おもてなしは「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎) 思いやり-利他心

おもてなしは「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎)

人を心から想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは「おもてなし」の『心』です。
2016・6


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コンセプト おもてなし講座s

ハート無題1s「思いやり」ってどんなこと?ハート無題1s

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こちらに載っている殆どの記事は、現在までの実体験と学び、その中で得られた気付きから投稿しています。
思いやりや感謝・誠実など心に関する項目は、様々な人と触れ合う時の知識や一つの目安とし御利用下さい。
私的利用以外のコピぺ・転載は御遠慮下さい。無断での教材や営利を目的とした引用は禁止と致します。
使う際は、記事右、Categoryの上にある「問合せMail」でお名前・連絡先を必ずお知らせ下さい。

モノ」と「コト」から生まれる感動

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

無財の七施jpg

日本の「あもてなし」には、あらゆる「モノ」を以って、その主人のもてなす心である「コト」を、
客と共に通わせ合い、それを成すという利他の意味があります。
このもてなしには姿形として目に見えるものと言われている「モノ」と、
決して目に映ることのない心や意識を指し示す「コト」とがあります。
その「コト」は歌舞伎の舞台で言うと、「黒子の心」を以って表現する「態度」「言動」を指しています。
詰り「コト」とは、もてなす相手やお客様に接する際、もてなされる側の立場で思慮し、
誠心誠意の心、思い遣りの心で、自然なお世話や気配り、気遣いを影の様に行うことです。
大切な人やお客様、触合いもてなす相手に対し敬意を払い、
思い遣りのお世話の心を以って温かく接する「心」は「おもてなし」と「ホスピタリティ」は
同様な部分があると思われます。
日本の「おもてなし」と「ホスピタリティ」の違いは、この「モノ」と「コト」と共に存在する
「行動様式」にあると考えます。
古からの仏教の教えに「ありがとう」「お陰様」の気持ち(心)を行動で表し示す身近な実践として、
無財の七施」があります。
それは、私達の日常生活に於いて、お金がなくても、物がなくても周りの人々に喜びを与えて行く、
少しでも喜んで頂ける方法があると、岡田茂吉氏の教えである「利他」とも解せます。

無財の七施
1.眼施 (げんせ)
 温かい眼差しで接する。
2.和顔施(わげんせ)又は和顔悦色施(わがんえつじきせ)
 明るい笑顔、優しい微笑をたたえた笑顔で人に接する。
3.言辞施(ごんじせ) 
 心を込めた思い遣りの優しい言葉をかけて行く。
4.身施(しんせ)
 人のため、社会のために肉体を使い働くこと。ボランティア活動(お世話・奉仕)。
5.心施(しんせ)
 「ありがとう」「お陰様で」などの感謝の表す言葉と態度、思い遣りの心を込めて人々と接する。
6.牀座施 (しょうざせ)
 場所や席を譲り合う、譲り合いの心です。
7.房舎施(ぼうしゃせ)
 訪ねてくる人があれば一宿一飯の施しを与え、労をねぎらう。転じて、温かなおもてなし


この教えも「日本のおもてなし」に大きく影響しているのではないかと思います。
「日本のおもてなし」は、何気なく自然に目に映る「モノ」その物の持つ
「味わい」と「余韻」をとても大切にしています。
例えば、茶室などの建造物、庭園、盆栽、置物や家具建具、食器、飾り物、飲食物、
接する人の立ち振舞い、身なり、演出された様々な芸(演芸)である芸人や芸者による舞踊や音楽と
各々の味わいなど、もてなす相手を取り巻く環境の全てにおもてなしの心を表現しています。

また、茶屋に何気なく飾られている野の花、もてなす相手の感性に合わせた掛け軸やお香、
様々な置物、茶道に於ける、お点前に使う茶器や点てる為に使う道具類や炭に至るまでの
全ての「モノ」に「おもてなしの心」が込められています。
日本古来の懐石料理、茶懐石と言ったお料理は、観て、食することを通して、
もてなす人の心や素材、器の持つ様々な味わいとその全て環境、
食後の余韻を楽しむ日本文化の「おもてなしの心」の表現した代表的なものです。
このように日本のおもてなしは、伝統文化(芸道、武道、茶道、花道、香道、礼法、建造物)の
粋と味わいが「モノ」に込められております。

この表に見えない裏の「コト」=『心』こそ、日本の心であり、
あらゆるおもてなしに最も重要であり大切であると常に意識しておくことです。
同時に、もてなしは『表裏なし』、つまり表裏のない心でもてなす人を迎えることをも意味します。
また、おもてなしは『裏表なし』と、文字通り『表なし』の二つの意味を持つとも解釈出来るのです。

日本人は、『表なし』の心を持ち、慎み深く、地味を愛し、とても几帳面な国民性があり、
誰に対しても自然に親切にする意識や相手を思いやる優しい心を持ち、
一方では人に不快感を与えない程度の距離を保ちつつ、
相手へのお世話や気遣いを気付かれないよう表面に出さずに行い、
良い人間関係を作ることを常に心情にしています。

これは、前記したように舞台で言う、「黒子の役割を果たす心構え」であり、
もてなす人への心を表に出さない態度である隠れた『表なし』心こそ、
日本のおもてなし」なのです。
「日本のおもてなし」は、もてなしの「コト」に当たるもてなす人を慈しむ心、心の優しさ、
自然さ、さり気なさ、慎ましやかさに重きを置いているのではないかと考えます。

また、別の角度からみると、その時の感動や感激よりも「余韻」を重んじる傾があると考えられます。
普段の日常生活において、「私は優しい」と言う人に本当の優しさを感じたことがありませんし、
そういう風に自分を表現する人には優しい人はいないのではないかとも思います。
「日本のおもてなし」も、上記した優しさの表現と同様に、こちらからおもてなしの心を押し付けたり、
知らせたりするものでありません。

また、現在のように、目に見える過度の演出や無理のある作られた感動と言ったおもてなし?で
C.S(顧客満足)を無理に与えようとすることは「日本のおもてなし」ではないと考えます。
日本のおもてなしやホスピタリティ何れにおいても、C.S(顧客満足)はお客様や
もてなされる側の方々が感じることであり、与えるものではないということです。
もてなされる側の人々の心の中に、自然に受け止められ、感じられるものだと考えます。
また、「裏表なしの心」は、飲食業、接客業・接遇の仕事だけに限らず、
日常生活上の人との触合いやお付き合いにも当て嵌ります。

今の時代は、多種多様な情報や形として「おもてなし」の「表」とも言える
目に見える微笑や笑顔、言葉遣い、お辞儀、姿勢、態度)の情報などを、
ネットやコンサルタント、インストラクターと言われ方々等を通して手軽に得られ、
身に着けられるようになりました。
しかし、おもてなしをする個々人の個性や資質にぴったりマッチした
「おもてなし」の「コト」の伝達や表現のために、
不可欠とされるその人の心の持ち方・意識や感性まで学ぶことは、
他の人間からの知識や教え、情報だけでは出来ません。
おもてなしの場に於いては、もてなす側、もなされる側は十人十色であり、
外見を始め、内面の心・感情も、常に一定ではありません。
型通りマニュアルだけでは日々触合う人々、大切な人、様々なお客様にピッタリ合った、
心の通い合える「本物の日本のおもてなし」は到底出来ないことなのです。
この様な触合う相手の個性に合ったおもてなしの仕方、
接する人々に合ったおもてなしの表現や伝達が、大切な人やお客様の心を動かし、
感動、感銘や余韻を与えられるのです。

現在のこの厳しい時勢を乗り越える為には、
この隠された裏の心「コト」を大切な人やお客様に表し、
お伝え出来る「思い遣り」や「感謝の心」の感じて頂ける真心の感じられる温かなおもてなしと、
様々な要素の余韻やもてなしを受けた感銘が心に残ることが大切であると思います。
優しい目線、柔和で温かな表情でもてなす相手やお客様を観察するのみならず、
常に相手やお客様の立場に立ち気遣いし、相手の心や感情をいち早く察知することにアンテナを張り、
何らかのアクションがある前に、さり気ない自然な形のお世話の提供をすることは、
あなたにしか出来ない「日本のおもてなし」です。

その為にも日々触合う人々、大切な人、お客様の心理を察するために、
ちょっとした仕草や僅かな表情の変化から、
相手やお客様の心を察する鋭い察知力を身に付ける必要があります。
おもてなしの心の通い合いには、この様な表に出ない影の役割をシッカリ果たすことです。
「日本のおもてなし」は、もてなす相手やお客様に思いやりを、
裏表の無い心「コト」で伝え、触合う相手と心を一つにし、誠実な態度、
優しい奉仕の心で一所懸命に行うことです。
これは、「一期一会」の心と全く同様です。

もてなす夫々の相手やお客様の個性に合わせたもてなす側の「コト」の表現や伝達が
大切なお客様の心を動かし、感動、感銘や余韻を与えるのです。
それは、もてなす相手やお客様を敬い、もてなす側の偽りのない心を表し伝えることなのです。
触合い接する相手やお客様に対し、お陰様で、有り難い、と思う裏の「コト」の心を持ち、
心の通うおもてなしをすることが、もてなされる方の心に感動や感銘を生み出し、余韻を与えます。

日本のおもてなしに於ける感動のメカニズムを端的に表現していた世阿弥の短いフレーズ
秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」は、まさしく日本のおもてなしの心です。
表は「モノ」を指し、目に見える様々な形や言動、裏は「コト」を指し、
日々触合う人々、大切な人、お客様に接するスタッフの裏に隠されたもてなす人を
思いやる優しい心で相対(愛態=愛情と態度)することです。


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    「認める心」が表れる、対面時の挨拶&メール

    お薦め度【★★★★】全業種、業態用

    マズロー欲求5段階説1

    円滑な人との関わり、繋がりや人材育成に決して欠かせないのが、
    先ず一人の人間として「認める」と言う意識と態度、言動です。
    それは、対面、非対面に関わらず「挨拶」や依頼した相手へ連絡のメール、
    普段のお付合いや生活上でのSNSの「コメント」・「メッセージ」などに表れます。

    例えば、対面時挨拶をしても「無視」された「糠に釘」の態度、
    心の感じられない形だけと受止められる挨拶言葉や文言、
    SNSツールで何らかの答が欲しくてメッセージを入れて
    既読の表示がされているのに何のレスもないことが間々あります。

    一般的な常識やマナーをある程度備えた社会人ならば、
    SNSツールなどで喩えそのような方と友達になっても、
    心に何らかのわだかまりが残り、心を繋ぎ和すること無く、
    互いの心が嚙み合わず、御縁を育むことも出来ず、長続きしません。
    最近話題になっている子供達の「いじめ」の要因に、
    対象者を「認めず」「無視(スルー)」「無回答」などことからではないかと思われます。
    こういったことが純な子供の心「心の闇」を創り出し、非行の起因になる場合もあります。

    例えば、社会からも人間としても
    皆から認められた立場の人であっても、
    何らかの御縁を戴いた方へ自利、
    感情や自己都合でといったことで
    相手のことを考えず(≒思いやることなく)
    無視・スルーをする人も多くないと思います。
    そうできないからに人間らしいのでしょう。

    特に、意識して注意しておくべきことは【感受性】の強い人に対しては、
    認める】言行・態度に必ず表すべきだと体験しました。

    社会人の場合は、自分に対し自信喪失、自己嫌悪、引き籠り、薬物依存、自殺の要因
    対人関係では、多様なハラスメント、事件や犯罪に繋がる可能性もあります。


    マズロー欲求5段階説緑1
    ※図は「人と繋がる講座」で使ったテキストより抜粋。

    そのような行動や態度をとるのは、
    • 相手に対して関心がないのか、
    • 自分の領域に入れたくないのか、
    • 公私ともに忙しいのか、
    • 面倒くさいのか、
    • 相手にしたくないのか、
    • 人としての言動は理由があり認めたくないのか、
    • 誰にでも「いい人」でいたいのか、
    • 人の思惑、批評批判が気になるのか、
    • 相手を軽視しているのか、
    • 自己保身なのか、
    • 情けをかけたくないのか、
    • 断る勇気がなく、断ると不安だから、
    • 後々義務や責任を負うのが嫌だから、
    • 親しくなる必要がないのか、
    • 無視(シカと)することが恰好良いから、
    など、と言ったことから、挨拶やレスをしないのではないかと推測します。

    即ち、利己の表れそのものであると同時に
    何らかの見返りを心のどこかで求めているとも考えられます。

    現在の社会は、個々人の自利や保身が優先し、
    個人を人として「認める」意識の欠如にあると思われます。

    結論として、この「認める」と言う言動や態度・意識は、
    対人関係になくてはならない【】即ち「思いやり」「利他心」の表れであり、
    それは「情けは人のためならず」、或は「因果応報」に繋がると思われます。


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      認め、認め合う心と活動

      お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

      利他・愛他

      円滑な人との関り、繋がりに欠かせないのが、「認める」「認め合う」意識と言動です。
      私達が日々のお付き合いや触合い中で、決して怠ってはいけないことは、出合ったり、
      触合ったりする相手を自らの意思で、何等かの形や言動で「認めること」であり、
      互いが夫々を一人の人として「認め合うこと」(=心や態度で伝え合う)ではないでしょうか。

      この「認める」ことは、他者を一人の人間として認め、更に利他の心を以って、
      自らの「思い遣る心」をその相手に表わし伝えることに他ならないと考えます。

      それは、新たに仲間になった新人スタッフ、或は仕事で頑張っている人、
      自分自身の生き方や可能性にチャレンジしている人、
      目標に向かい日々懸命に挑み続けている人
      と言った人達を認める言葉、喩え言葉に出さなくても
      認める態度や行動は、夫々人のモチベーションアップ(≒やる気)に繋がります。

      日々の何気ない仲間や友人への挨拶の一言やツイッターやフェイスブックと言ったツールなどで
      御縁を頂いた方へのメールでの挨拶も、大切なその一つであると考えます。

      特に後者のツールの場合は、挨拶の有無で自らの利害関係意識が如実に表れると考えられます。
      自分自身に何らかの形で役立ちそう人、著名人、ビジネスに繋がる可能性がある人など言った方には、
      進んで挨拶のメールを送りますが、関心のない人は無視してしまう傾向があると思います。

      実は、些細な御縁が得られるネットの様々ツールで、まだ会っていない見ず知らずの人から
      「その人の心(器)が計られている場合」が多いと考えてみることも必要なのではないでしょうか。
      このようなネット上のツールに於いて、意外と忘れがちな一言の挨拶メールを交わすことも
      相手を「認めること」、互いが「認め合う」ことの表れであると思います。

      そこには、不思議とその人の「人と成り」が滲み出るものだと思われます。
      また、関係ないように思われる相手からの要望やお願い事などを無視せず、
      勇気を持ってハッキリと出来ないと「断る」ことも、
      相手への思い遣りを表わす「認める」ことです。

      日本人は、自らの保身の為や他人の思惑を考えてしまう(利己主義)ばかりに、
      場合によっては物事を曖昧にしてしまうことを美学と考える傾向があると思います。
      このようなことは、特に社会的地位のある人や指導者の場合に多いのではないか思います。

      日常生活上での「認める心、認め合う心」と「態度」は思い遣りを表す一つの手段です。
      人と人とが互いに「認め、認め合う」こと、即ち「認証のキャッチボール」がスムースに出来る
      社会環境になっていたら、様々な悲しい事件はもっと少なくなると信じています。

      人として「認め、認め合う」ことは、人の「心の礎」です。
      このことは、先ず相手のことを想う「利他の心」を育む礎にとても大切だと思います。

      或る時の個人面談で
      「人を認めるって どうすればいいんですかね?頭で〈認めなくちゃ〉と分かっていても、
      他人への不安が心を支配してしまい、認めるより非難してしまうんです。」
      「心から人を認められるようになるには、どうしたら?」と聞かれました。

      私は
      『自分を認め、指さすことが出来るようになると、他人も認められるようになると思います。』
      と答えました。

      『自分の中にある他人への不安感との戦いは誰も解決できません。
      そのためには、自分の存在に気付く(=知覚)ことです。先ずは自分自身を信じ、
      認めることを意識して言動してみたら如何でしょうか。』
      と付け加え、最後に、
      『即ち自分と相手を認識することに心掛けることが大事です。』とお伝えしました。

      この「認め、認め合う」は簡単なようですが「難しく」、とてもそして「深い」ことです。
      大切な人やお客様へ思い遣り」に、他者を利することとされる
      認め、認め合う」ことなしでは伝えられません。

      挨拶でも「こんにちは」だけより「○○さん、こんにちは」
      名前を付けてと言われると、とても気分が良いです。
      お店の通路で従業員が壁側に沿って端を歩いているのを見ると
      【お客様を大切な人と捉えているんだな】
      と自然に感じます。

      【お客様をたてる事≒認める】ことは、
      お客様を認め、もてなす第一歩」です。

      感謝の言葉
      『有難い』
      『お陰様で』
      『ありがとう』

      お客様に対するお店の姿勢の現れです。
      先ず身近なことから認め、認め合う「癖」をつけましょう。
      認められることから生れる計り知れない心のエネルギーや人との大切な絆を作るためにも。
      認め、認め合う」大切さに気付きましょう。



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        ✡「認め合う心」と「アフターユー」の活動✡

        お薦め度【★★★★】全業種、業態用

        アフターユー1

        私達は社会人として、また人との触合いや仕事上において、
        人として欠かすことの出来ない礎はお互いが「認め合う」ことです。

        そして、生きて行く上での人との円滑な関り、繋がり、結び付きに欠かせないのが、
        この「認め合う」と言う意識、態度です。

        それは、先ず人を思う心、即ち思いやりの活動である相手の立場を
        優先し思考する立場転換の心であり、アフターユー(お先にどうぞ)の行動となる
        「利他心」を表わすことに繋がります。

        せちがらい、スピーディな時代です、利己的な「何事も我先に」という方も時々見受けます。

        アフターユー」とは、あなたの後でいいですよ→お先にどうぞ、という譲り合いの精神です。

        これから日本の震災復興や2050年問題に、
        立ち向かうためにも、この「認め合う」こと、
        アフターユー」の活動がスムースに出来る
        社会にして行かなければならないと考えます。

        子供から大人迄みんなが、 互いを認め合い、譲り合い、
        相手立てる行動をすることは全て人の「心の礎」であり
        豊かな人間関係に不可欠なことです。



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          利他心は絆の「礎」

          お薦め度【★★★★】全業種、業態用

          利他心-L

          利他心は、人を思い遣る心の現れです。
          それは、自利を意識せず、他者の物や心の利を重んじ、
          利を得られるよう他者に働きかける心です。


          利他心を備える

          1. 「情けは人のためならず」を自覚する
          2. 克己無私(私心を無くす)に徹する
          3. 人の文字(=支えられ生きていられる)を認識出来る
          4. 先ず、相手の利を想い、己の利益は考えない
          5. 相手を受け入れる(素直さ)に徹しられる

          6. 他者のことを思いやる意識を備える
          7. 適時適切な感謝の表現伝達が出来る
          8. 許す心(寛容・寛大)を持つ
          9. 何事、何人にも見返りを求めず、望まない
          10. 身の程(身の丈)を知る≒分度

          11. 愛情(愛他心)を与えることのみに尽くす
          12. 親切心を備え持つ
          13. 遜る謙虚さを備える
          14. 積極的に他者への貢献活動をする
          15. 公平、公正に心掛ける

          16. 他者の成長に繋がることに前向に捉える
          17. 己の感情や煩悩を自制する
          18. 利己主義(自己中)にならないよう己を省みられる
          19. 過度のプライドの顕示やアピールをしない
          20. 己を省み、指差す自己啓発活動に取組む
            ・・・・・・など。


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            思いやる心を備えている人—己と「向き合う」

            お薦め度【★★★★】全業種、業態用

            思いやりのある人


            現在の日本は、個々人の生活や安心安全を優先し、
            「対外スキル」、利己的な「便利で快適な生活」、
            「物質・経済的豊かさ」「見た目の美しさ」
            「他人の思惑」などばかりを意識し過ぎて
            その対処法を追い求めることに目が行き、
            自らの大切な心を育むことを忘れがちになると思えてなりません。

            同時に、次の時代に受け継がなければならない人の【原点】である
            「人を思いやる心」の育成に、力を注ぐことが出来なかったように思います。
            戦後、団塊の世代と言われる人達は、
            「経済的に豊かになれば、必ず幸せになれる」と信じながら、
            「経済的な豊かな社会」や「ものづくり」に精魂を注いで働いて来ました。

            その結果、人として大切な自らの心の育成、
            即ち「心の体力」を育むことを疎かにしてしまいました。
            今の社会の中枢を担っている団塊ジュニアと言われる人達の中には、
            本気で己に向き会わず、対外的な対人関係力を育むことばかりに意識が向いていると思います。

            また、自らの保身や個を優先する余り、自らの意思表示や意思決定が出来ず、一方では、
            他者の思惑が気に成ってしまい、ハッキリ断る勇気を持たずに曖昧な返事をすることを
            美学とする意識を持つ人も少なくありません。

            また、20代の2~3割以上の人は自殺を考えたことがあるそうです。
            同時に、「つまらない」「空しい」「満たされない」と訴える人々も増加しているそうです。
            教育環境も外的要素や知性・理性に偏りがちになり、
            人として何が正しいを見極め、苦難苦境に耐えられ、
            強い向上心と意志を持って何事にもチャレンジ出来る強い「心を育む」、
            人としての豊かな「感性を育む」という視点が、まだまだ軽視されているように思えます。
            人間力の【原点】とも言える「心の体力」づくり、
            言い換えるなら「自利利他の精神」とも言える他者を『思い遣る心の育成』に、
            もっと目を向けなければならないと思います。


            では、「思いやる心のある人」とはどのような人なのか、私見を交えて記すことにします。

            1. 他人の心身の痛みや苦しみを、自分に置き換え理解しようと努めている人。
            2. 共感性の豊かな人
            3. 他者の思いを知るための知恵を備えた人
            4. 何人に対しても、許し、受容出来る人。
            5. 克己、即ち己に勝てる人
            6. 苦難・苦境にチャレンジ出来る人。

            7. 立場転換意識で物事が見られる人
            8. 人として何が正しいかを見極められる人
            9. 感謝の心とその豊かな表現力を備え持つ人。
            10. 感情や煩悩を自制、コントロール出来る人。
            11. 不動心を備え、真を貫ける人。
            12. 態度や言動、心に裏表がない人。

            13. 正直で嘘、偽りの言動をしない人。
            14. 謙虚に共に学び考え、共に育つ心のある人。
            15. 信用、信頼を決して裏切らない人。
            16. 自利利他心と思い遣りの心を備え、人と上手に関われる人。
            17. 真心を備え人や物事に相対することが出来る人。
            18. 自らの心と言動を指させる力を備えている人。自己認識力=啓蒙力

            19. 平常心≒平静心を備えている人。(自己認識力)
            20. いつ誰に対しても、礼節(けじめ)を備え持って接しられる人。
            21. 人の器を形成する核として知情意を持つ人。(≒自律心の保有)
            22. 高い人間力即ちE.Q.(心の知能指数≒自律心)を備え持っている人。
            23. 他者の思惑を気にせずに、自らを指させる人。(自分の教育者は己だと自覚出来る人)
            24. 苦難や心の葛藤や苦しみを抱えながらも、それを乗り越えて生きて行ける人。(忍耐力保有)

            25. 物事や人物に対し正しく判断が出来、イノベーション意識を備え持っている人。
            26. 様々な出来事や問題を冷静に落ち着いて受け止め、解決する為の次の行動に移せる人)
            27. ポジティブ≒前向きな意識の保有している人。(明元素のある人)
            28. 強い義務感・責任感≒役割の自覚と認識のある人。(責任性)
            29. 揺るぎない自信と信念を持ち、それを貫ける人。(自己認識力=自信)
            30. 自己犠牲心を備え持つ人。≒奉仕の心とその発信や活動の出来る人。・・・・・等々

            このような「思いやりの心のある人」は「おもてなし」の心を備えた人でもあります


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              「求める」と「与える」

              お薦め度【★★★★】全業種、業態用

              求めよ・与えよ

              「求めよ、さらば与えられん」

              「与えよ、さらば与えられん」


              この二つの言葉は、キリスト教に限らず仏教にも同様な内容の教えがあり、
              宗教を度外視して修めておくべきことだと思います。

              「求めよ、さらば与えられん」☞ 自利

              新約聖書「マタイ伝」の一節から多くの人々に知られている言葉です。
              『求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん』
              言葉の持つ語彙は、物事を成就し、成果をあげるためには、
              与えてもらったり何もせず待っていたりするのではなく、
              自ら自発的に求める姿勢が大事だということです。
              この言葉の意味は
              「損得を抜きに純粋な心で他人に施せば、本人は気分が爽やかであるばかりか、
              相手からも感謝される、物的見返りを期待しないこと」と言うことを表わしていると思います。

              ※【参考】デジタル大辞泉の解説.
              「神に祈り求めなさい。そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」の意。
               転じて、物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、
               自ら進んで求める姿勢が大事だということです。
               自分は何を求めているのだろうか?
               求めて実際に行動しただろうか?
               得られるようにちゃんと努力しているだろうか?
               求めなければ、得られない物事が沢山あります。
               手を拱いて何もしないで得られるものは少ないですし、
               喩え、得られたとしても喜びは小さいのではないでしょうか。
               自分が心から求めているものを、努力してやっと手に入れた時の幸福感は大きいのです。


              「与えよ、さらば与えられん」☞ 利他

              この新約聖書の言葉を、先に何かを与えることは、廻り回って見返りの何かが後からやってくる、
              と言う物質的な報酬の関係と捉え、解釈している人が多いようですが、
              改めてこの言葉の語彙を私見も含め紐解いてみると、物的見返りを期待しない、
              即ち、損得を抜きに純粋な心で他人に情けを施せば、その本人は気分が爽やかになり、
              施した相手や周りの人々からも感謝されるといった精神的な報酬の関係を言い表していると解せます。
              即ち、無償・無条件の奉仕(≒仏教の布施行で言う無財の七施)によって、
              自己の内面や他者を通じて神や仏の祝福が与えられるという、
              精神的な報酬の関係を言い表していると考えられます。

              この二つの言葉を確りと心に刻み「継続こそ力なり」
              の心で日々取組んで行くことが大切だと思います。  


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                自利利他愛他の活動

                お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                自利利他愛他


                自利の「謙虚さ」、利他の「感謝」、愛他の「施し

                多くの人々から愛され信頼されている人、成長し続けている企業のトップ、
                或は一流人と言われる人、成長し続ける中小の会社経営者、信頼され人望のある指導者、
                ベストセラーを出し続ける著者、世界で活躍する様々なエンターテナーやプロスポーツマン
                総てに共通しているのは、利他の「感謝」、自利の「謙虚さ」、
                愛他の「施し」と言われる社会貢献(援助)活動、この夫々の心を備え持ち、
                感謝の心を大切にし、常に現状に満足せず上を見続け、チャレンジしていると思います。

                元サッカー選手の中田英俊さんは、世界の国々を回り子供達に、この愛他活動をしています。
                また、先日、サッカーで活躍している香川選手はハットトリックの素晴らしい結果を出しました。
                その後の彼のコメントで、
                「まだまだ上がある、その為にもっともっと努力する」と言った謙虚な心が現れていて、
                物凄いことを達成したのに慢心の姿勢が微塵も見られませんでした。
                このような態度の奥にあるものは、自利謙虚さの表れであると解します。
                彼らは、謙虚さを備え持つことは、総てに於いて己の為になることを強く認識しているのです。

                一方で少し高名(著名)になり、社会の多くの人に持て囃され、ちやほやされている指導者・経営者などは、
                得てして自利利他の心である感謝謙虚さを忘れがちなる場合が多いようです。
                また、自分の人としての本来の姿が見えなくなり、利他やボランティアを装う自己顕示(≒売名行為)、
                過度な生活状況のアピール、己の行為或は感謝に見返りを期待してビジネスの道具に使うなどを
                平気で行うようになってしまう場合なども時折見受けられます。

                利他とも言える感謝の意識(心)は、心の中に自然と湧き出してくる感性のひとつです。
                多くの人達が使っている感謝を表わす言葉「ありがとう、ございます」は、
                自らが遜る謙虚な心があってこそ人々の心に通じ、その心に響き、感動を喚起して
                様々な「引き寄せの現象」に表れます。

                謙虚の“謙”は、下へ下へと遜ること、“虚”は、一番下から総てをプラスに受入れることです。
                その結果として、この謙虚さや誠実さと言ったことが「リターン・アイ」となり自利に繋がるのです。

                謙虚な人とは、「自分の言っていることと、その存在や言動が一致している誠実な人をさします。
                人は、自分が駄目だと言っている時は、本当に駄目な自分に頷いている時であり、
                自分が相手を認め誉めている時には、本心から相手に対して敬意を持っているのです。

                また、謙虚な人とは、正直、誠実な真心を持った人で、自分に対し過度な評価を求めない人です。
                自分の心身の姿を過小評価も過大評価もせず、淡々と自分のありのままを認める人、
                そういう人は 皆から好かれ「付合い易い人」であり、
                最終的には人々からの大きな支持を得るようになるのです。

                一方で、人が己の心や行為に自信や確固たる信念を持つことは、実に素晴らしいことだと思います。
                同時にそれは、他者に示し表すことではなく、己の心の中に存在し、
                自然に周りの人々へ崇高で尊く、美しい輝きを発しするものだと考えます。
                しかし、その自信が自己顕示に走り
                「自分のしていることを見てくれ」
                「自分のしていることは最高だ」
                と自らの言動や態度にこれ見よがしに表わす者(=傲慢)になってしまったら、
                その先にあるものは「信頼の崩壊」や「己の心身の破滅」に繋がるのではないでしょうか。

                また、ある意味で謙虚さと類似する「謙遜」は、名誉が先立っていると考えられます。
                因みに、謙遜というのは「有りの侭の自分を素直に認めている姿勢」のことです。

                自らが発信した
                ありがとう」の感謝の表現、
                有難い」の謙虚な言動、
                お世話・奉仕」の愛他活動は
                姿形を変え、その人に必ず返って来る、即ち「リターンアイ」と意識することも大事だと思います。


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                  利他の心五配り

                  お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                  五配り

                  五配りは、リアルである目に見える処、
                  己の目識によってお客様や相手の表情や仕草に目配り、
                  眼に映らないバーチャルな見えないことや居心地に気配り、
                  相手やお客様の心情をいち早く察する心配り、
                  相対する相手やお客様の欲するもの、或はして欲しいと感じたことを
                  さり気なく(自然に)タイミング良く美しい所作で差し出す手配り、
                  お客様の行動される先々や使われるものを素早く前以て用意するなど、
                  何気なく己の身を適時適切に行動し身配りする、ことを表わす言葉です。

                  相対する相手やお客様に意識を配り、
                  その意識を自分の中で働かせる気働きと言われることは、
                  仏教の「六根(六境)と六識」が元となると、解することでより明確に理解出来ます。
                  人間の持つ五感と第六感とも言える、その人の持つ雰囲気から感じ取る感覚を
                  六根(六境)と六識」に当て嵌めますと以下のように成ります。

                  視覚と言われる眼(げん)=色(しき)とその視覚から生まれる意識・感性を指す眼識

                  聴覚と言われる耳(に)=声(しょう)とその聴覚から生まれる・感性を指す耳識

                  嗅覚と言われる鼻(び)=香(こう)とその嗅覚から生まれる意識・感性を指す鼻識

                  味覚と言われる舌(ぜつ)=味(み)とその味覚から生まれる意識・感性を指す舌識

                  触覚と言われる身(しん」=触(そく)とその触覚から生まれる意識・感性を指す身識

                  身体全体で感じ取る意(い)法(ほう))と身体全体で感じ、夫々がまとまり感じ生れる意識

                  この六根(六境)の夫々に、好(気持ちが好い)・悪(気持ちが悪い)・平(どうでもよい)があり、
                  六識の夫々に浄(じょう)=正しい・きれい・美しい、染(せん)=汚れ・きたない、の二つがあります。

                  人間の能力は、素晴らしいもので瞬時にこのような能力を発揮出来るのです。
                  また、人の五感と第六感を磨くことは、上記した六根(六境)と心の中に生まれる、
                  眼識・耳識、鼻識・舌識・身識・意識の夫々の精度を上げることだと解します。

                  一方、五配りや心遣いには、目配りし過ぎ、神経の使い過ぎと言うことも当然ながら起こり得ます。
                  この様な意識が過剰になると配られた方は監視されているような気分になりかねませんから、
                  相手やお客様に自然なさり気なさを意識しながらの適度な五配り
                  その人の心を察する心遣い回りのことに気遣い、気働きの態度で接することです。
                  何時でも相手やお客様に、余計な精神的負担をかけ過ぎないように細心の注意を払いましょう。

                  と同時に、常に相手やお客様の利(=喜び・笑顔・安心・感動・余韻)を
                  思考して行動する「利他の心」も欠かすことが出来ません。


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                    利他の心は我に戻る

                    お薦め度【★★★★】全業種、業態用
                    リターンアイ60白


                    利他心は、他人の利益を重んじ、
                    他人が利益を得られるように振舞う心です。

                    その「利他」の心は、
                    人を思い遣り慈しむ「」の心とも言えるのです。

                    成功を収めている企業人に必ず共通しているのは、
                    「利他」の心を常に内に秘めていることです。

                    それは、自分自社だけの利益を考えるのではなく、
                    自己犠牲を払ってでも相手やお客様に尽くそうという、
                    人間として最も尊く、美しい心です。




                    このことは、一昨年の東日本大震災により多くの尊い命を失った被災地に於いて、
                    被災者の方達の「利他の言動」と「愛他行動」にも数多く表れています。
                    我社にとってどうすれば利益になるとか、私個人にとって何が良いかということではありません。
                    それは、一つの企業とか個人の利害得失を超えて、もっと広く高く、人間にとって、
                    世の中にとって何が良いことなのかを考える生き方です。

                    利他心は、見返りを望まず求めず、総ての魂・生物に発せられる愛≒「愛他行動」だと思います。
                    それは、親しい人に認められたい、大切にされたい、そして愛されたいと願う心です。
                    喩えるなら恋愛は、見返りだけではなく、
                    「私だけ」「貴方だけ」という当事者にとっての他者の排除も当然生まれます。
                    それが破られた場合、もの凄い怒りや悲しみ、失望が生まれます。
                    故に愛情の裏側には、憎しみなども存在するのです。

                    そうではなくて、利他心の場合は自分に見返りがないところに愛する心を指します。
                    だから、結局それは自分とは直接の利害関係のない人にも総て広がり、自然に広がる心です。
                    そして、そういう時こそ人間は一番強いことを体験したり、見聞きしたりして来ました。
                    人間が弱いと感じるのは失業したり、或いは人間関係や恋愛とかで破綻したりする場合が殆どです。
                    それは、自分が今まで愛したり、信じたり、頼ったりしていた人などを失った時です。
                    このような利他心(外側には求めずに与えるという心)を形成することは、全ての人が持つ姿です。

                    〇人間的魅力の原点は、「利他心

                    人間的魅力とは、「功を積み上げることによって得られる」と言う仏教の教えがあります。
                    解り易く言うと、自分が魅力的に成りたいと思うことはよいことですが、
                    そう思ってばかりでは魅力的になれず、むしろ他人を幸福にしよう、
                    他人の向上を助けようという、いわゆる利他心の多い人の方が魅力的に見え、
                    ガツガツしている人はそう見えないという、逆説的な真実があると考えます。
                    それは、他人は「自分を幸福にしてくれる人に魅力を感じる」から、当然のことなのですが、
                    人は自分のことより他人のことを考えるのが比較的苦手ですので、
                    そういう自分を幸福にしてくれる人は希少価値が生まれることになります。
                    この他を利すれば自己に利が返るというのは、
                    」「」「とも言われる仏教的真理でもあります。
                    以上のことを私なりに解し、<リターン・アイ>と言う表現をしております。
                    それは、まさしく「情けは、人のためならず」なのです。


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                      言辞施

                      お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                      「言辞施」無財の七施言辞施(ゴンジセ)

                      【以下天台宗一隅を照らす運動より一部転載】
                      言辞施は、心から優しい言葉をかけて行くことです。
                      人生を振り返って見て今でも覚えている嬉しかったことって何でしょう か?
                      悲しかったことって何でしょうか。
                      大好きな彼から、尊敬する先生から、両親から
                      あの時、あんなことを言ってもらった
                      あんな酷いことを言われてしまった、ということではないでしょうか?
                      小遣い貰った、何かを買って貰った、それも「ありがたい」ですが、
                      言葉のプレゼントは相手の心に深く届き、励まし勇気づけることができます。
                      励ましたい相手、喜ばせたい相手の前で、
                      心を落ち着けてその人が何を分かって欲しいか、
                      望んでいるか、そっと耳をそばだててみましょう。


                      自分の言いたいことや自分の聞いて欲しいことでなくて、自分が鏡のようになって、
                      相手の心を己の心に映してみましょう。
                      「つらかったね」
                      「ずっと我慢していたんだね」
                      「さびしかったんだね」
                      「ほんとに努力したんだね」
                      「とっても優しいんだね」
                      悲しみや苦しみ喜びをなるべく共感して心をこめて言ってあげましょう。

                      心からの優しい言葉は、何億円だしても与えられない生きる力や勇気を与えます。
                      優しいの「優」という字は「人」に寄り添って「憂う」と書きますから、
                      相手の悲しみを一緒になって悲しむ心、思いやりの心、布施の心です。

                      同時に注意をしなければならないのは言殺(ゴサツ)と言い、言葉で人を殺すこともできます。
                      不用意に言った言葉に深く傷つけられたり 傷つけてしまったりした人もあるでしょう。

                      肉体の傷は治っても一生消えない心の傷もあるのです。
                      そんな心の傷に苦しむ人は同じ心の傷を持つ人に思いやりの心を持って自分があの時、
                      言って欲しかったこと励ましてほしかったことを、勇気を出して言ってあげましょう。
                      それはそのまま、あなたに返ってきます。
                      それは、「リターン愛I 」なのです。

                      形あるもの・お金や財産を施すことも 尊いですが、 大切なものは目に見えないもの
                      無形の財産を施せる人になりたいものです。
                      「施しは生きる力の元と知れ」なのです。



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                        利他行(業)愛他行(業)

                        1利他・愛他

                        お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                        ※行・業とは、
                        イ) 行為、所業、仕業、職業、仕事、こと(心)、有様、趣。
                        ロ) 苦労して成し遂げる事柄、生活のために行う仕事。
                        ハ) 人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。


                        利他愛他の活動

                        お釈迦様やキリストの教えで、他人の幸福や利益を第一の目的として活動することを、
                        利他主義 (愛他主義)と言います。

                        利他の行動は他者に利益を齎す行動から、
                        利己的行動に対して利他愛他)的行動と呼ばれます。

                        即ち、利他的な行動は、
                        相手の利益の増大のみを目的に行われる活動であり、
                        自分よりも他者が重要であると言う価値を内面化することよって齎されると言うことです。

                        一昨年の東日本大震災後に国民の人心に生まれた『自分の為より、だれかの為に』の心は、
                        まさしく利他(愛他)の心であると思います。

                        仏教では、人の為に何かをすることを「利他行」と言います。
                        それに対し、自分の為にする行を「自利の行」と言います。
                        利他と愛他は同一と捉えると「愛他行」とも言い表せます。
                        また、利他と自利は必ずしも相反するものではないと仏教では教えています。
                        真の利他行は、究極的には自利にもなるうることであり、
                        或いは本当の自利は、徹底した利他行によってのみ得られるとも説いています。
                        私は、このことを「情けは人のためならず」と解して、「リターン・アイ」と、称しています。

                        仏教における利他の精神は、更に悲心、即ち他者の苦しみに対して、
                        苦しまないようにしてあげたいという憐れみの心が根本となる教えがあります。
                        そして、利他行(他愛)を維持する原動力は、憐れみの心が出発点であるとも説いています。
                        このような「利他愛」と言われることは、「利他心」が己の身の丈に合わせ行うこととは、
                        多少意味が異なると思われます。

                        また、私見ながら「愛他」は「利他愛」に類似し、自分がいかなる境遇に置かれていたとしても、
                        他者の利の為に活動することであると捉えます。
                        喩え、恩を売る目的や相手の印象を良くし、
                        最終的に己の利益を得ようとする目的があるとしても、
                        その行動自体が他者の助けになるなら、
                        それも愛他(利他)の行動に含まれるとも解します。

                        この利他(愛他)の他に、似たような活動で援助行動があります。
                        それは他者が困難に陥っている時に、
                        自らが多少の犠牲を覚悟してその他者を助ける行動です。

                        また、社会的なルールや規律に従って行われる援助行動は、
                        向社会的行動(順社会的行動)と呼ばれています。
                        利他(愛他)の精神の修得やその活動をするには、先ず、自分の近しい人、
                        家族や親友、大切な人などに対して愛情を持つことです。
                        次は、自分に利害のない第三者に対し、
                        自分自身の近しい人に対するのと同様な愛情を持てるようにすること、
                        最後は、自分にとって害をなす人に対しても、近しい人に対するのと
                        同じような愛情を持てるようにすることです。
                        私達凡人は、この最後の行動をすることは中々出来ませんが、
                        このような気持ちで他者に接することが
                        利他(愛他)の精神の修得や活動に大切なのだと思います。

                        人は、全く無償の気持ちで人のために何かをしているかというと、やはりそうは言い切れません。
                        果たして、人は他人のために何かをしている時、何を期待しているのでしょうか。
                        自分への見返りになる、心や物でしょうか。
                        例えば、困っている人に何かしてあげようとする時、その人が楽になって欲しいと思うと同時に、
                        したことに対し感謝してくれることを期待しがちです。
                        でも、このように心の中に何等か見返りを望み求めながら生きて行くことは、
                        決して己の為に成らないと知ることこそが、利他(愛他)の精神の修得、活動であると
                        強く認識することが肝要です。


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                          思い遣り」「利他の心」を知る

                          思い遣り利他

                          お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                          私は、恥ずかしながら40代半ばになって初めて「利他」という言葉を知りました。
                          職場の先輩や人生経験の多い方々から「思い遣り」と言う言葉は良く耳にしてきましたが、
                          実践主義で読み書きの大嫌いだった私は、それをより深く知ろうとも思いませんでした。

                          この「利他」について学ぶ内に、「利他の心」を身に着ける為に「思い遣り」を
                          より深く学び知らなくてはならないと気付きました。
                          そうする中で、今迄の生き方に自責と後悔の念が生まれ、生き方に関する数多くの疑問が生まれ、
                          その後の人生に大きな影響を及ぼしました。

                          先ず、気付いたことは、「接客」や「おもてなし」の現場で自分の行って来た態度や言動は、
                          実はお客様への「思い遣り」を表現していたのだと言うことを知ったことでした。

                          「接客マナーは心の礎」に載せている様々なおもてなしの解説、思い遣りについて説明や各種シート、
                          チェックリストなどの殆どのものは、このような過去の体験や様々な学びに照らし合わせ、
                          その時のことを思い出しながら詳しく書けるようになりました。

                          また、その時から「マナー」は思い遣りを表わす所形だと強く意識するようになりました。
                          人として大切な、この「思い遣り」と「利他の心」を知り、身に着けることによって、
                          本当に様々な人や色々な物事、事象が見え理解るようになりました。

                          と同時に、「思い遣り」と「利他の心」はとても奥が深く、
                          死ぬまで学び続けなければならないと思えるようになり、現在も学び続けております。

                          また、人との触合い関わる仕事や客商売をしている方々や経営者に対しては、
                          周り人達に何と言われようとも、口先だけや形だけの思い遣りやおもてなし、
                          ホスピタリティの言動や態度をする人に対しては、時に要らぬ誤解を生むこともありますが、
                          敢えて厳しく接するようにしています。

                          それは、その人達への「思い遣り」だと確信し、
                          その本人が上辺だけの「いい人」にならないよう勇める意味もあります。
                          それが解らない人は可哀想で不幸な人だと思います。
                          現在の豊かで選択に戸迷う情報が溢れる社会状況では、
                          誰かが勇気を持って対人関係上の「思い遣りの心」の在り方や
                          武士道の精神である「礼儀・礼節」の表現方法を伝えない限り豊かで幸せな社会にならないし、
                          一人ひとりの幸福を掴む為にもならないと考え、心に鞭打ちながら行動しております。

                          前記したように「思い遣り」を学び知ることで、心の目(心眼)が持てるようになり、
                          多くの物事や人の心や態度が分析理解出来るようになります。
                          結論として言えることは、「思い遣りの心」に目を向けること、
                          そしてそれが何たるやを知ることが、惹いては「利他の心」に繋がることであり、
                          豊かで幸せな人生を歩むことになると言うことです。



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                            人として弁えておくへき「心と行動」



                            お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                            マナーの本質は「他者を気遣う」ことです。
                            私見ながらマナーは、「」の表現あると解し、利他の心を以って万人を慈しみ、
                            愛し思いやりの心であり、同時に利己的な欲望を抑えて礼儀を執り行なうことであると受け止めます。
                            大きく捉えると日本古来の「おもてなしの心」も意味するのではないかとも考えられます。
                            一般的にマナーには、公共のマナー(≒モラル)からテーブルマナー、ビジネスマナー
                            触合いのマナーなど様々な様式があり、額面通りに四角四面に解釈して
                            適用するルールやマニュアルではなく、人間が人としての幸せを掴み、
                            心豊かな社会生活を送る為や気持ち良く生活して行くための知恵です。
                            「他者を気遣う」という気持ちを所作※
                            ※所作=なすこと。行い。仕事。生業。仕草。
                            その場に応じた態度、身のこなし。又は演技。
                            として形式化し、目に見えるものとして誰らでも判り易くしたものがマナーです。

                            またマナーは、個々人の経験や知識・常識によっても価値観や捉え方による差異が生まれます。
                            マナーは一人ひとりが大切な相手やお客様を心地良い気持ちにし、
                            相手の利(利他心)を想い描きながら、不快に感じさせないように「思いやりの心」や
                            様々な方面から考えを巡らして行うべきです。

                            しかし「他者を気遣う(思いやる)」ということよりも、マナーの所作だけを捉えて【マニュアル化】し、
                            マニュアル通りに所作しているか否かでマナーの善し悪しを判断してしまう傾向が
                            随所で数多く見られます。

                            ビジネスマナーにもその傾向が見られます。その結果、指示命令や基準となる規範が
                            なければ行動を出来なかったり、マニュアルにない応対、対応力に欠けた応対や対処をしたり、
                            形式のみに拘り、何の為にするのか、何故行うかなど目的を考えることをしなかったり、
                            というような様々な誤った理解や弊害?が多く見られます。

                            また、挨拶を「マナー」ではなく、「規則」や「ルール」、「法則」として強制し、押しつけ行わせている
                            組織や店舗・企業も実際にあります。

                            マナーは、個々人が自発的にする「思いやり」である故に罰則はありませんが、
                            マナーの違反をすると「大切な人を失う」「不信」「失望」「愛情を失う」「信用や信頼を無くす」等々、
                            と言った人間としての様々な「心のペナルティー」や「人としての罰」が課せられます。
                            結論として、マナーは何なのか、どう言った内容なのかを知ることを怠ったり、
                            守らなかったりすることがマナー(ルール・規律)違反と言うわけです。

                            従って、個々人の心に差があるマナー自体をマニュアル化することは出来ないのです。
                            マナーを表し示すための様々な技法(テクニック)や所作はマニュアル化が可能です。
                            但し、何故行うのか、目的は何なのかなどを、明確に記しておくことを忘れないことです。
                            マナーは「形」である所作と「心」を共に身に着けてこそ生かせることを、確りと自覚しましょう。

                            身に着ける際に、一つひとつのマナーについて、このような形をするのは何故なのかを多方面から
                            分析し、理解し認識することをお勧めします。
                            特に接客・接遇の場では「マナー=思いやる心」を身に着け、
                            お客様や相手と接し触合うことにより、大きな喜びや感動、感激を味わえ、
                            ある時には相手に寄り添う優しさや相手の言動を許す忍耐、寛容の心と言った、
                            人としての大切な要素を身に付けることが出来るのです。

                            また、思い遣りに大切なのは、素直で謙虚な態度、
                            相手を敬い尊ぶ為のТPОに合わせた言葉使いです。
                            別な表現をすると、接客、接遇マナーは『接客、接遇の思いやりの所作』です。

                            そして、思いやりと利他心は相手の心を開く大切な≪key≫なのです。


                            ※因みにマナーを辞書検索すると、
                            【manner】=態度、礼儀作法、とあります。



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                              いじめ」の起因は

                              お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                              最近メディアで話題となっている「いじめ」について、
                              私見で記してみました。

                              いじめられる人、いじめる人、親の捉え方、教育者としての自覚と認識、
                              学校の取組み姿勢と意識、行政管理機関の取組み姿勢、社会環境などに
                              ついて様々な意見や見解が、新聞雑誌やマスコミでも取り上げられています。

                              そのような中、様々な有識者や評論家と言った方々が
                              何故起きてしまうのか、
                              これからどうすれば良いか、
                              どんな環境が望ましいのか、
                              教育者としてどう取り組むか、
                              大人としてどうあるべきか
                              社会としてどの様な対策が良いのか
                              と言ったようなことを盛んに論じられています。

                              あくまでも私見ですが、いじめの起因は、
                              心の基礎体力のない子が受ける]
                              [友達の少ない子が受ける]
                              [コンプレックスのある子が受ける]
                              [人として未熟な子供がする]
                              [自己顕示の強い子がする]
                              [認められることの少ない子がする]
                              [家庭環境の乏しい子がする]
                              [大人の個々人を優先する利己的な意識の優先≒大人のエゴ]
                              [親の無関心、過保護]
                              と言ったこと依るのではないか考えます。

                              そしてその対策も『人』がすると言う「人の」に戻って捉え、
                              考えるべきではないかと思います。
                              端的に言えば、いじめは『人間』として未熟な子供が引き起こすことであり、
                              その未発達な【心の基礎体力不足】に拠り、引き起こるのではないかと考えます。
                              いじめに限ったことではありませんが、善し悪しに関わらず社会生活の中で起きる何事も、
                              心を持った『人間』によって行われる捉え、その「原点」に回帰して思考し、
                              取組むと共に「心の体力創り」への対策が必要であると考えます。

                              同時に、ひとり一人の大人が先ず「自らを心と行動、環境を指差す」ことを起点として
                              様々な思考や行動を捉える必要があると思います。
                              今世界で活躍しているスポーツ選手ダルビッシュさん・イチローさん・香川さん・長友さん・北島さん・
                              澤さんなどは、先ず自分の心と向き合うことをから「心の基礎体力」を養うことをしています。
                              彼らに、確りとした目標と先々のビジョンがあるからこそ、自分から逃げないで己の心と向き合える。
                              それによって強靭な「心の体力」が作り出され活躍出来ていると考えます。
                              同時に、多くの人々に支えられていることを強く自覚し、感謝の表現伝達を決して怠りません。
                              社会人(親)である大人ひとり一人に、人としての確りとした【心の基礎体力】が備わっていれば
                              今回のような悲しい事件を多少なり防ぐことが出来たのではないでしょうか。

                              親子の場合は、この【心の基礎体力】は、
                              親が子に確りと向き合う姿勢態度とその時間を取ることにより培われ、育まれます。
                              また、その時に其の場凌ぎや曖昧さが感じられる言動態度は、
                              子供や他者に不安感を与え易いですから注意して避けるようにすることです。
                              同時に、人と確りと向き合う姿勢とその時間を取ることは会社生活に於いても疎かに出来ません。

                              いじめもこの【心の基礎体力】があれば加害者にも被害者にもなることはないでしょう。

                              大人(親)が子と向き合う時間を惜しまなければ素晴らしい大人に育つと思います。
                              向き合うとは、その相手に対し常日頃から本気で真剣に叱咤激励し、
                              互いの感性(喜怒哀楽)を共有・共感すると言ったことなどを言います。

                              今迄の体験から、いじめを受けた人に数多く見受けられることは、孤独で孤立しがちであり、
                              仕事は長続きせず、表に現れない利己心(自己中)が強く、
                              世間から爪弾きにされ凶悪な事件を犯してしまう人、
                              裏社会に住んでしまう人、暴力を振う人などに共通すると思います。

                              また、【心の基礎体力】を育むことは、いじめばかりか、すぐに諦めてしまう人、キレ易い人、
                              ニート、うつ病、様々な犯罪者などを未然に防ぐにことにも繋がると思います。
                              と同時に、震災復興と共に、これからの少子高齢化社会を生き抜く為にも必要とされることです。
                              何故ならば、この体力は「先ず人を思う」心、即ち『利他心』が礎となるからです。


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                                「利他の心」を学び知る

                                お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                利他心は他人の利益を重んじ、他人が利益を得られるように振舞おうとする人を思い遣る心です。
                                利他の心は自分以外の他人を利する心を言い表したものです。

                                それは、今生かされている己が存在しているのは、先ず自分の先祖があり、家族、親類、仲間、友人、
                                職場、地域社会、市町村、都道府県、日本、世界があると言う考え方が「元」になっています。
                                それ故に、自分を大切にし、家族を大切にし、友達を大切にし、同僚を大切にし、
                                協力して頂く会社を大切にし、お客様を大切にし、患者さんを大切にし、地域社会を大切にし、
                                地方の行政を大切にし、国民国家を大切にし、世界と人類を大切にすることに繋がります。
                                利己と言われ、我社はどうすれば利益になる、個人にとって何がいいかということではありません。

                                利他心を備え持ち生きると言うことは、一個人とか一企業の利害得失を超えて、
                                もっと寛大で崇高であり、人間にとって、世の中にとって何が一番良いことなのかを
                                考える生き方です。

                                成功を収めている企業人に必ず共通しているのは、
                                「利他の心」を常に内に秘めていることです。
                                それは、自分や自社だけの利益を考えるのではなく、一番に損得を考えず、
                                自己犠牲を払ってでも相手やお客様に尽くそうという精神であり、人間として最も尊く、
                                美しい心です。人としてこの心を備え持つことは、人と会社の成長に結び付くこと、
                                そして最終的に利益に繋がることを確りと自覚している故からと思われます。
                                利他心」は、前記したように他人を利することにより、自分を利することでもあります。
                                その他人を利するためには、先ず、自らの修養が必要不可欠なのです。

                                私はこのようなことを、「リターン・アイ」、即ち、他者に無欲(無心)行動したり、
                                与えたりした物事は、後に姿形を変え、必ず自分に戻って来ると解します。
                                また、良かれ悪しかれ自分のした行為は、形を変え自らに戻って来るとも解せます。

                                このようなことは、昨年の東日本大震災により何万と言う数多くの尊い命を失った被災地に於いて、
                                被災者の方達の「利他の言動」と「他行動」にも数多く表れています。
                                利他心と言うのは、見返りを望まず、求めず、総ての魂や生き物に発せられる「」だと思います。
                                親しい人に認められたい、大切にされたい、そしてされたいと願う人としての心だと思います。
                                そして、そういう時こそ人間は一番強いと言うことを実際に体験したり、見聞きしたりして来ました。
                                喩えるなら恋は、見返りだけではなく、「私だけ」「貴方だけ」という他者の排除も存在します。
                                それが崩壊した場合、もの凄い怒りや悲しみが生まれます。
                                拠って情の裏側に、憎悪や怒り、憎しみなども生まれてしまいます。
                                利他心の場合は、そうでなく自分に見返りがないところにする心を指します。
                                結局それは自分とは直接の利害関係のない人にも総て広がり、自然人々に広がる心です。
                                人間が弱いと感じるのは失業したり、或いは人間関係や恋愛とかで破綻したりする場合が殆どです。
                                また、自分が今まで慈しんだり、愛したり、信じたり、頼ったりしていた人などを失った時です。

                                このような利他心(他者に与えるという心)を形成することは、
                                人が持つ人間としての本質であると思います。


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                                  利他心」の大切さ

                                  お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                                  私達の住む日本は、
                                  戦後物凄いスピードで「ものづくり」をし、経済を成長させ、
                                  各家庭の生活環境、或は自動車の保有台数などの文化レベルも向上し、
                                  また一時GDPでも世界のトップクラスになりました。

                                  しかしながら、現在の日本社会は人間としてのモラルや感性の危機に遭遇していると思われます。
                                  今、人として成してはならない凶悪な犯罪や
                                  大切な命を自ら捨てる自殺の行為が低年齢化すると共に、
                                  モラルが欠如し、自らの心の自制が出来ず
                                  簡単に「キレる子供達」や「自己満足の為に他人を平気で傷つける犯罪」が
                                  増加する事態や、「イジメの陰湿化」と言うような社会現象として現れ
                                  「子供達の心が壊れ始めている」、
                                  「人の心の崩壊が始まっている」と警鐘する人も少なくありません。

                                  何故こんな利己心の強い日本社会になってしまったのでしょうか。
                                  戦後の復興の為、「モノづくり」ばかりに力を注いできてしまった報いなのでしょうか。
                                  それを紐解く方法の一つは、「利他心」日本独自の文化「おもてなし」や「武士道
                                  にあるのではないかと考えます。

                                  さて、ここの処、話題となっている中学生の飛び降り自殺を始めとした、
                                  いじめにより人として最も大切な命を自ら捨ててしまう子供達、
                                  幸い自殺に至らなくても仲間や人間不信に陥りその結果
                                  「引きこもり」や「登校拒否」などの社会現象として現れていると思います。

                                  同時に、総てとは申しませんが、
                                  教育関係者やその人達を管理する行政機関の方々に
                                  人としての心を感じられない自己保身の発言や行動が窺えてなりません。

                                  昨年の震災に伴って起きた原発災害を管理する東電関係者や国の機関、
                                  現在では国政を司る方々、身近では自己顕示の強い指導育成者などに
                                  共通しているのは「利己心」であると言っても決して過言ではないと考えます。

                                  団塊」の時代から「」の時代に入った現在、
                                  社会の中枢を担う大人の自分だけ良ければと言う、利己的な保身と安心安全を優先し、
                                  思考行動する身勝手な利己の体質が上記したような社会現象を引き起こす起因と
                                  なっているように思えてなりません

                                  若者達の多くは心優しくなると同時に、心の体力である忍耐力に乏しくなって来ています。
                                  同時に社会生活では個の生活を重んじ、会社では意思決定力に欠けるとも言われています。

                                  第二次世界大戦後、現在の恵まれた社会を築いてきた団塊の世代の人達は、
                                  「物質的、経済的に豊かになれば幸せになれる」と信じて頑張って来ました。
                                  その結果、実際に経済的に豊かになっていながらも、
                                  「満たされていない」「虚しい」「つまらない」と訴える人々は増加していると思われます。

                                  私達は、「本当の幸せとは一体何か?」と言うことを感じる取る暇もなく、
                                  対外的な思惑や結果・成果だけを追求して来たのかもしれません。

                                  また、自然災害が多発している最近迄、個人生活や社会環境の便利さ、
                                  快適さを追及する過程で、自然が破壊され悲鳴を上げていることも、
                                  私達の多くは気付かなかったと考えます。

                                  その結果として、効率や能率ばかりを追求している内に、
                                  人としての感性が鈍っていたように思えます。

                                  そして、深刻な自然の危機的状況に至り、
                                  慌てて環境問題を意識し始めたような気もします。
                                  子供達への教育も、高学歴優先の社会環境のままであり、
                                  知性や理性に偏り、モラルとも言える「道徳心」を育て、
                                  人としての豊かな「感性」を育むという視点が軽視されているように思われます。

                                  その原因の一つには、物づくりばかりを重視し、
                                  人として大切な「利他の心」を育むことに目を向けなかった、
                                  私達団塊の世代の子育ての仕方にも問題があったのではないかと考えさせられます。

                                  話しは変わりますが、
                                  日々の森羅万象の中に「ものの哀れ」を感じ取り、
                                  「他者を慈しみ」、「侘び・寂び」の心を大切にしてきた日本独自の文化は、
                                  正しく「感性の文化」です

                                  今この瞬間に感じ取ったことを、美しい和歌や俳句として表現した古の人達の
                                  素晴らしい感性は、日本が世界に誇れる感性の文化であると思います

                                  現在、その素晴らしい日本独自文化を「クールジャパン」と称され、
                                  世界中の人達の憧れとされています。

                                  何らかの書物に書かれていたか、或はネット上で見たか、記憶が定かではありませんが、
                                  「現代の日本人達は、最も大切な自分自身のことになるなんにも理解し自覚していない。
                                  自らの眼が外に向き他者の思惑や目を気にし、自分以外の他のものに目を奪われている。」
                                  と在りました。

                                  震災復興少子高齢化社会に突入した今こそ、
                                  私達は自らの目(眼)を内面的な「こと」である心と
                                  日本人としての自らの内面に気付き、
                                  感じ取るために「豊かな感性」を育むことに向け、
                                  努める必要があるのではないかと考えます。

                                  確りとした対人関係力(コミュニケーション力)を身に着けるには、
                                  先ず自らの心に目を向け、その心を鍛え、
                                  同時に日本人としての感性を磨くこと何よりも大切であると思います。
                                  その結果として他者を思い遣る心である「利他心」を育むことに繋がると考えます。
                                  平成天皇のおっしゃっている
                                  先ず、人を思う心」をひと時も忘れてはならないと思います。
                                  そして、その御心はこれからの厳しい時代を乗り越える大きな力に成ると信じます。


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                                    マナー」と「おもてなし」は、利他心を以って

                                    お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                    現在は日本の社会全体が豊かになり、あらゆる情報に満ち溢れてその選択に迷います。
                                    そして、人々の生活は会社や組織、物づくりを中心に考える団塊(集団)の生活から、
                                    個人を中心に考える生活、即ち個の時代、心の時代へと変わりつつあります。
                                    個人重視の生活においては、当然のことながら人と人との繋がりは欠かせません。

                                    昨年の東日本大震災、また平成七年に起こった阪神大震災の結果、共に被災した多くの人々が
                                    「震災で、心の繋がりを強くした」
                                    と話していたのが凄く印象に残りました。
                                    天災は結果として、地域社会の人々が忘れかけていた周りの人々を思いやる心の大切さを教え、
                                    震災にあわれた人々の心の繋がり、互いに支え合う結びつきを生み、
                                    現在の神戸の素晴らしい復興の原動力となりました。

                                    一方では、人々の心の中に「自分さえ良ければ」と思う利己的な考え方や自己顕示の意識が
                                    強くなりつつあることも否めません。
                                    更にわが国では少子高齢化が進み、経済状況が悪化し、格差社会になりつつあるのが現状です。
                                    このような自然現象や社会現象は、人と人とが利他の心である「互いに認め合う思いやりの心」や
                                    人との繋がりを失いつつあることに対しての警告に思えます。

                                    この厳しい社会情勢の今こそ,互いに「おもてなしの心」即ち「相手を思いやる心」を持ち、
                                    それを表現するマナーの大切さを強く自覚・認識し、
                                    日常生活や社会の中でそれを生かす必要があるのでないでしょうか。

                                    マナーは、日々様々な人々との出会いや触合いの場で相手を「思いやる利他の心」が源です。

                                    このマナーについて、実際に体験したことを引用して解説してまいります。
                                    ある日のことです。
                                    研修を依頼されたある会社の事務所に訪問した際、
                                    ドアを開け「こんにちは,ごめんくださいませ」と挨拶して、事務所内を見渡したところ、
                                    数人の事務の方が一斉にこちらをチラッと横目で見、
                                    その中の一人が座ったままで「どちら様ですか?」と聞いてきたことがありました。
                                    私は「基と申します、総務の○○様からお電話を頂戴しましので、お伺いしました」と伝えたところ、
                                    「ちょっと待ってください。今呼んできますから」と言い、
                                    そそくさと総務の方を呼びに行きました。

                                    また、別の同規模の別の会社へ同様な用件で訪問した際のこと、ドアを開け挨拶すると、
                                    事務所の中に居る全員が立ち上がり、こちらを向き,
                                    笑顔と軽い会釈で「いらっしゃいませ」と挨拶してくれました。
                                    そして、その中の一人が間髪を入れずにサッと立ち上がり、
                                    私の正面までススッと近づいて来て
                                    「失礼でございますが、どのようなご用件でございますか?」と訪ね、
                                    用件を伝えると、
                                    「作用で御座いますか。只今○○を呼んで参ります。
                                     どうぞこちらにお掛けになりお待ち下さいませ。」とソファーまで案内してくれました。

                                    この二つの会社の違いは、対面時における「おもてなし」の心の表現、
                                    言い換えれば「マナー」の有無に他ならないと言えます。
                                    一方、非対面時における代表的な事例として、電話での様々な応対があげられます。
                                    或る時のこと、携帯の契約内容や操作法について、販売ショップに電話をした時のことです。
                                    かなりの時間を要すると考えられるこちらの質問に対し、
                                    電話口に出た方が丁寧な口調で、
                                    「恐れ入ります、お客様にご質問にお答えするにはかなりの時間を要します。
                                     お客様の契約内容ですと,お客様の通話料金がかかってしまいますので、
                                     直ぐにこちらから折り返えさせて頂きたいと存じます。よろしゅうございますか?」と
                                    優しい応対をしてくれました。
                                    現在に至るまで、契約更新などで、何回となく通話をしましたが、
                                    このような応対を受けたのは初めてのことでした。

                                    これは、間違いなくお客様を思いやる心の表現であり、非対面時の心に響くおもてなしです。
                                    この会社を使っていて本当に良かったとツクヅク思い知らされました。
                                    日常でありがちな、折り返すと言っても、何分ぐらいでとか、時間も告げて来なかったり、
                                    今忙しいからと言って会話可能な時間を伝えてこなかったりする電話応対が多い中、
                                    当たり前のようで中々出来ない心のこもった気遣いの応対と言えます。

                                    非対面ながら、このようなマナーの行き届いたおもてなしと気遣いの電話応対は感動と余韻を与え、
                                    その会社への信頼の礎を創ることになります。

                                    このような事例でも明らかなように、心のこもったマナーは
                                    ビジネスの場やお客様との触れ合う接客接遇の場は勿論のこと、
                                    普段の生活でも円滑な人間関係になくてはならない大切なことなのです。
                                    思いやりを表わすマナーとおもてなしは、切っても切れない、強い結び付きを表わす「絆」です。


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                                      これからの日本に必要な「利他の心」と「利他愛」の精神

                                      お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                                      この度の東日本大震災が起こる前迄は、現在の日本社会は個の社会と言われて来ました。
                                      震災後、国内では「自分の為より、誰かの為に」と言った意識が国内に広まり、
                                      多くの人々の心に他者を思い遣る心が芽生え、自分のことだったら簡単に諦めてしまうことでも、
                                      「誰か他の人の為に何かをすることは諦められない、止められない」と言ったことが、
                                      数多くの日本の人々の心に生まれていると思います。

                                      このような「利他の心」をひとり一人が持ち生きることは、
                                      現在の厳しい社会を生き抜く為にも人としてとても大切なことであると考えます。
                                      このことは、常に相手のことを中心に想う日本独自の文化「おもてなし」を改めて
                                      見直すようになってきていることにも如実に表れていると思います。

                                      この「利他の心」は、人を思い遣る心であり、他人の利益を重んじ、
                                      他人が利益を得られるように振舞おうとする心です。
                                      人間としての本質の魅力は、功と徳を積み上げることによって得られる、と聞き及んでいます。
                                      それは、自分自身が魅力的な人に成りたいと思うことは至って良いことですが、
                                      そのように考えたり思っていたりでは本当の意味で魅力的になることは出来ないのではないでしょうか。
                                      むしろ「自分の為より、誰かの為に」と言った、他人を幸福にしよう、
                                      他者の心・意識や暮らしの向上を助けようという、いわゆる利他心の多い人の方がより魅力的に見え、
                                      自らの利ばかり追いかけている人はそう見えないという、逆説的な事実があると考えられます。
                                      それは、人は自分を幸福にしてくれる人を魅力的に感じる故、当然のことですが、

                                      人は一般的に自分自身のことより他人のことを考えることを比較的苦手にしています。
                                      よって、自分やその周りの人々を幸福にしてくれる人の存在は、希少価値が生まれます。

                                      このような「利他の心」を私なりの解釈をして、
                                      即ち<リターン・アイ(愛)>それは
                                      与えたものは、必ず何らかの形で自らに戻ってくる」ことであると考えられる。
                                      もう一つの解釈としては、
                                      人に無心で与えた物事は、愛と言う形で自分に戻って来る
                                      と言うことであると、説明しております。

                                      〇「利他愛」-岡田茂吉氏の言葉から

                                      ※この内容は、以前に接客などの指導で関わった会社の方からお聞きしたことを記禄したものです。
                                      従って記憶が曖昧であり、出典先は明確に出来ないことを記しておきます。
                                      以下は、お聞きした内容をメモとして記したものから転載しました。


                                      熱海にあるMOA美術館の創設者でもある岡田茂吉氏は、
                                      「自分が幸せになるためには、他人を幸せにすることがもっとも早道だ」としており、
                                      「自分がどんな困難な立場にあろうとも、人を幸せにしたい」とする想いを、
                                      端的に表現した言葉を「利他愛」と言う表現をしています。

                                      氏は、利他愛の実践は自分自身の魂の成長にとって必須条件で、
                                      その魂を成長させるためには「利他愛」の実践は不可欠なこととしています。
                                      自分自身や自分の家族のことを心配し、一生懸命になることは誰でも出来ることです。
                                      しかし、それによって魂の成長がなされるわけではありません。

                                      自分の利益とは関係のない無償の行為が「利他愛」です。
                                      「利他愛」は利己的、我利=利己愛と逆な心のあり方ですが、
                                      中には代償や見返りを計算した上での、「利他愛」も考えられます。

                                      例えば、「人のために尽くしているから、もうそろそろ自分にも好い事が起きるだろう」と思うことや、
                                      「自分には困ったことがあるので、解消するためにはどの程度人のために尽くせば良いだろうか」などと、
                                      先回りをして考えることですが、これらは、「利他愛」と「利己愛」の駆け引きのようでもあり、
                                      打算があってちょっと浅ましい(さもしい)感もします。

                                      「利他愛」は本来「無償の愛」が原点ですが、様々な感情のある人間では簡単には行きません。
                                      中には、そうした心になってから善行をしようと考える人や、
                                      打算が含まれた愛はむしろ我利に属すと判断する人もいますが、
                                      岡田茂吉氏は、打算が大きくとも、先ず実行を勧めています。
                                      そして、実行を重ねることで自然と魂に愛が拡がって曇りが消え、
                                      魂に輝きが戻るにつれて魂は向上し、魂が向上すれば無償の愛に向かって利他愛の心が強くなり、
                                      しかも自分が幸せになって行くと説いています。
                                      実は、本当に我利・我利の人は、そうした先回りの利他愛ですら眼中に無いのが実相であり、

                                      また、自分の心に無償の愛が突然に育つこともありません。
                                      何事でもそうだと思いますが、初心の頃は幼稚であり、稚拙(チセツ)です。
                                      かけ引きでも打算でも良いですから、とにかく良い事をしよう。
                                      「人を親切にしよう」などと実行し、継続することが重要だということです。
                                      ですから利他愛と利己愛の駆け引きをしながらも、人の為に良い何かを行為することを積み重ねて行くと、
                                      一歩一歩無償の愛に近づいて行くのが私達の実体であり、無償の愛もやはり、
                                      育てて行く心の形であると説いています。

                                      また、徳積みについては、何をやっても徳積みとなってしまう人と、その逆な人もいますが、
                                      それは本人の心の中の打算がそうさせると言うことです。
                                      打算が大きければ大きいほど徳積みのポイントは小さく、
                                      打算が少なければその分ポイントは高いために、極端な場合、
                                      同じことをしても 結果に差異が生じるということです。

                                      「利他愛」の行為は徳積みの本質であり、最初は計算づくであったとしても、
                                      そうした行為を日々続けて行く内に、有形無形の様々な感謝が徳となり本人に還り、
                                      本人の魂の位置が向上するからです。魂が向上する度、心の中の我利が消え、
                                      やがて無償の愛に昇華していくのです。
                                      そして、利他愛とか無償の愛という意識さえ消えていくだろうと岡田茂吉氏は説いています。

                                      〇社会の大部分の愛は「利己愛」

                                      さて、利他愛について知るために、利他愛の反対である利己愛について考えてみます。
                                      この利己愛を観察することで、利他愛について深く知ることができる筈と聞いています。
                                      “愛”というと真っ先に思い浮かぶのが恋愛です。
                                      恋愛が如何に心地良く、楽しく心弾ませるものであるかは、今更説明する必要のないことです。

                                      例えば、一生を神に捧げようと固い決心をした筈の独身の修道者を、
                                      人間の持っている情の世界に堕としめ引き戻してしまうのが恋愛です。
                                      このように恋愛の喜悦は、麻薬のような恐ろしい力を持っています。
                                      勿論、恋をする二人は、自分達の愛の純粋さを疑いません。

                                      しかし、そうした一見素晴しく感じられる恋愛も、実は本能から出たものであることが分かります。
                                      恋愛感情の深層には、相手を独占したいという支配欲が根を下ろしています。
                                      恋愛感情が最終的に行き着くところは、相手を独占することです。
                                      ですから激しい恋愛であればあるほど、その裏返しとして強い憎しみや苦しみが伴います。
                                      恋愛に付き纏う苦しみは、総て自分の所有欲・独占欲に原因があるのですが、
                                      恋愛感情の麻薬的甘さの中にある時は、中々それに気がつかないのです。
                                      恋愛は本能的感情なので、本人達の心を支配しているのは、好き嫌いという本能的な思いです。
                                      そうした利己的で自己中心的な感情を、多くの人々は愛と錯覚してきました。
                                      この本能に由来する恋愛感情は、長続きせず、いつか必ず冷めるようになっています。
                                      そして恋愛感情が冷めた後には、必ず苦しみが生じるものです。
                                      その苦しみは恋愛感情の激しさに比例して当人に返ってくるようになります。
                                      その苦しみによって利己愛の間違いを知り、本当の愛の何たるかを知ることができるならば、
                                      恋愛は真の愛を知るためとなる。
                                      しかし恋愛感情に流されたままで、魂や心が成長することは殆どありません。
                                      この恋愛に代表される「所有欲・独占欲」と「好き・嫌いの感情」による関係が恋愛ばかりでなく、
                                      地上で愛と言われるものの実態です。

                                      人は相手のためと言いながら、本音では自分を中心とし、自分の思い通りになることを願い、
                                      自分や自分の家族のための利益を求めます。
                                      勿論誰も、わざわざ意識的に自分だけの利益を求めようと考えているわけではありません。
                                      意図的に相手を独占しようと思っている訳ではありません。
                                      本人は相手のために尽くしているつもりでいるものの、無意識の内に独占欲や支配欲が
                                      心を占めてしまうことがありますが、これは無自覚の内に、我知らず自然となってしまうことです。


                                      以上、以前に記録したメモから転載した内容です。

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