事を見付け易いよう,記事の右にあるカテゴリーに記事を別け整理しました。




」のもてなしの礎-3. 

副題≪心の礎の手引き≫より抜粋  

「和」のもてなし0


「もてなす」ってどんなこと?

「もてなす」の語源は「以て成す」ですが、この「もてなし」に丁寧語のついた
おもてなしの心」を殆どの日本人の持っているのではないか、と思います。
それは、象徴天皇崇拝の心、親切心、礼儀や規律正しさなどに表れています。
この「おもてなしの心」は、茶の湯千利休が世に広めたと言われていますが、
その心は聖徳太子の「を以て貴しとなす」の心である、と私見ながら解します。

言い換えるなら何らかの御縁から見知らぬ人と触れ合う際その相手の人と

 “「」を以て成す”ということではないかと捉えております。

この「もてなし」と「」については詳しくは別途記載しますが、以下概要を記します。
他人をもてなすという時に、リアルな「モノ」例えば会食の場のお料理、観光施設の案内、
地元独自の自然界にお連れする、など様々な場面を想定できます。

一方バーチャルといわれるもてなす側の人の心と言われる「コト」、例えば会話の運び方、
何気ない気遣いや心配り、客人の立場での思考と活動、など様々な心の活動が想定できます。
このようなリアルなモノとバーチャルな心を伝え合うためには、

互いの心の「」とその表現である『会話』(≒言行)、
目に映る映らざる『態度・活動』(=気配り・心配り・思いやり)を以って成し得ます


和のもてなし

例えば、とある官公庁の「おもてなし」の担当責任者の方が
おもてなし」は、
『相手が嬉しく感じ、喜んでくれることである。』と公の場で話されていました。

また、知人は
『美味しい料理で客人を「おもてなし」する、
だから高級和食店に案し、料理を御馳走することだ。』
と「おもてなし」についての質問に答えていました。

この二つの事例に足りないことがありますが、それは何でしょうか

以下は具体性に欠けますが一つの事例です。


〇友達が客をおもてなし (一人を仲間みんながおもてなしの場を設ける)
 知人・友人・大切な人を旬の料理、家庭料理などでもてなす
 リアルなモノや言行orバーチャルな会話や態度でもてなす

〇客人(外人)を家庭でもてなす(この地ならではのおもてなし)
 名物で/名所案内で/自然/史跡(文化遺産)/宴席/有名店を教える・・・などのもてなし

〇旅館やホテルのおもてなし
 立地/施設/料理/部屋の内装/スタッフの応対/お世話・・・などのもてなし
以上の全てに共通するのはリアルな「モノ」とバーチャルな「コト」と「和」であると考えます。

(参考-もてなしの心は?)
◆ もてなしと唯料理だけを御馳走するとは異なる
◆ もてなしと説明だけの案内は異なる
◆ もてなしと施設だけの提供とは異なる
◆ 和のもてなしとした所以(ユエン)
コト=心が伴ってもてなしとなる
モノ=たけでもてなしとは言えない・・・・・など。

もてなしの意義素
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」のもてなしの礎-2. 

副題≪心の礎の手引き≫より抜粋    

お薦め度【★★★★★】全業種、業態用

「和」のもてなし0


心と心を繋ぐ」
」のおもてなし

心と心を繋ぐ「和」のおもてなしL

」のもてなしは、日本人の≪心の礎≫
私たちは日々多くの人々との出会いや触合いの中で生活しています。
そして、人の一生は、人と人との御縁を出会いや触合いによって頂けます。
その御縁は、日本人のみんなが備えている「の心」から始まります。

和もてなす

この心の由来は、聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉、
『和を以て貴しとなす』によると言われています。
この心は、物心ついた子供から社会人まで誰もが備え持っている日本人の心「コト」です。

「あの人に出会いが大きなターニングポイントになって、その後の人生が変わった。」
「あの人のお陰で、考え方、捉え方に大きな変化が生まれた。」
「あの時あの人に会えなかったら・・・・・・・。」


 などと言うことは、皆さんも経験されていると思います。
 そのような人との出会いは「偶然」、「必然」のどちらしょうか?
一生(一所)懸命に努力精進した時、明確なビジョンに向かって努力して来た時は、
後に振り返ってみると、必ず大切な人との出会いがあったように思えます。


一方、感情に走り、自制心を失い、欲望や煩悩に走った時などには、
幸縁や愛縁に出会えず、良い結果を生む人達とは巡り合っていないような気がします。
このような体験からも、人との出会いは「必然」のように思えてなりません。
言い方を変えると自分が作る「己の運命」のように思われます。
僭越ですが日本のこれからの「運命」も今の世代の努力次第で未来も変えられると考えます。
先年来日したムヒカ氏が話されていた「世界に類のない素晴らしい日本の心、
日本人の大切な心を伝承しなくてはいけない時に来ている」との若い人達への講話で伝えていましたが、
今社会で起きている様々な事件や人としてあってはならない様々な事例から、
現代の少子高齢化、格差社会、個人中心で生活する私達日本人の今迄の生き方、考え方、心の持ち方
と向き合うべき大事な【ターニングポイント】になっていると、受けとめられます。

私たち個々の日本人がIT産業の発展により、リアルな「モノ」やパフォーマンスに
関心を向ける傾向がある現況の社会を鑑み、世界中の人々が認め賞賛していながら、
私達が忘れかけ薄れかけている日本の「和の心」を温故知新の心で見つめ直す時ではないでしょうか。

今起きている、人としてあるまじき様々な悲しい事件やイジメ、ハラスメントなどは、
私達日本人は古よりある日本人の心とも言える、他人を思いやる心「和」のもてなしの心」を
どこかに置き忘れた結果、引き起こしてしまったのではないかと思えてなりません。

また一方では、感謝の心の源である「人」の文字の心
(=人に支えられている)を忘れ、個々の生活に重きを置き、
自らの安心安全を中心に考えるようになりつつあると思います。


このような現在の日常生活に於いて、最も大切なことは「和」のもてなしの心の拡散、
即ち『他者を思いやる和の心で人に触合い接すること』であると思われます。

「和」のもてなしに丁寧語を付けたおもてなしは、裏表なしとも言いますが、現在は
もてなしの「コト」言い表せる「裏」の心がおざなりになり、「表裏なし」でなく「表あり」の
パフォーマンス重視の形になってしまい、日本人としての心の在り方=軸、心の豊かさ、
人に対する親切や思いやる心を忘れられがちになりつつあると思わることかあります。

人が人を思いやり、人としての豊かな心を持ち続けることは、
人類社会がどんなに進歩発展しても必要であり大切なことです。
「和」のもてなし、接客、接遇の素晴らしさは、
様々なお客様や相手に触合い接することにより、
人としての心とその体力を成長させる多くの機会を体験出来、
自心の豊かな心の育成チャレンジ出来ることです。

お客様と接客、接遇することや日々触合い出会う相手から、
思いやりの心を身に付けられ時に感動や感激、余韻を味わえ、
また、ある時には忍耐や寛容の心を学び教えられたりして、
人として大切な多くの心の要素(心の知能)を身に付けることが出来ます。

私達はお客様に「和」のもてなしや顧客サービスを心の篭った所作で提供することにより、
お客様から人として身に付けておかなければならない数知れない経験や知識、
人としての大切な心(心の体力・E.Q・ライフスキル)を授かることが出来ます。

また、おもてなし、接客、接遇はお客様や触れ合う相手に
モノコトを以って満足感や幸福感などを提供することにより、
自らが幸せになれる方法でありプロセスとも言えるでしょう。

一期一会無地和紙

同時に、『一期一会』の心である、この出会い触合いはこれで最後になるかもしれない。
この貴重なひと時を大切にし、誠心誠意で、出来る限りの「おもてなし」をすることです。
自らが「和」のもてなしの礎となる「思いやる心」の知識と表現伝達法を確り身に付けておけば、
人との触合いや接客、接遇に適応出来ると共に、豊かで幸せを掴むことが出来ます。
日本人の「心の礎」は、この「和」のもてなしの心が原点であり土台石を意味しているのです




 

「和」のもてなしの礎-1.
 
    副題≪心の礎の手引き≫より抜粋

お薦め度【★★★★★】全業種、業態用

「和」のもてなし0

序 「和」のもてなしの理解と認識

◎「和」のもてなしの理解認識の必要性

現代社会に求められる日本の「和」のもてなしの心
美しいものを「素敵だ、美しい、綺麗だ」と感じ取れるのは人間だけです。
豊かな感性を備え持ち、更にそれを磨いて行くことが出来るのが人間です。

また、同じ人間でも、心が歪み、すさんでいる時は、
心にゆとりが持てず自然界や美術の美しさを感じ取れません。
詰り、精神状態が正常さを失っている時は、人の感性(感受性)も鈍ってしまいます。

現代の日本では、個々人の“感性の危機”
(≒想像・創造力の衰退)とも言われている現況です。
今、日本の社会の中枢となり、担っている人達の中にも、自分自身の安心安全を優先し、
利己的な保身や自利意識が強くなりつつあることは否めないと思われます。

また、現代社会の子供達や若い人達も凶悪犯罪や引きこもり、自殺が低年齢化し、
「子供達や若者の心が壊れ始めた」と警告する学者も増えています。
「ひきこもり」「キレる子供達」「学級崩壊」「イジメの陰湿化」「肉親ヘの傷害」の
問題は益々増加し、全国的に広がっていると受け止めております。

中でも、若者や子供達は感性の要素、「想像力。共感性」に乏しくなりつつあると思います。
人としてあるまじき「凶悪犯罪」 、「陰湿なイジメ」や様々な利己的で保身的な「ハラスメント」
なども、この共感性の欠如に起因していると思われます。

私達は今日まで、
「物質的、経済的な豊かさ」「過ごし易い環境」「便利で快適な生活」
など目先のことばかりを追い求め、何か、人として大切な心や大切ないもの、
日本人の本質(らしさ)を見失いつつあるように思えてなりません。

勿論、社会生活上で物質的にも経済的にも豊かであるに越したことはありませんが、
人間は、それだけで決して満たせない大切な心やものが必ずあると思います。

その大切なものを感じ取る「感性」を育み備えることが必要ではないか、と考えます。
それは、自分と向き合うことから始め「本当の幸せとは何か?」
との答を、感じ取れる個々人の感性だと思われます。


私達の住む日本という国は、戦後、世界一速いスピードで国内の経済を立て直し成長させ、
各家庭の自動車保有台数などの文化レベルでも、世界のトップクラスにのし上がりました。
同時に、自殺や引きこもりなどの心身の障害やうつ病なども凄い勢いで増えました。
しかも今、これからの時代を担う子供達にも増えつつあります。

私達は、「経済的に豊かになれば幸せになれる」と信じ、頑張ってきて、
実際に経済的には豊かになっていながら、「物足りない」「満たされていない」
「虚しい」「孤独」と訴える人は年々増えて来ています。
昭和の時代を担ってきた私達は、己と向き合い「幸せとは何か?」を感じる暇もなく、
実績・結果や成果だけを追求して来たのかもしれません。


豊かさ、便利さ、快適さを追及する過程で、大切な自然界が破壊され、悲鳴をあげて、
未曾有な災害をおこしていることにも、実体験するまで多くの人は気づきませんでした。
現実的な効率・能率ばかりを追求している間、感性が鈍ってしまったのではないでしょうか。
そして、深刻な危機的状況に至ってから、慌てて環境問題を意識するようになったと思います。


子供達への教育も、知情意のひとつである、知と言われるスキルや技、知性や理性に偏り、
大切な自分に合った「感性を育む」という視点が、未だに軽視されているように思えてなりません。
私達日本人は、美しい自然や建造物、アート、文書などの美しいものを見たり触れるたりする
ことでによって個々人の感性や想像力を高め磨くことができます。
そのことで、様々な「感じる心」と「創造力」が養われ【心】が育まれます。

また、日本には古より伝わる様々な素晴らしい文化が沢山あります。
森羅万象の中に「ものの哀れ」を感じ取り、不均衡美、
自然さ、侘び寂びなどを大切にした日本独自の文化は、
まさしく日本独自の「感性の文化」だと言えると思われます。

何らかの報道で、「クールジャパン」と言われる日本の文化が海外で注目される一方、
「日本の文化には全く興味がない」と言う子供達も増えていると言うことが放送されました。

現実として実在している、そのような若者達に日本の素晴らしさを自覚させるためには、
先ず、私達大人が日本の精神文化や独自の文化の素晴らしさを振返り、受容れ、再認識し、
感じ取る取り理解することが必要ではないでしょうか。

同時に、「感性には、個人差がある」と言うことを、
個々人が認識しておかなくてはなりません。
各々の心に見合った感性を育める日本独自の文
もてなしを見直す必要があると思います。
そして日本人の本質、素晴らしい文化「もてなし」を
温故知新の心を以って顧み再認識する時であると思います。

このような社会環境で生活している皆様の知識や気付きに役立てて頂ければと考え
現在、これからの社会のため今までの体験と学びの知識
そこから得られた知恵のもと、日本の「和」、ホスピタリティの「和」、
もてなしの「和」を私見も含めこの手引き書を記しました。

<「和」のもてなしの礎> 全五章とチェックリスト集・言葉の解説集
より抜粋