接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  名言・仏教や宗教から学ぶ

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
2017新タイトル

サービス業やおもてなしに関わる方,コミュニケーション,対人関係などの心と技に関連することを載せてます

ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s


当ブログに御訪問戴き、誠に有り難うございます。

書き始めて10年目に入り、人との和,思いやりの投稿を選び心の礎“和”と“思いやり”を開設しました。

≪お知らせ≫

当ブログは,読者の皆さんが記事を見付け易いよう,記事の右にあるカテゴリーに記事を別け整理しました。




 「仁」を紐解く

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

仁1
以前放映されたテレビ映画「JIN‐仁」は、現在でも世界中で沢山の人達に
多くの感動を与え続けていると聞いております。
どうしてそんなに人の心を動かすのでしょうか?
それは、世界中の人々に「仁の心」が伝わるからではないかと思われます。

私見ですが、この『仁』の文字を【二人の人】と解します。
即ち、一人称の自分と二人称の他者が対象の対人関係力の一つであると考えます。
また、本人と支えている人の二人とも解せます。

『仁』の文字は

①「自分と他人」
「自分ともう一人の自分(思考の選択に戸迷う自分)」
「強い自分と弱い自分」
「人」+「二」で組立てられ、それは自分と他の人(二人称)を表わしている。
即ち、自分自身と他者、二人の人間を意味すると解します。

②『自分』と『他人』
「生きている自分」と「生かされている自分」
「人を愛する自分」と「愛されたい自分」
「利己」と「利他」
「認める自分」と「認められる自分」
「親切な自分」と「無関心な自分」
「与える自分」と「求める自分」(物・魅力・心)
「感謝する自分」と「感謝される自分」

③『自分』と『もう一人の自分』
「人間の善悪二つの心」
「強い自分」と「弱い自分」
「明元素な自分」と「暗病反な自分」
自他に「優しい自分」と「厳しい自分」
「無関心な自分」と「共感する自分」
「楽に過ごす自分」と「楽しむ自分」


※二人称
話し手(書き手)に対して、聞き手(読み手)をさし示すもの。
日本語では、「あなた」「あなたがた」「きみ」「きみたち」など。

※辞書に「仁」は以下のように記されています。
[思いやりの心を持つこと。仁義・真実・まこと・誠意。慈しみ、思いやり。]
人を思いやること、これは内面的なもの、 詰り、心(気持ち)の事を意味しています。
孔子の『論語』で、お互いが慈しみ合う姿で「仁」を行うことが、「義」「礼」「智」「信」の【徳】を実践する
最終の目的とされています。

(備考)仁の解説 [以下Wikipediaより引用]

仁(とは中国思想における徳の一つ。仁愛。
特に儒家によって強調されており、孔子がその中心に据えた倫理規定、人間関係の基本。
主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、儒教における最重要な「五常の徳」のひとつ。
また仁と義を合わせて、「仁義」と呼ぶ。
儒学を大成した孔子は、君子は仁者であるべきと説いた。
性善説に立つ孟子は、惻隠(そくいん)の心が仁の端(はじめ)であると説いた(四端説)。
この惻隠の心とは同情心のことであり、赤ん坊が井戸に落ちようとしている時、
それを見た人が無意識に赤ん坊を助けようと思う心であると説いた。

なお、孔子は、『論語』の中で「仁」について明確な定義をおこなっておらず、
相手によって、また質問に応じて様々に答えている。
言い換えれば、儒家の立場においては「仁」とは
人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を
意味するものとして考えられてきたのであり、八徳の「孝」や「悌」、「忠」なども
『仁』の一つの表れだと主張されている。

[以上引用終り]

【仁】
人を思いやることに素直にあれ
人を思いやること、これは内面的なもの。
詰り気持ちの事を意味しています。
「思いやの行動には示さなくていい」と 思われる人が
いるかもしれませんが決してそうではないと思います。
孔子は『論語』で、
「仁」を以って最高の道徳であるとしており、
日常生活から遠いものではないが、
一方では容易に到達出来ぬもの、と説明がなされている。
ある場合は「人を愛すること」と説明し、
顔回(ガンカイ)の質問に対しては「克己復礼」こそが、「仁」である。
=私心を克服して礼を重んじること。
即ち「己に克ちて、礼を復むを、仁と為す」と孔子は答えています。
前者は外部に対する行為を指し、後者即ち顔回に対する答えは
自身の内なる修養のあり方を指している。

具体的な心構えとしては、
「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」
がよく知られています。
即ち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、
利己的な欲望を抑えて礼儀をとり行うことです。

以上学びのメモより転載。


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    利己・自己顕示と現代社会

    お薦め度【★★★★】全業種、業態用

    自己表現&克己復礼green


    日本では、21世紀になって、
    人前で堂々と化粧をしたり、
    電車やバスの中で食事をしたり、
    多くの人達が通行する公の場所で目的もなく、
    しゃがみこむ人が目に付きます。
    「どんなことをしようが私の勝手でしょう」、
    「公道だから、俺の自由だろ」
    などと、その人達は思っているのでしょうか。
    このような利己的で自己中心の行為は、
    礼を重んじる日本人の振る舞いとは言えないと思います。

    普段、何気なくしているこのようなことが
    自分の周りの人達に不愉快な思いをさせ、
    自分の気付かない迷惑をかけているのに、
    何故気が付かないのでしょうか。

    このようなこと自己中心的で利己的な行為は、
    多分、自分の中にある「当たり前」の基準が
    社会生活上で不適応なっているのでしょう。

    また、一方では自分をより強く表現するための
    様々なパフォーマンスや意識が重んじられ
    接客やおもてなしの過剰とも言える演出、
    人の目を意識し過ぎた行動や所作、
    自らの心を隠した作り笑顔、
    と言ったことに重きを置く社会になりました。

    その結果、相手のことを思い考えることより
    利己的な自己表現や保身意識が強まり、
    例えば【いじめ】を受けている子供が
    SОSを発信していてもそれに気づかず、
    大切な命を自ら亡くすことになったり、
    集団で【いじめ】をして罪をなすり合ったり、
    する行為が多く見受けられるようになりました。

    このように行動を「自ら律する」ことが出来ないのは、
    日本の社会全体が侘び寂びの心の表現よりも
    パフォーマンスを重視するようになり、
    個人優先意識が強くなり、個々人の姿勢や行動、
    心も含めた自らの自己顕示欲が強まり己を「律する」ことよりも
    己の心を「開放する」ことに重点を置いてきた
    結果なのではないかと考えられます。

    個の社会になり、
    人は繋がって生かされ、生きていられると言う
    人間関係の根底にある、個々人の自らを「開放する」
    自己主張や自己顕示意識が強くなった結果、
    「認められたい」と言う意識が高まり
    「律する」ことがお座成りになってしまっているのかも知れません。

    2011年の東日本大震災時に、
    世界中から「律する」ことを称賛された日本です。
    少子高齢化社会に突入した現在、
    高齢化で人口減少の社会で生き抜き、
    世界中の方々を「おもてなし」する上でも、
    私達は今こそ、己を律する【克己復礼】の心で
    思考し、活動する必要があると思います。

    また、現代社会は、
    『礼』が疎かになっていると様々な処で感じられます。
    例えば、上司や目上の方・年長者との会話で、
    腕組みや足組みをして聞いていたり、
    目上の方への承諾を「了解しました」と返事をしたり、
    喪中なのに「新年おめでとうございます」
    と言った挨拶言葉を平気で使ったり、
    目上や教えを受ける人に「参考に成ります」と平気で話したり、
    教えて貰うだけでそのあとの経過を返さなかったり、
    先人への節度の無い言葉使いや無礼な態度だったり、
    このようなことを成さない社会人が増えていると思われます。

    即ち、利己的な『礼』を尽くさずとも生きて行けると
    安易に考える人が意外と多いのではないでしょうか。


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      日蓮『八風の戒め

      (仏教学びのメモより転載)

      お薦め度【★★★★】全業種、業態用

      8つの風

      八風とは、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽のそれぞれの人の心に吹く風を指します。

      日蓮大聖人は、
      「賢人は八風と申して八やつの風にをかされぬを賢人と申すなり。」
      楽なり。心は利有るによろこばず、をとろうるになげかず等のなり。
      此の八風にをかされぬ人をば天はまほらせ給ふなり。」
      (四条金吾殿御返事)と、四条金吾に対してお手紙を認(したた)められました。

      四条金吾の信仰が深まるにつけ、周りから嫌がらせ、
      中傷を受け、主君からも誤解され、数々の冷遇を受けました。
      信心堅固の四条金吾も、信行の道は険しかったのでした。

      案じられた大聖人は、励まし、時には戒め、温情溢れるお言葉を与えています。
      法華経の修行者は、喩え如何なる事態に遭うとも、即ち、
      八つの風に侵されても、決して動じてはならない。
      どのようなことがあっても動じない人を賢人と言い、必ずや天の守護があるであろう。
      と、訓(さと)されたお手紙です。

      では、その八つの風について考えてみましょう。

      1.「」(うるおい)・・・目先の利欲にとらわれる姿
       利の風=物心両面にわたる潤いの風。
       利することがあれば嬉しい、しかしいつまでも続くとは限りません。執着しない。

      2.「」(おとろえ)・・・老衰や生活に破れた姿
       衰えの風=心身、仕事など衰えてくると、弱気になるものです。
       人生、山あり谷あり、一喜一憂しない。ことに老い、病は人の定め、受け容れる。

      3.「」(やぶれ)・・・・他人に批判されて自己の信念を変えてしまう姿。
       毀れ、挫折、失敗の風=多くの人は落胆し、虚しさを覚えます。
       失敗は人生につきもので、七転び八起きの精神で、その風を受け止める。
       挫折、失敗は、人を磨く砥石です。

      4.「誉強調文」(ほまれ)・・・・名聞名利にとらわれ、我を忘れた姿。
       誉れの風=誇りとするに足る風が吹けば、喜び、有頂天にさえなる。
       油断禁物、常に己を戒めて行くこと。

      5.「」(たたえ)・・・賞賛されて増上漫になり、自分を見失うことをいう。
       称えの風=誉め、称えられれば、これまた喜び、過ぎると慢心になります。 
       謙虚でありたいものです。
       とかく人は「おだて」と「もっこ(担がれること)」には、すぐ乗りたがります。
       最高の状態にあって尚、己れを戒めるということは、容易なことではありません。

      6.「」(そしり)・・・他人からそしられ、自分を見失うことをいう。
       譏りの風=非難、中傷の風。譏られれば、良い気持ちはしないものです。
       特に身に覚えが無い場合は、尚更です。
       「成らぬ堪忍、するが堪忍」という言葉がありますが、堪えがたきを堪え、
       忍びがたきを忍ぶ修行は大事です。

      7.「」(くるしみ)・・・人生の苦境に負けてしまった姿。
       苦しみの風=生きるということは、苦しいものです。
       「譏りの風」同様、多くの苦しみ、試練を乗り越えてこそ人は強く逞しく成長するもの。
       苦しみの風に、振り回されないようにしたいものです。

      8.「」(たのしみ)・・・享楽に負けてしまった姿。
       楽しみの風=嬉しいものです。しかし、いつまでも続きません。
       くれぐれも、楽しみの風に振り回されないようにしましょう。
      以上、8つの風について述べました。

      一切衆生は四順を愛欲し、四違を忌避しようとするために煩悩に侵される。 
      四順(利・誉・称・楽)四違(衰・毀・譏・苦)

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        」を「」に生かす

        お薦め度【★★★★】全業種、業態用

        礼に始まり1

        現代社会は、『』が疎かになっていると感じられることが様々な処で見聞きします。
        例えば、
        目上の方や上司との会話で、腕組みや足組みをして聞いていたり、
        目上の方への承諾を「了解しました」と返事をしたり、
        喪中なのに「新年おめでとうございます」と言った挨拶言葉を平気で使ったり、
        目上や教えを受ける人に「参考に成ります」と平気で話したり、
        教えて貰うだけでそのあとの経過を返さなかったり、
        先人への節度の無い言葉使いや無な態度だったり、
        このようなことを成さない社会人が増えていると思われます。

        即ち、利己的な『』を尽くさずとも生きて行けると
        安易に考える人が意外と多いのではないでしょうか。


        以下、『』の大切さについて以下、学びメモと論語から記します。

        新渡戸稲造氏は、その著『武士道』で、
        礼は寛容にして慈悲あり、礼は妬まず、礼は誇らず、驕らず、
         非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を思わず


        また、江戸中期の儒学者太宰春台氏は、
        は目で見え難いが、義は行動となり、礼は形となって表れ目に見える。
        従って、礼を厳しく躾ければ、その過程でなぜそうすべきか解り、
         悪い心を持った人間でもその行儀作法と共に、心も自ずから正しくなっていく

        とそれぞれ著書のなかで記しております。

        」は、「」によって育まれた気持ちを『礼』に依って形とする。
        」のみであってはいけませんし、「」なくして『』はあり得ないということです。

        即ち、「」は「」を具体的な行動として、表したものです。
        元々は宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味し、
        後に、人間社会の上下関係で守るべきことを意味する。

        孔子の論語の中にある以下の語に「」の心が窺い知れます。

        礼を学ばざれば、以って立つことなし。』 [季子第十六]

        礼を知らざれば、以って立つことなし。』  [尭曰第二十]

        [原文の意味・解釈]
        孔子は長男の伯魚に、庭先で「礼」を学ぶことを強くすすめた。
        「礼」を知らないと、人格形成が出来ず、人間関係が上手くいかないからだ。
        伯魚の告白によれば、直接の父である孔子から教えを受けたのは、
        庭先で会って「詩(学問)の勉強」と「礼の勉強」を薦められた。
        この二つだけだったと言っている。
        さしずめ現在ならば「庭先での教え」は家庭で親が子に教える「躾教育」と言ったことです。
        また、孔子は「礼儀作法」を重んじた。
        「礼」を知らない「無礼者」になるな。
        【引用終り】
        」とは「礼儀作法」のこと。
        今流に言うと「礼儀」は、「マナー」と「モラル(倫理・道徳)」、
        「作法」は、「ルール」「規律・規則」と言うことでしょう。


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          思い遣りの心『無財の七施

          お薦め度【★★★★】全業種、業態用

          人間力七施


          私達は行き先の見えない社会環境の中に在り、
          古より伝わる素晴らしい日本の文化を、
          【温故知新】の心で見直す必要があります。
          その一つは、お釈迦様の仰っている「仏教の教え」であると考えます。
          いつの世でも、人は自分を含め誰もが幸せに成りたいと考え、そして願っています。
          本当に幸せに成りたければ、日々幸せの種を蒔き続けねばなりません。
          幸せの種の一つ、「思い遣り」の心で、自分も相手も幸せな道を歩むことが出来るのです

          日本には、このような素晴らしい教えがあります。
          どんな境遇の人でも、少しの思い遣りの心を
          持てば実践出来る布施を「布施行」と言うそうです
          そしてその総ての親切な行いを「布施」と言うそうです。

          仏教には、「ありがとう」「おかげさま」の感謝の気持ちを
          行動で表す身近な実践として、
          「雑宝蔵経」(ぞうほうぞうきょう)に説かれている、
          無財の七施』と言い表しています。
          その七つの施し(布施)は、【施しは、自らの生きる力の元と知れ
          を表現する言葉だと解します。

          私達が周りの人々を幸せな気持ち(心)にさせる為には、
          思い遣りの心とも言える『無財の七施』を以って
          人々と接することである、と受け止めます。
          私見ですがこの『無財の七施』は、
          まさしく【利他の心】ではないかと考えます。

          ※仏教の布施は、元来お金や物を与えること。
           布施の「布」は分け隔てなく、遍く(アマネク)、
           「施」は文字通り施し与えるという意味です。


          お釈迦様は、喩え物やお金がない人あっても
          誰もが出来る「布施行」を教えとしています。


          ★『無財の七施』と「にんげん力」

          他者と「向き合う」-認める活動『無財の七施』.
          人としての認める活動と仏教の教えである
          「無財の七施」は、関連していると解します。
          認めることは、その原点だと解します。

          1.眼施 (ゲンセ)☛※1.人眼力
          触合う相手に、温かな優しい眼差しで接する。

          2.和顔施(ワゲンセ)☛※3.人現力
          又は和顔悦色施(ワガンエツジキセ)
          明るい笑顔(表情)、優しい微笑をたたえた笑顔(柔和な顔)で人に接する

          3.言辞施(ゴンジセ)☛※2.人言力
          触合う人々へ、心を込めて思い遣りの優しい言葉をかける。
          思い遣りの篭った温かい言葉をかけながら生きること。

          4.身施(シンセ)☛※3.人現力
          人の為、社会の為に肉体を使い懸命に働くこと。
          ボランティア活動(無料奉仕)。身体による奉仕をすること。

          5.心施(シンセ)☛※4.人原力
          いつも「ありがとう」「お陰様で」などの感謝の表す言葉と態度、
          思い遣りの心を込めた態度と言葉使いで人々と接すること。
          人や他の物の存在に、感謝の心で触れ合い接すること。

          6.牀座施 (ショウザセ)☛※4.人原力
          謙虚さに徹し、場所や席を譲り合ったり、
          会話上でお互いに譲り合ったり、遜ったりする心です。

          7.房舎施(ボウシャセ)☛※4.人原力
          わざわざ訪ねてくる人があれば、
          一宿一飯の施しを与え、労をねぎらいお世話する。
          転じて、心温かなおもてなし。
          今風に言えばホスピタリティの活動。


          ※の解説
          ※1.人眼力
          人を見る(診る・覧る・観る・看る・視る)目・眼力
          ※眼力=物事の善悪・真偽・成否などを見抜く能力

          ※2.人言力
          心を表現出来る言語力と適正な言葉使い

          ※3.人現力
          自らの人格、意思、意識、
          ビジョンが明確に表現、伝達出来る力

          ※4.人原力
          人の持つ様々な心と思考力。気持ち。
          物事を思考し、判断、表現する時の原点と捉える。
          思いやり、ホスピタリティ(おもてなし)の心を持ち、
          表現伝達の基礎とされるマナー修得。

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            忘己利他

            お薦め度【★★★★】全業種、業態用

            忘己利他1

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              一隅を照らす「実践3つの柱」

              お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

              一隅を照らす12

              年に一度の年の瀬だからこそ、自らの行いを振返って見ましょう。
              【天台宗一隅を照らす運動】より転載

              1.生命

              私達は人間に生まれたことにまず感謝し、
              先祖や両親から受け継がれてきた生命の中で
              生かされていることを自覚しましょう。

              そして未来に生きる子供達のために、
              私達は先祖によって培われた
              正しい人間のあり方を伝えて行きましょう。

              また、大自然のあらゆる恩恵に感謝すると共に、
              それらの生命の大切さを知り、
              新しい命の誕生を心から祝福しましょう。

              2.奉仕

              普段から何事にも「ありがとうございます」と言う素直な感謝の気持ちと、
              「おかげさま」「お互いさま」と言う助け合いの心が大切ではないでしょうか。

              奉仕は仏教でいう布施の精神を実践することで、
              見返りを求めない無償の活動です。
              地域はもとより世界中が平和に暮らすには、
              常に弱者の立場に立って物事を考え、行動することが大切です。

              慈しみと思いやりの心を家庭内に育み、
              出来ることから家族皆で心を合わせて
              協力して奉仕活動を行いましょう。

              3.共生(きょうせい)

              自然の恵みに感謝しよう「もったいない」と一人ひとりが
              地球を大切にする気持ちを表わす。

              美味しい空気、清らかな水、大地から与えられる食物や天然資源、
              これらの恵みは私達が生きる源です。

              これらは決して無尽蔵ではありませんから、
              家庭や職場では節水や節電など省エネルギーを心がけましょう。

              また、増え続けるゴミの問題は深刻な地球環境の悪化を招いています。
              先ず私達が一つひとつの物を大切にし、家庭内からのゴミを少なくすることが大切です。
              そして使える物は出来るだけリサイクルしましょう。

              このような私達の身近な取り組みが地球に優しい生活の第一歩です。

              共に生き、共に生かされるという精神で、
              かけがえのない地球を次代へ継承していきましょう。

              この一隅を照らす「実践3つの柱」を常に心に留め、実践することにより、
              大自然の恩恵に対しても、人や物に対しても、何事にも「ありがとう」と言う
              感謝の気持ちが培われます。

              そして周囲に対して感謝と尊敬の心を以って
              自然に接することができるようになるでしょう。

              この3つの柱に添った活動は、忘己利他(己を忘れて他を利する)、
              少欲知足の精神に適った行いです。
              自分や家族の「一隅を照らす」行いは、皆の身近なところ(一隅)にあり、
              身近なことから始める(照らす)ことが活動の第一歩です。

              小さな行いの積み重ねが、周りによい影響を及ぼし、結局は最終的に回り回って
              自分達に還ってくるのです。
              詰り、そうすることは自分の為であり、引いては将来に向けて我々の子孫の為の
              利他行であると言えるでしょう。 

              一人ひとりが「一隅を照らす」ことは、
              自他の幸せを心から願い、お互いに照らし合う運動です。


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                実践徳目の「八正道

                お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                八正道-1

                お釈迦様が最初の説法で説かれた
                八種の実践徳目の「八正道」で今年一年の自分を振返って見ましょう。
                自分と真摯に「向き合う」ことは成長の源です。

                【正見】
                自己中心的な見方や、偏見をせず中道 (一方に片寄らない、真ん中という意味ではなく、
                その時々の真理の条件・立場に合った最善の方法)の考え方の見方をすること。

                【正思】
                自己本位に偏らず、真理に照らし物事を考えること。
                例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)
                瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)
                愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通す邪な心)
                という「意の三悪」を捨て去り、物事を考えること。

                【正語】
                恒に真理に合った正しい言葉使いや正しい言葉で書き表すこと。
                社会生活の上で慎まなければならない事で
                妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・
                悪口(破壊的な悪口)綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)
                という「口の四悪」を行わないということ。

                【正行】
                本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。
                仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・
                偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)
                という「身の三悪」です。

                【正命】
                衣食住その他の生活財を正しく求めること。
                人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。

                【正精進】
                自分に与えられた使命や目指す目的に対して正しく励み、
                怠りや脇道にそれたりしないことで、捉われ過ぎたり偏った精進は
                かえって逆効果になる場合があります。

                【正念】
                正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、
                物事の真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。

                【正定】
                心の状態が真理に照らし正しい状態に定まること。
                腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。


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                  受けた恩は心に刻み、かけた情けは水に流す

                  お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                  知恩・報恩・恩送り

                  古より、日本人は受けた恩や情けについて意識が高い国と言われています。
                  そこで、「」について記してみることにします。
                  ※「」とは、めぐみ、いつくしみのこと。

                  自分が恵みを受けていることを自覚することを「知恩」と言い、
                  また、恵みに報いることを「報恩
                  誰かから受けた恩を、自分は別の人に送ることを「恩送り」と言います。
                  そしてその送られた人が更に別の人に渡す。

                  そうして「」が世の中をぐるぐる回って行くとこと。
                  この「恩送り」では、親切をしてくれた当人へ親切を
                  返そうにも適切な方法が無い場合に第三者へと恩を「送る」。
                  恩を返す相手が限定されず、比較的短い期間で
                  善意を具体化することができると言われています。
                  その結果として、社会に正の連鎖が起きるのです。
                  この「恩送り」は、語彙として「恩返し」にも当て嵌まると考えます。

                  恩送り」と意味が重なる別の表現『情けは人の為ならず
                  が古くから日本人には確り定着している。
                  情け(=親切・お世話・施し)」は、いずれは巡り巡って(他でもない)自分に
                  良いことが返ってくる(だから、人に親切にしておいた方が良い)」という意味です。

                  この様な、「恩送り」や「情けは人のためならず」といったモラル・常識は、
                  人間社会が古くから備え持っている良識の一つとされています。

                  ただし、現代の先進国では人々が、こうした良識やモラルを忘れがちになり、
                  一人称で物事を思考する「個」が優先し、極端に利己的で自己中心的になる傾向があることや、
                  それが社会的に見ると様々な害(反社会的活動・犯罪・ハラスメント・自殺等)を
                  引き起こしていることは日本の社会でも度々指摘されています。

                  大切な年の瀬に、もう一度今迄の自分自身と向き合い、
                  受けた恩や受けた情けとその恩返しについて自らの行動などを振返り、
                  今年一年を顧みてみるもことをお薦めします。


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                    心を養い育む「十徳」

                    お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                    心の原点

                    日本人の心の原点とも言える仏教十の徳目をまとめてみました。

                    ・・。人を思いやる心。慈しみ。最高の徳
                       身近な家族→親戚→社会 と、近くから遠くへと秩序立てて広める。

                    ・・正を貫く心。善悪、正邪、真偽。人道に従うこと、道理にかなうこと。
                       を広める形。親への孝、兄や年長者への悌、君主への忠、社会には。これが道・正

                    ・・敬意を表す心。社会秩序を保つための生活規範、儀式、儀、作法、節。
                       を学ぶことが、学。儀を身につけた人を、学のある人という。
                       を実行して社会から頼される人、そんな人が、学のある人

                    ・・正しい判断を下せる能力。正しく豊富な知識と経験、洞察力が加わったものが慧。

                    ・・心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心。

                    ・・頼する心。言葉で嘘を言わないこと、相手の言葉をまことと受けて疑わないこと。

                    ・・親や先祖を大切にする心。想いはかること、工夫をめぐらすこと。親孝行すること。

                    ・・兄弟仲がいいこと。

                    ・・は二種に分けられる。
                       一つは、他者からの迫害や侮辱あるいは自然災害や病気などによってもたらされる
                       苦難に対して堪え忍んで怒らず、動揺しないこと。
                       これは布施などとともに、福徳としての重要な善行と考えられている。
                       もう一つは、「無常」、「無我」、「空」、「縁起」などで表現される
                       仏教の真理において心が堪え忍ぶこと、即ち真理に対して不動で安定している。
                       慧としての忍によってこそ、あらゆる苦難を忍ぶことができる。

                    畏れ・・(オソレ)を仏教では五怖畏(ゴフイ)と示します。
                        不活畏、悪名(アクミョウ)畏、悪道畏、死畏、大衆威徳(ダイシュウイトク)畏で、
                        人間が生きていく中での五つの畏れです。私達は健康で長生きしたいという、
                        生を肯定した日々の生活ですが同時にその生の肯定には生の不確かさ不安を抱えています。
                        詰り死に向かっての日常生活の中で現れてくる不安、畏れです。

                    ※この一つひとつを学び、仕事や実生活に生かすことはとても大切です。

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                      遣い遣いの違い

                      お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                      気と心

                      配り配り配り、手配り、身配り配り遣い遣い働きは、
                      日常の人との触合いは勿論、人の付加価値が大切な、おもてなし接客接遇に欠かせません。
                      或る時に、日本料理店で接客の仕事をしている方から、

                      遣い遣いの違いは何ですか?』と、質問されました。

                      「それは<>と≪≫の持つ意味を知ることです。
                      <心>は、言うまでもなく、人として誰もが持っている心、即ちその人全てを現すものです。
                      ≫は、元気などの生命力、勢いの意味を持つ一方、気持ち、気分、意思と
                      言った精神的な用い方、その場や場面の環境、状態、状況、居心地、雰囲気を意味する時に用いられます。
                      その他に精神的な面で、気にする、気になる、気が散る、気に障るなどのように使われます。」
                      と答えました。
                      この問いは、お客様に接客し、もてなす上での心得としてとても重要な質問だと感じました。

                      また、接客やおもてなしの場に限らず、毎日何気なく使っている≪≫を
                      含んだ言葉の持つ意味を知っておくことは、普段の人との触合いや大切な人との
                      人間関係や繋がりにとても大事なことなのです。
                      (参考)

                      以下、気配り、気遣い、気働きの気を含んだ言葉と心遣いについて、
                      大辞泉の解説に私見を交えて載せておきます。

                      【気配り】
                       あれこれ気を使うこと。手抜かりがないように注意すること。心づかい。配慮。
                      [類似語] 
                       ・目配り・配慮・心遣い・気遣い・恩顧・留意・ケア・デリカシー・細やか・濃やか・気を配る・関心

                      【気遣い】
                      1 あれこれと気をつかうこと。心づかい。心遣い。「どうぞお心遣いなく」
                      2 よくないことが起こるおそれ。懸念。「情報が漏れる気遣いはない」
                      [類似語]心配・不安・心遣い・親切・注意・洞察・配慮

                      【気働き】
                      気が利くこと。機転。
                      [類似語]・気遣い・機転・機知・親切・目配り・料簡(リョウケン)

                      【心遣い】
                      1 あれこれと気を配ること。
                      2 物事がうまくいくように気をつかうこと。心配り。配慮。
                      3 祝儀。心付け

                      [類似語]注意深い・心・配慮・親切・優しい・面倒をみる

                      ※気は「元気」などの生命力、勢いの意味を持つ一方、気持ち、気分、意思と言った精神的な
                       用い方、その場や場面の環境、状態、状況、居心地、雰囲気を意味する時に用いられます。
                       精神的な面で、気にする、気になる、気が散る、気に障るなどのように使われることもあります。
                       また、諺にある「病は気から」の「気」は、本来中国哲学の気に由来していますが、
                       「気分」「元気」の意味に解され、誤った使われ方をされている場合があります。


                      【以下学びメモより引用】
                      (1)気は空気状のもので、天地の間に遍満して流動変化すると共に、
                        人の身体の中にも満ちていると考えた。
                      (2)気は天地万物を形成し、かつ気が生命力、活動力の根源であって、
                        人の身体的、精神的諸機能もすべて気から生ずると考えた。
                      (3)陰(いん)なる気と陽(よう)なる気、あるいは五行(ごぎょう)
                       (木火土金水)の気という2種類または5種類の気を考え、
                        この多様な気の配合、循環などによって事物の異同や生成、変化を説明した。
                      (4)これらの多様な気の本(もと)となる根源の一気を考えてそれを元気(げんき)と称し、
                        元気による万物の生成を説いた。


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                        学びの修得

                        お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

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                        私達は、日々生かされ、生きていると数多くの学び言葉に出逢います。

                        ましてや溢れるばかりの情報社会の現在、

                        己を知り、認め、その器にあった学びを選択し

                        我が身に修めつつ、自らの生き様に活かす

                        それこそが、自らの心に生かされた「真の学び」だと解します。


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                          五現」と「五原

                          お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                          「心・技・体」と向き合う

                          ◇自分を知り、認める為の「五現」と「五原」◇

                          己のを知り、認めるために、一般社会で三現主義現場・現物・現実】の三つの現と共に、
                          現況(認識)・現状(認識)】 の二つの現は、決して切り離すことが出来ません。

                          同時に、【原義・原点・原因・原則・原理】の五要素で己のを診ることも大事です。
                          このことを私見ながら五現」と「五原と、表現します。

                          ★【現実】己のの【現実】を直視し、現況、現状を正確に把握し、
                           その現実を【原義・原点・原因・原則・原理】の五つの要素で思考、分析し、
                           今の自分に合わせて適切な対処対策を実施すること。

                          ★【現場】実生活上での【現場】(生き様)に於ける、己のの現況、現状を確り見つめ、
                          有りの侭に正確に把握し、生きて行く中で起きている事実を【原義・原点・原因・原則・原理】の五つの要素で思考、分析し今の自分に合わせて適切な対処対策を考えて、
                          重視度(優先順位)つけ実行に移す活動をする。

                          ★【現物】己のの【現物=知情意の知】の姿、現況、現状(状態)を正確に把握し、
                          その現実を【原義・原点・原因・原則・原理】の五つの要素で思考、分析し
                          今の自分に合わせて適切な対処対策を実施する。


                          (参考) 「五原」夫々の意味

                          【原義】=その言葉が本来持っていた意味。元の意味。原意=もとの意味。本来の意味。

                          【原点】=物事を考えるときの出発点。
                           ※原点回帰=自分が原点であると思った場所に帰ること。初心に戻ること。

                          【原則≒法則】=多くの場合に共通に適用される基本的な決り。
                           顧客やクライアントの立場に立ち、顧客目線・顧客意識で見たり考えたりすること。

                          【原理】=事物・事象が依拠する根本法則。基本法則。
                           様々な不の要素を引き起こすメカニズムや製造・販売条件、製造・販売環境などの
                           多角的に機能を知り認識すること。

                          【原因】=ある物事や、ある状態・変化を引き起こす元になること。また、その事柄。


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                            四苦八苦」&「八正道

                            お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                            四苦八苦8正道

                            おもてなしや接客業に必要とされる人として大切な心や思いやりや利他心を学ぶ過程に於いて
                            仏教、儒教やキリストの素晴らしい教えに触れなければなりません。
                            以下の「四苦八苦」や「八正道」も、人として大切で必要な学びだと解します。
                            私は、利他心を学んだ頃より、八正道の中で特に正語」「正行に心掛けるようにしております。


                            ※以下、「仏教の教え」と「天台宗一隅を照らそう」より一部引用
                            とても苦労した時や苦悩した時に「四苦八苦」すると表現します。
                            人間のあらゆる悩みのことを指して「四苦八苦」≒仮説108の煩悩(4×9≒36)+(8×9=72)といいますが、
                            では具体的に四苦八苦とはどのようなことをいうのでしょうか?

                            人生の苦の内容を紐解いてみると、
                            一寸先がどうなるかわからないという未来への不安の苦しみがあり、
                            それから万事自分の思うようにならないという不満の悩みがあります。
                            この二つが合わさって「苦」の原因になっているのです。
                            そして、この二つとも自分が中心にあります。
                            「苦」というものをどこまでも自分の問題として考え、
                            「苦」の本質を四つに分けて説明していました。
                            詰り、
                            ・欲望に基づく「苦」
                            ・無知に基づく「苦」
                            ・人間存在そのものに根ざす「苦」
                            ・無常に基づく「苦」
                            の四つですが、この内「欲望」と「無知」から苦が生じるというのは解り易く、
                            人間は欲望が満たされないから苦を感じます。

                            また、そうした欲望が自分の内側に向けられると、
                            自己矛盾や自己否定を引き起こしますが、
                            どうしてそうなるのかが分からないから一層大きな苦を感じてしまうという訳です。
                            「四苦八苦」は、三つめの「人間存在そのものに根ざす苦」のことです。
                            この「四苦八苦」は仏教の根底となる教えです。

                            先の四つの苦、これは時間的な苦悩で以下の「生・老・病・死」をいいます。
                            (しょう)--生きるということは苦である
                            (ろう)--老いていくことは苦である
                            (びょう)--病にかかることは苦である
                            (し)--死ぬということは苦である
                            まず、この世に生まれて来たという苦しみがあります。
                            「生」とは「老・病・死」を統括したものだと言う考えです。
                            詰り、生まれて来たから、老いの苦しみがあり、
                            病の苦しみがあり、死の苦しみがあるということです。
                            生まれて来たこと自体が苦しみの始まりであると言う考え方です。
                            次の八苦ですが、これは八つの苦があると思っている人が多いようですがそうではありません。

                            最初の時間的の四つの苦に、空間的の
                            愛別離苦(あいべつりく) 愛するものと別れるのは苦である
                            怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎む者と会うのは苦である
                            求不得苦(ぐふとっく) 求めても得られないのは苦である
                            五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊とは色・受・想・行・識のこだわりの苦しみ。
                            の四苦を加えて八苦とするので、四苦の他に八苦があるのではありません。

                            まとめると苦とは、自分ではどうにもならないことを言います。
                            人間は、「必ず移り変わるもの」を「永久に不変のもの」と錯覚し執着します。
                            一時の喜びや、楽しみは、いつかは消え、必ず「苦しみ」が付き纏って来るものです。
                            酒や遊びで一時逃れをせず、確りと「現実」を見据えて
                            「苦」を正面から受け止めるようにすることです。
                            人間は、四苦八苦を経て成長するとの教えがあります。

                            釈尊は四苦八苦を含め「」を滅する方法として八つの正しい道「八正道」を解き明かしました。
                            これが、正見正思正語正行正命正精進正念正定の方法です。
                            これらすべての方法に「」の字がついていますが、
                            正しい」とは「真理に合った」・「調和のとれた」考えや見方、行動をさし、
                            小我「自分本意」にとらわれて、自分自身を過大評価し、
                            不平・不足・不満などの苦の種をつくらない大きな立場で物事を判断できる
                            人間となる事を示す道として解き明かしたものである。

                            また、ものの見方には現象に現れた差別の見方や前記した大きな立場からの
                            「平等だけの見方」のどちらに偏っても正しい見方とはいえないのです。
                            ここでなぜ「平等」の見方だけで正しくないのかという疑問が湧くかもしれませんが、
                            物の本質として現象に千差万別の差別の実相を現すには、
                            それなりの原因や条件があり理由があり無視する事はできないのです。
                            このように差別の見方にも偏(かたよ)らず、平等の見方にも偏らない、
                            両者を総合したとらえ方が本当の「正しい」見方や捉え方と言えます。

                            これを仏教では「中道」といいますが、これは一方に片寄らない、
                            ちょうど真ん中という意味ではなく、その時々の真理の条件・立場に合った
                            最善の方法の見方や考え方という事です。
                            この考え方や見方は法華経の「妙」を現すものです。

                            正見
                            自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。

                            正思
                            自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。
                            例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)
                            瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)
                            愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)
                            という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。

                            正語
                            恒に真理に合った言葉使いをする事。
                            社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)
                            両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)
                            綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。

                            正行
                            本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。
                            仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)
                            偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。

                            正命
                            衣食住その他の生活財を正しく求める事。
                            人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって
                            生計を立ててはいけないこと。

                            正精進
                            自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道に逸れたりしない事で、
                            捉われ過ぎ偏った精進は反って逆効果になる場合があります

                            正念
                            仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、
                            ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。

                            正定
                            心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。
                            腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
                            ※上記の「八正道」の法門は、釈尊が人生苦というものに対する考え方や
                            その「苦」に対処する実践方法を解き明かされた大切な法門です。
                            深く心に刻んで頂きたいことです。

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                              克己力を身に着ける

                              お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                              己に克つ1

                              己に打ち克ち、克己利他克己復礼の心を育むためのシートです 

                              使い方

                               イ)自分自身を次の内容でチェックしてみる。
                               ロ)必要性ランクと必要性を選択してから、自分に必要な項目を拾い出す。
                               ハ)その項目を優先順位や重要度別にカスタマイズする。
                               ニ)カスタマイズした項目に習得期限を付ける。
                               ホ)自分のオリジナルなシートを作り、チェックする日程を決め行う。


                              1. 煩悩に打ち克つ
                              (ア) 異常な食欲を持たない
                              (イ) 異常な物欲を持たない
                              (ウ) 異常な性欲を持たない
                              (エ) 異常な怒りを持たない
                              (オ) 異常な行為や物を求めない
                              (カ) 異常な望みを持たない
                              (キ) 異常な負けず嫌いにならない

                              2. 欲が出た時自分は裸で生まれ出たことを自覚する
                              3. 妬まない
                              4. 感情の自制(コントロール)が出来る
                              5. 己の様々な身の丈を再認識する
                              6. 怖れ慎む心を持つ
                              7. エゴイストにならない

                              8. 利他心を備える
                              (ア) 先ず他人のことを思う、考える
                              (イ) 他者へ貢献することに積極的である
                              (ウ) 自己啓発活動に取組める
                              (エ) 他者の成長に繋がることに前向きさがある
                              (オ) 親切心を備え持つ
                              (カ) 謙虚さと素直に徹しられる
                              (キ) 愛他心を備える 
                              (ク) 利己主義(自己チュー)にならないよう己を省みられる
                              (ケ) 先ず相手の利を想い、己の利益を考えない

                              9. 必要以外の自己顕示をしない
                              10. 行き過ぎたプライド、大きくなり過ぎた不要な自尊心は持たない
                              11. プライドをひけらかさない
                              12. 我が侭を言わない、通さない
                              13. 己を省み、指差す
                              14. 立場転換意識で己の言動、態度を省みる

                              15. 己の当たり前を振返り、見直す
                              16. 他人ごとに過度の介入をしない
                              17. 柔軟な思考、発想が出来る
                              18. 八正道を備える(正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定)
                              19. 年齢相当なモラルを備え持つ
                              20. 揺るぎない信条、信念を備え持つ

                              21. 身の丈に合った判断力を備え持つ
                              22. 不屈の精神を備え持つ
                              23. 明確な志を備え持つ
                              24. 無理押し、無理強いをしない、
                              25. 物事に固執しない、

                              26. 無理な我を通さない 
                              27. ストレスとしっかり向き合える
                              28. 向上心を持ち果敢にチャレンジ出来る
                              29. 逆境に強く、立ち向かえる 
                              30. 自己と自律した発想を持つ

                              31. 勇気を振り絞り、逃げずに立ち向かう 
                              32. 小さな成功体験を確実に自分の経験値として蓄積する 
                              33. 初心を忘れない 
                              34. 故意に生き物を殺さない 
                              35. 与えられていない物を自分の物としない

                              36. 正直で嘘をつかない
                              37. 余計な批判批評をしない
                              38. 中身の無い言葉を話さない 
                              39. その場凌ぎをしない 
                              40. 他人を仲違いさせるようなことを言わない 

                              41. 生かされていることを認識する
                              42. 見栄を張らない
                              43. 誤った見解を持たない 
                              44. 乱暴な言葉を使わない 
                              45. 競争心をモチベーションとしない

                              46. 誤った見解を持たない 
                              47. 乱暴な言葉を使わない 
                              48. 倫理感を維持する(道徳心・コンプライアンスを保有する)
                              49. 競争心をモチベーションとしない
                              50. 意識行動を自重する、忍耐力を持つ



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                                克己は利他心の礎

                                お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                                克己西郷

                                「己に克つ」と言うこと

                                世の中で成功している人は、必ずと言っていいほど強い克己心を持っています。
                                そしてそれは、人として大切な思いやりとも言える利他心の礎であると思います。
                                克己心(己に克つ心)』の原点は、
                                自分の力はまだまだ不十分という自覚を持つことです。
                                自分を周りとの比較で見つめているだけだと、この克己心を持ち続けることは困難です。
                                スポーツの世界や勝負の世界でも、周囲との比較はさほど最重要ではないと言われます。
                                何故なら、超えるべき相手、超えなければならない相手は敵ではなく己自身だからです。
                                現在活躍しているサッカーやプロ野球などの選手の殆んどが「克己心」を意識しています。

                                それは、その克己心の内側にある
                                自分を高めたい。弱い自分に打ち克ちたい
                                という情熱やチャレンジ向上心からだと思われます。

                                人は、地位や名声、成功が続いけば続く程、周りのことを考えず自己保身に走り、
                                己を指差すことを忘れがちになり、自らを磨き高めることを忘れてしまう弱い面を持っています。
                                しかも、その弱さは常々自らの心の内に芽生えます。
                                人は、何事に於いてもある程度のレベルに達すると不思議なもので
                                知らず知らずの内に向上心や自分を指差すことを忘れるようになってしまいます。

                                また、下記のような様々な煩悩に打ち克つ際にもこの克己心が必要とされます。
                                 (ア)異常な食欲を持たない
                                 (イ)異常な物欲を持たない
                                 (ウ)異常な性欲を持たない
                                 (エ)異常な怒りを持たない
                                 (オ)異常な行為や物を求めない
                                 (カ)異常な願望を持たない
                                 (キ)異常な名誉欲・プライドを持たない
                                 (ケ)異常な負けず嫌いにならない・・・など。
                                一人の人間としてもこの様な煩悩を自制、コントロールすることも重要だと思います。


                                (参考) 【出典引用・孔子「論語」顔淵篇】

                                克己復礼(こっきふくれい)
                                己に克ち、礼に復る

                                自分の良心、理性に従って様々な欲や私心、煩悩を省き、
                                それによって精神全体の調和へと復ること。
                                人間がその人格を高めるための手段。
                                孔子の説く礼は一般に言われるような社会の規範や規則のような表面的なものではなく、
                                真の意味での礼である。
                                礼の本来の意味は「心から自ずと生ずる自発的規範」であるということが重要なのであり、
                                これは私欲に覆われぬ心、即ち良心と一である。
                                また、己に克つとは欲や私心に克って本来の自分に復ることをいう。
                                単に世間の規範に従うというだけならば、外にあるものに従うだけのことであるから、
                                己というものは少しも必要はない。
                                だが、真の意味での礼に適うということは、
                                確固たる自分というものを持っていなければ決して為すことはできないのである。


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                                  知足】を学び知る

                                  お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                                  知足熟語

                                  私は人生の後半になってから、やっと学び得られた言葉があります。
                                  その一つが「足りることを知る」を表わす【知足】(ちそく)です。
                                  団塊の世代と言われる私達は(私だけ?)、どうも「足りる」ではなく、
                                  「足りない物やこと」即ち「不足」していることばかりを追いかけ、
                                  その不足することをどのように補い、修正し、正しく導くかと言うことを
                                  柱にして生きて来たように思えます。

                                  改めて、若かりし頃から壮年に至る迄の自分自身を振り返り考えてみると、
                                  接客する人を見ては、「あの人には、〇〇〇が足りない」、
                                  お店については、「あの店には〇〇〇が不足している」、
                                  並んでいる商品を見ては「あの商品には〇〇〇が足りない」
                                  などと、ネガティブなマイナス要素ばかり見付けることばかりで、
                                  人や物事を捉えて来てしまったような気がします。
                                  今更思えば、ポジティブに人や物事の優れている(足りている)処は、
                                  敢えて度外視して過ごして来てしまったなぁと思っています。

                                  社会環境が欧米化してきた20世紀後半から、
                                  優れている処を伸ばすコーチングスキルが注目され、
                                  普及してきたのもその表れだと受け止めています。
                                  知足利他】即ち、知足の心と利他の行いに眼を向けていたら、
                                  きっと違う世界が見え、現在までの生き方も変化したのではないかと考えています。

                                  さて此処で「足りることを知る」を表わす『知足』を含む四文字熟語について記してみます。
                                  この熟語は、教えられること、気付かされることの多い文言です。

                                  【知足利他】
                                   足ることを知ると言う心が齎す、感謝と謙虚さを元に、他人を思いやる利他の行いをすること。

                                  【知足不辱】
                                   自分の分を知り、それで満足をすれば辱めを受けないということ。

                                  【知足安分】
                                   満足することを知らないと、どんなに豊かであっても安らぐことがないということ。
                                   置かれている状況を自分に見合ったものとして不平不満を抱かないこと。
                                   足りることを知り、分に安んずること。   

                                  【安分知足】
                                   高望みをせず、自分の境遇に満足すること。

                                  【小欲知足】
                                   欲が少なく、わずかなもので満足すること。

                                  【吾唯足知】
                                   人は欲張らず、今の自分を大切にしなさいということ。

                                  「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」ということです。
                                  このような『知足』は、己を指さし、の現況に見合った姿(分)を弁え、
                                  人の持つ欲をその人の分相応に合せ、抑制することを指すと解します。
                                  また、その人やその組織に合わせた適切な取組方法や手段、商品作りにも繋がると考えます。
                                  今風に言えば、ブランティングの創造にも、『知足』の精神は必要であるとも思えます。


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                                    我人生に影響した言葉

                                    お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                    武者小路実篤・道


                                    最近特に、今迄生きて来て様々な人に巡り合い、色々な言葉に出合ったことよって
                                    生かされ生きていられる己があり、現在の自分自身があると改めて思い知らされています。

                                    その中で、私の心と生き方を大きく変え、今も大切にしている言葉について書いてみます。

                                    若かりし頃は、武者小路実篤氏の
                                    この道より我を生かす道はなし、この道を行く。』の言葉に支えられ、

                                    中年からは、作詞家山口洋子さんの道の詞
                                    『枯葉の舞い散る道も、吹雪の道でも、望みひとつ抱いて僕は歩いてきた。
                                     どんなに辛い仕事も、冷たい他人にも、笑顔忘れないで僕は生きている。
                                     行方も知れない河や夕陽の谷間を、長い影を踏んで真っ直ぐに進む。
                                     男には引きかえす道はない、傷ついて草むらに倒れても、輝く朝日を目指して行く』
                                    という言葉に勇気づけられながら生きて来ました。

                                    そして、壮年になりとある会社の飲食部門に
                                    御縁を頂いた時に、「利他愛」と言う言葉を知りました。
                                    実はこの「利他愛」の言葉が、その後の人生や仕事ばかりか、
                                    この心の礎のブログを書くことに大きな影響を及ぼすことになりました。

                                    また、その数年後に知ることになる「大切な人の大切を、大切にする」と言う言葉を
                                    理解する為やその後に関わる仕事やそれからの人生で私の心の礎にもなりました。

                                    この「利他愛」は始めて耳にした言葉なので、先ず「利他」と言う言葉の意味を知らなくてはと考え、
                                    辞書に頼りにその意味と利他の心について調べました。
                                    また、「」についてはなんとなく理解出来るように思いましたので調べませんでしたが、
                                    この「」も大きな意味があることに後々気付かされることになります。

                                    辞書によると、この「利他」の意味は、次のように記されてあります。

                                    1. 他人に利益となるように図ること。
                                      自分のことよりも他人の幸福を願うこと。
                                    2. 仏語。人々に功徳・利益を施して救済すること。
                                      特に、阿弥陀仏の救いの働きを言う。

                                    次に「利他心」は、

                                     実用日本語表現辞典に下記のようにあります。
                                     ・他人の利益を重んじ、
                                      他人が利益を得られるようにと振舞おうとする心。


                                    このように載っていることから「利他」の心は、「人を思い遣る心」であると解しました。
                                    さて、その時ことを思い返してみると、私は辞書で利他についての予備知識を得たものの不安になり
                                    利他愛」について色々と思い悩んだ結果、携わった会社で親しくさせて頂いている方に
                                    どういう意味のことなのかを教えて頂くことにしました。

                                    利他愛」とは、
                                    「自分が幸せになるためには、他人を幸せにすることが最も早道である」
                                    と言うことであり、
                                    自分がどんな困難な立場にあろうと、人を幸せにしたい
                                    と言うことを端的に表現した言葉だと教わりました。

                                    其の時に、ふと閃いた言葉が
                                    リターンアイ≫(他者にしたことは自らに戻る)です。

                                    後に知ることになった自利利他の言葉もそのことから理解出来るようになりました。

                                    この利他愛の精神は、これからの厳しい環境が予想される日本にとって、思い遣りを形として
                                    表しているおもてなしの作法やマナーに限らず、
                                    普段の人との触合いのある生活でもとても大切な心であると考えます。

                                    と同時に利他の精神は、親が子、子が親を殺傷すると言った悲しい事件多発していることや
                                    人々が利己に走ったり、モラルが低下したりしていることを防ぐ為にも
                                    大切にすべき人としての心であると考えます。

                                    一般的なマナーは、相手を「思い遣る心」を表わす形と言われます。
                                    言い換えると、仏教の教えでもある「利他の心」を表現することと同様の意味があると解します。

                                    私は宗教に無関心ですが、素晴らしい諸宗教の教えの数々は万事に通じると思っております。

                                    今迄に出会った経営者で成功を収めている人に共通していることを思い返してみると、
                                    その方達は夫々に他者を思い遣る「利他の心」を持ち、行動している言う点が思い浮かびます。
                                    それは、自分や自社だけの利己的な利益を考えるのではなく、社会への様々な奉仕精神を
                                    持ち備え(自己犠牲)相手に出来る限り尽すと言う、人として最も尊く、
                                    美しく素晴らしい心であると考えます。

                                    例えば我社(自店)にとってどうすれば利益になるとか、私個人にとって何が利になり、
                                    何が良いかということではないと考えます。

                                    それは、一つの企業とか個人の利害や得失を超えたものであり、もっと寛大であり気高く、
                                    人々にとって、社会とって何が良いことなのかなにを成すべきかを考え、
                                    行動する生き方ではないかと思います。

                                    一昨年の震災後、日本国民の多くが「自分の為より、誰かの為に」と言う、
                                    利他の意識になり、行動をしていると様々な情報からも窺い知れます。

                                    現在の私達は、温故知新の心で、古より日本独自の文化であるおもてなし
                                    様々な習慣を振返り、見直すべき時にあるのではないかとも思われます。

                                    21世紀の日本は個の時代とも言われていますが、個々人が夫々の個性を磨き、
                                    自らが自らの意思を決定し、復興や社会に貢献する時代になるのではないでしょうか。

                                    利他の心は、人生や人との触合いの原点であり、おもてなしの心の礎であると思います。
                                    と同時にいつでも、忘れてはならない人としての大切な心であるとも思われます。


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                                      ボランティアと「自利利他

                                      お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                      仏教「四摂事(シショウジ)」

                                      【以下、学びのメモより引用】

                                      仏教の教えで、ボランティア活動を「四摂事(シショウジ)」と言います。
                                      仏教でのボランティアの根本精神は、自らを生かし、
                                      他者を生かすという「自利利他」のことを指しています。
                                      この「自利利他」の心を日々持ち続けることは、社会人に限らず
                                      サービス業に従事する物にとっても、とても大切な心得であると思われます。

                                      この四つの実践法は、「布施・愛語・利行・同事」から解釈できます。

                                      布施」は、
                                       一切の見返りを求めずに、自分ができる「もの」でも「心」でも、
                                       惜しみなく他者に分け与えることを自然に何気なく行なうこと。

                                      愛語」は、
                                       愛のある優しく温もりのある言葉を掛け続けること。

                                      利行」は、
                                       己の身と口と心を使う実際的なエネルギーを発信する活動のこと。

                                      同事」は、
                                       相手と同じ立場に成りきって、意識や目線を持ちコラボレーション「協働」する、
                                       パートナーシップのこと。

                                      この「自利利他」は、自分のことはさておき、この様な行を人の為に
                                      何かをしなさい、と言うことではなく、
                                      自分を生かすボランティアをしている人は、他者も生かすことができる。
                                      真の自利の精神があってこそ、利他の心が機能するということを表わしています。

                                      人は、自分が溺れていては、溺れた人を助けられません。
                                      ゆったりした「中道」の心で自分を活かし、相手を生かす。
                                      これが、仏教のボランティア活動にとって、とても大切な「生き方」だと説いています。

                                      ◎「自利利他

                                      伝教大師最澄(767~822)の「自利とは、利他をいふ」の言葉は
                                      他人に利益となるように図ることが利他、自分のことよりも他人の幸福を願うことが利他、
                                      人に良かれと思い、行動することが利他、利他を実践して行きさえすれば
                                      いつかは自分の利益になるではなく「利他の実践そのものが、自分の幸せなのだ

                                      即ち、自利と捉えられると解します。
                                      この「自利利他」の実践におけるで「利他行」は
                                      人に良いことをする利他行自体が幸福であり その利他は、巡って自分自身に返る
                                      リターン・アイ】と、捉えられると思います。
                                      また、自利利他をより深く知ることで「利他行」の大切さが再認識出来ます。
                                      日々の仕事は、「利他行」そのものと言っても良いのではないでしょうか。
                                      同時に、それは自利利他であると解せます。


                                      ※【自利利他】大辞林より。
                                      自利と利他。自らの仏道修行により得た功徳を自分が受け取るとともに,
                                      他のための仏法の利益をはかること。自行化他。自他。


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                                        を以って貫く」 

                                        お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                                        人生仁

                                        の【恭・寛・信・敏・恵】の徳※の実践

                                        は、主に他者を思い遣る心、即ち「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、
                                        儒教における最重要な「五常・義・礼・智・信)の徳」のひとつです。
                                        また、と義を合わせて、「仁義」と呼ばれてもいます。
                                        一般人は元より、サービス業に従事する者にとっても、この「」の精神はとても大事です。

                                        とは、
                                        人間性を構成する多様な精神要素から成り立ち、
                                        気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが、
                                        個々の徳目と位置付けられています。


                                        孔子「論語」に、思想の真髄は「仁」にあると言えるほど頻繁に登場してきます。
                                        また、孔子は、門弟達が「仁とは何か」と尋ねる度にその人夫々に応じた答え方をしています。

                                        では、私達はこの「仁」をどのように理解すればよいのでしょうか?
                                        孔子の言う「仁を以って貫く」ことの「仁」の意味は、
                                        「相手に対する思いやりの心」です。

                                        孔子は、次の【五つの徳※】が身に着けば『仁』とは何かが自然に解ると説いています。

                                        】(きょう)は、
                                         恭しく(うやうやしく)身を慎めば、人から侮(あなど)られることはない。

                                        】(かん)は、
                                         心を広く持てば、多くの人が集まってくる。

                                        】(しん)は、
                                         信用を重んずれば、仕事は任せてもらえる。

                                        】(びん)は、
                                         ぐずぐずしないでテキパキと片付ければ仕事は捗る。

                                        】(けい)は、
                                         人に恩恵を与えられる人ならば、黙っていても人を動かせる。

                                        では、「思い遣り」「恭しく(ウヤウヤシク)」「信用」「ぐずぐず」
                                        「テキパキ」「恩恵」とはどんなことを言うのでしょうか?
                                        それ何かどんなことかを学び知り、理解することが「心の基礎体力」を身に着けると言うことです。
                                        大変でも、その心の基礎体力の具体的な心の持ち方、言葉や行為を知ることで
                                        今迄見えなかったことが目に見え、理解出来るようになると今迄生きて来て解りました。

                                        その結果、人物を見る心眼が備わると共に、他人の行為の裏に隠れている心も見えてきます。
                                        即ち、心の基礎体力対人関係力を育む【原点】なのです
                                        私達は、この原点を知り、認識することに目を向けなければならないと思います。



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                                          因果応報」≒「自業自得

                                          お薦め度【★★★★】全業種、業態用
                                          因果応報
                                          現在に至る迄、私は波乱万丈な人生を生き、
                                          この二つの言葉に、身にせまされることがあります。

                                          せめて、利他の心を以って僅かでも己の過去の罪滅ぼし、
                                          今迄無事に生かされ、生きて来られた世の人への恩返しを
                                          出来る限りして行かなければならないと思う今日この頃です。
                                          その一つとして、
                                          誰もが知っていることで「心の礎」となるであろう
                                          様々な人としての「心の基礎体力」(≒心の基礎知識)や
                                          「対人関係上」に必要と考えられることについて
                                          多くの体験と学び得たことを此処に載せております。


                                          その中には、当然だ、当たり前だということがあるかと思います。
                                          でも、人の原点に戻って謙虚に「学びは、人の為ならず
                                          と自らを省み学び知ることも様々な情報が溢れ過ぎ、
                                          それが物凄く速い現在の社会では必要とされると思います。

                                          対外の対人関係力ばかりに眼が向けられる今の御時勢です。
                                          そのような時代だからこそ人としての「心の礎」、
                                          即ち、人の心の原点となる「心の基礎体力」を
                                          一人ひとりが確りと身に修める必要があると思います。
                                          僅かでも、そのお手伝いが出来たらと考えています。

                                          以下、仏教の教えより引用

                                          釈迦様は「因果」の法を説かれます。
                                          「因果」とは、「原因」とその「結果」という意味です。

                                          自業自得とは、自分の行い(業)の結果を自分が受けなければならない自得と言うことです。
                                          日本の昔話に、善いことをすれば善い結果悪いことをすれば悪い結果が現れる、
                                          自分の幸せ、不幸せの運命の原因は、自分の行い依るという因果応報自業自得の教えがあります。

                                          前の東北大震災では、レストランを飛び出た客が、後で、お金を払いに来たとか、
                                          店員のいないコンビニの商品をレジにお金を置いて持って行ったという日本人の行動が
                                          海外では奇跡的に報じられています。

                                          その根底には、誰が見ていようが見ていまいが自分のやった行いの結果は、
                                          自分に返ってくるという仏教の、因果応報自業自得の教えが根付いているからと言えるでしょう。

                                          善いも悪いも因果の種は播(ま)けば芽を出すいつの日か』という川柳がありますが、
                                          良い種をまけば良い実がなり、悪い種をまけば悪い実が必ずなるということです。
                                          つまり、総ての現象には必ず「因」という種があり、
                                          必ず「果」という「結果」が現れるということです。
                                          ところが、この「果」はすぐに現れるものと、ずっと後で現れるものがあります。

                                          例えば良い種をまいたとしましょう。
                                          その結果良い実はなりますが、すぐになった実は非常に小さい。
                                          小さい実はすぐ食べてしまい、もっと欲しくなります。
                                          ところが、忘れた頃にやってきた良い実は非常に大きく一口では到底食べ切れません。
                                          何故こんな良い事が起こるのだろうと考えてみても解らないぐらいその実は大きいのです。

                                          しかしながら、逆に悪い種をまいたとしましょう。
                                          すぐに「ごめん」・「すいませんでした」と謝ればその実は小さく、すぐに許してもらえるでしょう。
                                          ところが、黙っておれば解らないと錯覚し、そのまま黙って放っておれば、
                                          その悪い実はだんだんと大きくなり、気がつけば、手が後ろに回ってしまい、犯罪者になっている自分がそこにあります。
                                          今の時代、善人が虐げられ、悪人がのさばっている事の多い今の世の中ですが、
                                          何が「善因善果」「悪因悪果」だと文句を言いたくなることが多々ありますが、必ずその報いは現れます。

                                          お釈迦様は、そんな凡人の姿はとっくにお見通し、
                                          善を施すに、その報いを求めてはならない
                                          と厳しく戒められておられます。

                                          良い行いをするのが当たり前
                                          悪い行いをすれば、罰を受けるのも当たり前

                                          「悪いことをしても、罪に問われないのであれば、良いことをするだけ損だ」
                                          と反論する人がいるかもしれませんが、その人は非常に不幸な方です。
                                          因果応報の教えは、「善因善果」「悪因悪果」だと考えるべきです。
                                          良い行いをすれば心が楽になり、欲の海から救われ、喩え貧しくとも、
                                          今の瞬間をありがたい、お陰様でと生きている人なのです。

                                          いくら金銀財宝に埋もれて生活し、
                                          或は、これだけ相手に楽しい・良い思いをさせたのだから、
                                          きっと自分には未曾有の財が転がり込んで来るだろうと思い込んで、
                                          来もしない貪欲にどっぷりと浸かっている人。
                                          その結果がどうなるかは皆さんも想像がつくことでしょう。

                                          皆様お釈迦様の説かれております「因果応報」を是非とも正しくご理解していただきたく存じます。 
                                          【以上仏教の教えより引用終り】

                                          因果応報」と「自業自得」この二つの四文字熟語は、まさしく己の行いを指差す言葉です。


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                                            「実践3つの柱」

                                            お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                            3一隅実践jpg

                                            この一隅を照らす運動は、仏教の教えです。
                                            日本にもこのような素晴らしい教えが多々あります。
                                            温故知新の気持ちで、改めて日本の文化を堀座けることで色々な物事が見えてきます。


                                            以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載

                                            1.生命

                                            私達は人間に生まれたことにまず感謝し、先祖や両親から受け継がれてきた生命の中で
                                            生かされていることを自覚しましょう。
                                            そして未来に生きる子供達のために、私達は先祖によって培われた
                                            正しい人間のあり方を伝えて行きましょう。
                                            また、大自然のあらゆる恩恵に感謝すると共に、それらの生命の大切さを知り、
                                            新しい命の誕生を心から祝福しましょう。

                                            2.奉仕

                                            普段から何事にも「ありがとうございます」と言う素直な感謝の気持ちと、
                                            「おかげさま」「お互いさま」と言う助け合いの心が大切ではないでしょうか。
                                            奉仕は仏教でいう布施の精神を実践することで、 見返りを求めない無償の活動です。
                                            地域はもとより世界中が平和に暮らすには、
                                            常に弱者の立場に立って物事を考え、行動することが大切です。
                                            慈しみと思いやりの心を家庭内に育み、出来ることから家族皆で心を合わせて
                                            協力して奉仕活動を行いましょう。

                                            3.共生

                                            もったいないと意識し一人ひとりが地球を大切にする気持ちを表わす。
                                            美味しい空気、清らかな水、大地から与えられる食物や天然資源、これらの恵みは私達が生きる源です。
                                            これらは決して無尽蔵ではありませんから、家庭や職場では節水や節電など省エネルギーを心がけましょう。

                                            また、増え続けるゴミの問題は深刻な地球環境の悪化を招いています。
                                            先ず私達が一つひとつの物を大切にし、家庭内からのゴミを少なくすることが大切です。
                                            使える物は出来るだけリサイクルしましょう。
                                            私達の身近な取り組みが地球に優しい生活の第一歩です。
                                            共に生き、共に生かされるという精神で、かけがえのない地球を次代へ継承していきましょう。

                                            この「実践3つの柱」を常に心に留め、実践することにより、大自然の恩恵に対しても、
                                            人や物に対しても、何事にも「ありがとう」と言う感謝の気持ちが培われます。
                                            そして周囲に対して感謝と尊敬の心を以って自然に接することができるようになるでしょう。

                                            また、この3つの柱に添った活動は、忘己利他(己を忘れて他を利する)、
                                            少欲知足の精神に適った行いです。
                                            自分や家族の一隅を照らす行いは、皆の身近なところ(一隅)にあり、
                                            身近なことから始める(照らす)ことが第一歩です。
                                            小さな行いの積み重ねが、周りによい影響を及ぼし、回り回って自分達に還ってくるのです。

                                            詰り、そうすることは自分の為であり、引いては将来に向けて我々の子孫の為の
                                            利他行であると言えるでしょう。 

                                            一人ひとりが「一隅を照らす」ことは、自他の幸せを願い、お互いに照らし合う運動です。


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                                              」「れ」 (オソレ)

                                              【my学びメモより引用】

                                              お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                              畏れ

                                              」「」という熟語があるように、
                                              特に「かしこまる気持、敬う気持」
                                              が含まれる場合はこちらが適しています。
                                              「神をもれぬ行動」などと使います。

                                              仏教では「畏」を、五怖畏(ゴフイ)と示します。
                                              それは不活畏、悪名(アクミョウ)畏、悪道畏、
                                              死畏、大衆威徳(ダイシュウイトク)畏と言われ、
                                              人間が生きていく中での五つの畏れです。



                                              私達は健康で長生きしたいという、生を肯定した日常生活です。
                                              その生の肯定には生の不確かさ不安を抱えています。
                                              詰り死に向かう日常生活の中で現れる不安、畏れです。

                                              五怖畏

                                              一つは「不活畏」、

                                              このままで生きていけるだろうかという畏れです。
                                              馘(カク)首や老後の不安等々により、現在も未来も不安なのです。
                                              毎年三万人ほどの自殺者があることが、これを表しています。

                                              二つには「悪名畏」、

                                              関係性の中で生きている人間は、自分の名、評判が気になる、
                                              自分がどう思われているかという畏れです。
                                              とくに面子に拘(こだ)わる人にとっては大問題です。

                                              三つには「悪道畏」、

                                              例えば不治の病にかかったり、不慮の事故に遭ったりすることです。
                                              なぜ私だけが、こういうことに遭わなければならないのかという畏れです。
                                              しかし、これは日常性の中に埋没して忘れており当事者になってはじめて分かるものです。

                                              四つには「死畏」、

                                              死への畏れです。
                                              皆にある不安ですが、不治の病にかかったり、高齢化したりしないと実感が湧きません。

                                              五つには「大衆威徳畏」、

                                              一人毅然(キゼン)として生きていこうとしても周りが気になる。
                                              流行などもそうですが、人が自分のことをどう思っているのかと
                                              周囲が気になってしまう他者の思惑、そういう畏れの中に生きています。
                                              人々の恐怖心や不安を取り除き、畏れなき安心を与えることを〈無畏施〉という。
                                              袖振り合うも他生の縁というように絆の大切さ、
                                              生きとし生けるものの命の尊さ、自然との共生などを教えました。
                                              更に生活の徳目として、自己の利益のみを追求することなく、他の人々に利益を与える利他を勧め、
                                              自利利他の円満という理想を示します。

                                              かの宮沢賢治は、

                                              世界全体が幸福にならない内は、個人の幸福はあり得ない
                                              と、利他の重要性を強調しました。

                                              友愛」という言葉があります。
                                              それは、自分の気に入った人だけが「友」で、
                                              好きなものだけを「愛」の対象にするならば、それはエゴであり、
                                              利他の対極にある自利に他ならないということなのです。

                                              *****************************************************************************

                                              「心の礎」お勧めのサービス
                                              電話応対の見える化サービス【エファミステリー】
                                              ミステリー調査員が、お客様に扮して「日常業務」に関する質問を電話で問い合わせることで、
                                              そのやりとりの中から「評価チェック項目」を元に分析し、
                                              「電話応対」での潜在的な課題や問題点を「見える化」するサービスです。
                                              詳しいお問合せは、(有)エファ迄。
                                              <%topentry_more>
                                               





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                                                仏教「十の徳目

                                                お薦め度【★★★★】全業種、業態用
                                                10徳小

                                                この十の徳目の内、『仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌』の八つは里見八犬伝でも知られています。
                                                【以下学びメモより引用】

                                                「仁」・・・思いやりの心を持つこと。
                                                   ・・・仁義・真実・まこと・誠意。
                                                   ・・・慈しみ、思いやり
                                                      人を思いやること、これは内面的なもの。
                                                      詰り、気持ちの事を意味しています。
                                                   ・・・互いに慈しみ合う姿で義・礼・智・信の
                                                      徳を実践する最終の目的。

                                                「義」・・・正しい行いをすること
                                                   ・・・正しい筋道・義理・筋
                                                   ・・・道理、条理や義気。
                                                   ・・・社会を成り立たせ、伝統で精査もされ、人たらしめる仕来りのこと

                                                「礼・禮」・・・豊かな心を示すこと
                                                   ・・・礼儀
                                                   ・・・礼節、礼儀を弁える。
                                                   ・・・人相互の軋轢を防ぎ、行動に根拠を持たせる、
                                                      当然の作法のこと。

                                                「智」・・・正しい判断をすること
                                                   ・・・知恵・知恵・認識
                                                   ・・・物事を理解し、善悪を分別する。
                                                   ・・・義・礼・歴史、心姿などの知識で研究し、
                                                     行動の根拠にするもの。

                                                「信」・・・周りの人から信頼されること
                                                   ・・・信義・誠・確信・信ずる
                                                   ・・・人を信じ、人に信じられる。
                                                   ・・・義・礼・智などを互いに求め、互いに目指していること、
                                                      人を見ること。人物を心眼で見ること。

                                                「忠」・・・儒教における重要な徳目の一つであり、
                                                      主君に対し正直で裏表のない心のことを表します。
                                                   ・・・また主君に尽くすという真心を忠義と言う。

                                                「悌」・・・兄や目上の者に素直に仕えること。
                                                   ・・・悌の基本は、実力であり、素直に認めることです。
                                                   ・・・礼の心を以って優者に対する敬心であると言われ、
                                                      自分より優れた者を認め、敬う心、即ち尊敬心と言われます。
                                                   ・・・優れた者に恭順たれと言うこと言い表しています。
                                                   ・・・また、悌の本質は、相手の実力を認め、
                                                      己より優れた処が在れば、素直にその指導に従うこと。
                                                      (優れたところが在れば、それが、年下でも、後輩でも、
                                                       部下でも、子供だとしても素直に従うこと。)

                                                「考」・・・儒教の徳目の一つで親によく服従することです。
                                                   ・・・身近な所から段階的に進められる儒教の徳治において、
                                                      家庭で守るべき徳として「悌」と共に重要視されています。
                                                   ・・・「孝悌」と併用され、「孝悌は、仁を為すの本」とされています。

                                                「畏」 (オソレ)
                                                   ・・・私達は健康で長生きしたいという、生を肯定した日常生活です。
                                                   ・・・その生の肯定には生の不確かさ不安を抱えています。
                                                   ・・・詰り、死に向かう日常生活の中で現れる不安、畏れです。
                                                   ・・・「畏怖」「畏敬」という熟語があるように、
                                                     特に「かしこまる気持、敬う気持」が含まれる場合はこちらが適しています。
                                                   ・・・「神をも畏れぬ行動」などと使います。
                                                   ・・・仏教では「畏」を、五怖畏(ゴフイ)と示します。
                                                   ・・・不活畏、悪名(アクミョウ)畏、悪道畏、死畏、大衆威徳(ダイシュウイトク)畏で、
                                                     人間が生きていく中での五つの畏れです。

                                                「忍」・・・「忍」は「忍辱(ニンニク)」とも言われ、二種に分けられています。
                                                   ・・・一つは、私達に馴染みのあるもので、
                                                      他者からの迫害や侮辱、或は自然災害や病気などによって
                                                      齎される苦難に対して堪え忍んで怒らず、動揺しないこと。
                                                   ・・・これは布施などと共に、福徳として重要な善行と考えられています。
                                                   ・・・もう一つは、「無常」、「無我」、「空」、「縁起」などで表現される
                                                      仏教の真理において心が堪え忍ぶこと、
                                                      即ち真理に対して不動で安定していることとされています。
                                                      これは仏教における智慧の別な表現でもあり、
                                                      忍は、智慧と密接な繋がりのあることを知ることが出来ます。
                                                   ・・・そして、これら二つは別々のものではなく、
                                                      前者は後者に依拠してこそ可能であるとされています。
                                                   ・・・智慧としての「忍」によってこそ、
                                                      あらゆる苦難を忍ぶことができるとされています。



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                                                  先ず、人を思う」御心

                                                  人を思う

                                                  お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                                                  一昨年の震災後に被災地御訪問された時や記者会見時の陛下、妃殿下の態度やお言葉にも
                                                  先ず、人を思う」心を窺い知ることが出来ます。
                                                  この陛下の「先ず、人を思う」心は、思い遣り利他心に他ならない、と私は解します。
                                                  そしてこの心は、日本独自の文化である「おもてなし」の表れであるとも考えられます。
                                                  その「おもてなし」の心の原点とも言える「思い遣り」は自らの心に存在し、
                                                  その心を感じる「優しさ」は、触合う相手の心の中に生まれ、息づきます。
                                                  その優しさに溢れ、素敵で恰好が良く、見た目や仕草がエレガントで素敵であることは、
                                                  人としてとても大切なことですが、これは全て自分自身が評価することではありません。
                                                  日々出逢ったり、触合ったり、過ごしたりする周りの人々が、感じ受け止めることです。
                                                  自分のことを「優しい」と言う人に、【優しい人はいない】と体験から思います。
                                                  個々人の外見や内面の魅力を磨き高め、エレガントで恰好の良い素敵な自分自身になり、
                                                  周囲の人々を惹き寄せ、異性に限らず同性にも魅力である「モテ力」の≪源点≫は、
                                                  自らの心の中にある「思い遣る心」をより一層パワーアップすることに他ならないと考えます。

                                                  ただ外見や好印象を持たれる仕草に拘ることだけに目を向けるのではなく、
                                                  素敵な心の魅力の≪原点≫とも言える「思い遣りの心」を深く学び、備え持つことをお薦めします。
                                                  この「思い遣りの心」は、日本の文化「おもてなし」の中にも数多く存在しています。
                                                  特にその中でも、感謝力、立場転換力、誠実さ、言語会話力、傾聴力、自然な表現力は、
                                                  自らの魅力をより一層高める為にとても大事なことです。
                                                  近年、人との触合いについてのネットや本、メディアの情報量は凄まじいものがあります。

                                                  中でも特に、対人関係に於ける感動の手法、コミュニケーション術、
                                                  引き寄せ惹き付けの法則、綺麗の法則と言った言葉を見る機会も大変多くなりました。
                                                  また、数えきれない程のマナー講師、接客・接遇コンサルタントやインストラクターと言われる方々が、
                                                  社会生活や日常での人との触合いに必要とされる人間関係力について様々に角度や手法を変え、
                                                  日本全体に広めようと懸命に活動されていることは、とても素晴らしいことだと思います>

                                                  このようなことは、
                                                  もの」作りの国日本から、「もの」をどのように使い生活を楽しみ、心を豊かにする「こと」、
                                                  即ち人創りの日本に変わりつつ表れではないかとも考えられます。
                                                  言い換えるならば、日本独自の物や形を作ることと共に、
                                                  心 (人)を育むことに日本の社会が変化しつつあるのではないかとも考えられます。

                                                  但し、様々な講座やセミナーが満ち溢れている現況から、学びを選択する際には、
                                                  自らの目的に合わせた内容に心すべきだと考えます。
                                                  同時に、学ぶことばかりを優先し「頭でっかち」にならないこと、
                                                  学びをリアルなこととして実践に結付けることを留意しなければならないとも思います
                                                  このような時代の変化は、日本が少子高齢化社会に成ると共に、
                                                  個人中心の環境になり、個人の心や安心安全を優先して思考する社会現象にも表れていると思います。
                                                  古より、日本人は人の目や他人の思惑を中心に思考し、自然さを重んじ、
                                                  相手に察しられないように意識し、さり気ない控えめな行動すると言われて来ています。

                                                  例えば、他者へ感謝の表現を感謝と言わず「ありがとう」や「有り難い」と言って表わし、
                                                  「感謝」の語句を、ここぞと言う大切な時に重みのある言葉として使うことです。
                                                  でも最近、この感謝の重みを深く考えずに軽々しく使う人が増えていることは残念です。
                                                  昨年の震災後に顕著に見られた様々なボランティア活動や「自分の為より、誰かの為に」
                                                  と言った利他の意識が日本社会全体に高まると同時に、豊か過ぎた日常生活を改めて見直したり、
                                                  独身者の婚活が盛んになったりしていることでも判る通り、日本人誰もが持つ「優しさ」、
                                                  「慈愛の精神」は、決して失われていないと思います。

                                                  日本の象徴である天皇陛下のお考えである、
                                                  先ず、人を思う」心は、まさしく利他の「思い遣りの心」であり、
                                                  日本の文化と日本人の『心』と『美』の【原点】あると思います。


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                                                    引用した下記の文言を読んで、日本人の命とも言える茶道を始めとした
                                                    日本の数々の文化や芸術品のこと、大河ドラマで篤姫の残した
                                                    「徳川の時代は終わっても徳川の名は残る」の言葉を思い浮かべると共に、
                                                    私達は、この日本の命をもっと大切にして 行かなければならないと思いました。
                                                    おもてなし」「利他心」は日本の命です。


                                                    以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載。

                                                    「人は死んだら終わりなのでしょうか?」
                                                    いいえ、そんなことはありません。
                                                    心としての命、魂としての命は無限であり、永遠の命です。
                                                    この命の無限のつながりあいは、人間同士だけのことではありません。
                                                    仏教では一切衆生といいます。
                                                    この場合の衆生とは生きとし生けるもの総てのことを指し、
                                                    動物も植物も、皆私達人間と同じ命が繋がっていると考えるのです。

                                                    人間は言葉を持ち、過去や未来を、また見えない物をイメージする能力(想像力)を持っていますし、
                                                    物事に対して感情を持つことができます。

                                                    人の心の中に生き続ける命があります。
                                                    例えば、最愛の親を亡くした時、悲しみに溢れると同時に想い出が一杯残っていると思います。
                                                    色々な親のイメージが走馬燈のように現れ、これまで自分を育ててくれ、共に生活してきた
                                                    親の恩に対して感謝の念を持つはずです。
                                                    想い出は家族や友人の心の記憶にしっかりと刻まれて生きています。

                                                    こうした気持ちこそが、たとえ人が死んでも、肉体は滅びても、その人が新しく生き始める命と
                                                    いってもいいのではないでしょうか。最近感動した本や映画はありませんでしたか。
                                                    映画や文学作品、絵は人々に感動を与え、勇気を奮い立たせます。
                                                    その作者は他界したかもしれませんが、素晴らしい文学作品は色々な人に読み継がれています。

                                                    さらに博物館や美術館の展示物は時空を超えて私たちに感動を与え、
                                                    見た者はその時代時代の生き様や息吹を自ずと感じ、イメージをかきたてます。
                                                    悠久のロマンあふれる古代遺跡や建築、様々なジャンルの音楽や芸術もしかりです。
                                                    それらはみんな魂が宿っているからであり、それを人々は認め、決して忘れません。



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                                                      リレーされる

                                                      リレー命


                                                      お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                                                      一隅を照らす運動
                                                      以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載。

                                                      あるお家で赤ちゃんが誕生しました。
                                                      よく生まれてきたね。生まれてくれてありがとう」と、両親を始めとする家族は赤ちゃんを迎え入れ、
                                                      新しく家族が増えたお祝いをします。
                                                      生命の誕生という神秘と不思議に一喜一憂した経験を持つ方も多いと思います。

                                                      その「生まれてくれてありがとう」という誕生を感謝祝福する気持ちやメッセージに始まり、
                                                      親から子どもへ様々な言葉や形の愛情が注がれ、そうして子供が「生きている」という自己確認ができ、
                                                      親子の絆というものがその後の人生を心の奥底で支える基礎となることでしょう。

                                                      人はみな生から始まって死に至りますが、生を次代に委ねることにより生が繋がっています。
                                                      詰り「リレーされる」とは、人間として種族として家族として継承される生命ということです。
                                                      家族でいいますと、祖父母、父母、子、孫というように続いているです。

                                                      先祖子孫のことを想い起こすことができるのは、せいぜい三世代くらいまででしょうが、
                                                      私が今ここにいるということは、何はともあれ2人の父母がいたからです。
                                                      その親がまた2人ずつで4人という風に倍々に増えていきます。
                                                      父母、祖父母、曾祖父母と世代を遡れば昇るほど、ご先祖様の数はふくれあがっていきます。
                                                      これを続けて計算していくと20代前には100万人を超え、とんでもない数字になります。

                                                      実際は色々と複雑に絡み合っているのですが、こうして考えますと人類みな兄弟、
                                                      ご先祖様はみな同じということになります。
                                                      人間同士も、総ての命も同じ繋がりがあるのです。
                                                      ですから、命あるものはみな兄弟と意識できれば、人間同士が傷つけあったり、
                                                      他の生命を粗末に扱ったりということもなくなるのではないでしょうか。

                                                      草花が生長することについて考えてみましょう。
                                                      毎年春になるとタンポポが可憐な花を咲かせます。
                                                      花から綿毛が飛ぶ迄の営みをみると自然界に尊い生命が厳然と存在する事に気付かされます。
                                                      タンポポは花が終わると苞を一旦閉じ、種を作り、
                                                      その間に茎は種たちが春風に乗って少しでも遠くへ行けるようにと生長します。
                                                      やがて丸い綿毛ができると春風に乗って、一つずつ次の生に向かって飛び立ちます。

                                                      死後に自分の生命の種を維持保存し、次代を作り出そうとする不思議なサイクルで、
                                                      命の種が継承され営みが続けられるのです。
                                                      タンポポのような小さな草花もアリのような虫も私たち人間も、みな同じ生命の持ち主であり、
                                                      その生命力は遠い先祖から遥か未来へリレーされていく命なのです。

                                                      私達は、あらゆる生命の誕生を喜ぶことは勿論、人間のみならず、動物や植物の生命の
                                                      繋がりや重さを噛みしめたいものです。


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                                                        『生かされている命』

                                                        生かされている命


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                                                        人間の取り分(二)
                                                        『生かされている命』

                                                        以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載。

                                                        地球上の生きもの総てはDNAという物質を基本として生きていているということです。
                                                        詰り、これはあらゆる生物が共通の祖先から生まれた仲間であることを意味し、
                                                        人類だけでなく地球上の総ての生きものは広い意味でまさしく仲間なのです。

                                                        キリスト教の言葉で
                                                        「人はパンのみに生きるにあらず」というのがありますが、
                                                        人間生きてくためには食べものが必要です。
                                                        食は命を養い、心を養う糧でもあります。
                                                        日本では周りに食べ物が溢れているので実感が湧き難いかもしれませんが、
                                                        地球上のあちらこちらには、この瞬間にも飢えている人、特に飢えに苦しむ子どもが大勢います。

                                                        第253世天台座主であった故・山田恵諦猊下は
                                                        「今日まであった10あったパンを十人が仲良く食べていたのを、
                                                         パンが出来ないか、或は減るかもしれません。
                                                         もし減らずに持たせても十人が食べていたのを15人が食べなければならないことになってきます。
                                                         その時、十のものを15人がどうすれば仲良く分けることができるかを思案しなければなりません。
                                                         知識は必要ですが、これからは思いやりの深い人をつくることが大切であります。
                                                         そうすれば十のパンを15人がどうすればよいかということを喧嘩なしに分ける時代がやってきます」
                                                        と常々述べられていました。

                                                        今の処、日本では食物が大きく不足していませんが、食物を諸外国からの輸入に依存する現実があります。
                                                        今は食料輸出国のお陰で輸入できていても、これから先、
                                                        農作物の生産や食べ物の供給は絶対に大丈夫といえるでしょうか。
                                                        世界を見渡せば人口増加は続き、食べる人数が増えるだけでなく、
                                                        地球温暖化の影響もあって世界各地で食物の生産方法や生産量も変化しています。

                                                        ところで、仏教には五つの基本の戒があり、「五戒」といいます。
                                                        その一番目が不殺生戒(生きものを殺さない)です。
                                                        「生きものを殺してはなりませんよ」ということを100%守っているかと問われて、
                                                        ハイと答えられる人はいないはずです。それは、毎日の食事をみればおわかりのように、
                                                        私たちが自らの命を保っていけるのは、様々な命の犠牲のお陰です。
                                                        それでは、なぜ「不殺生戒」というものが定められているのでしょうか。

                                                        これは、「生きものを殺してはなりませんよ」という教えによって、
                                                        先ず私たちは他の命を奪っているということに気づくことと、
                                                        そして人間の身勝手を抑制することではないでしょうか。

                                                        私たちは普段の食事の時、食前に「いただきます」、
                                                        食後に「ごちそうさま」といいます。
                                                        これは日本の行儀作法であり、料理人や食事を提供下さった方への感謝という意味だけではありません。

                                                        私達人間は生きて生命を維持するために実に色々な生命を奪ってしまっています。
                                                        大自然の恵みや大勢の人々のお陰に感謝して食べよう。
                                                        牛や豚や鳥や魚の生命を奪い、食べています。
                                                        お米や大根やお芋だって命があります。
                                                        船上の魚がピチピチ跳ねるのも苦しいからに違いありません。
                                                        どんな生きものも死が苦しみであることは私たち人間と同じはずです。

                                                        このことをしっかりと認識するために、「色々な尊い命を頂いて、それらの命の分、
                                                        精いっぱい生かせていただきます」と、反省と感謝の心をもって
                                                        いただきます」「ごちそうさま」と合掌するのです。

                                                        ついつい自分のものと思いがちなこの生命ですが、実は大自然のあらゆる命の営みから恩恵を
                                                        いただき、生かさせていただいていることを、再確認しましょう。

                                                        一隅を照らす運動が「生命-あらゆる"命"に感謝しよう」と
                                                        実践三つの柱に掲げる大きな目的の一つは、大自然の恵みによって生かされていることに感謝
                                                        生命の大切さを自覚するということです。
                                                        つまり、生命を大切にする、その生命に感謝するという素直な気持ちで、
                                                        総てのことを考えて行きましょうと言うことです。

                                                        この場合の生命は、自分自身、家族、友人に始まり、地球上に暮らす総ての人々、そして
                                                        人間だけでなく総ての生きものの"命"にまで及びます。
                                                        地球上の全生物が網の目のような相互関係で生きている以上、私達人間の取り分があって、
                                                        勝手な生き方はバランスを崩すことになることを充分に弁え、一人ひとりが思いやりの心を持ち、
                                                        日々の生活を送ることが大切ではないでしょうか。


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                                                          人間の取り分

                                                          命-1


                                                          お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                                          日本にも、以下のような素晴らしい仏教の教えがあります。
                                                          日本の文化を温故知新の心で見直してみましょう。


                                                          生き切る
                                                          [天台宗一隅を照らす運動]より転載

                                                          自分とはどんな存在でしょうか。
                                                          何のために生きているのでしょうか。
                                                          私たちは気がついたらここにいました。
                                                          気がついたらこの世の人になっていました。
                                                          」はどこにあるのでしょうか。
                                                          身体にあるのでしょうか。
                                                          それとも心にあるのでしょうか。
                                                          そして生から始まって死とはどういうことでしょうか。

                                                          生には「生まれる」ということと、「生きる」ということの大きく2つの意味があります。
                                                          私たちの人生において、前者は生の誕生で、後者は生・老・病・死という人間の一生です。
                                                          無論、「」は人間にも動物にも植物にも、あらゆる生き物に宿っています。

                                                          という言葉から、自分自身や家族のこと、身近な動物や草花のこと、毎日の食事のこと、
                                                          野山や海や川といった大自然のこと、地球のこと、そして宇宙の命にまで、様々なことに思いが及びます。

                                                          そのような思いや疑問は際限もなく尽きませんが、人間として生きていこうとする時、
                                                          そのような根源的な問いをするのは自然なプロセスです。
                                                          人間、その経験や苦闘によって自ずと成長していきます。
                                                          そして心の中に生じた疑問に自分なりに回答を求めて与えることを通して、
                                                          私たちの力をはるかに超えたものへの畏敬の念や、絶対的、
                                                          神秘的なものの存在に気づかされていくことでしょう。

                                                          そして自分の存在を確認して安心(あんじん)を得る
                                                          と同時に生かされていることへの感謝の念が生まれ、
                                                          同時に同じ命を持った者として他者への思いやりの念も生じてくるのではないでしょうか。

                                                          さて、「命は誰のものですか?」と質問されますと、
                                                          皆さんは大抵「勿論自分のものです」と答えます。
                                                          ちょっと待ってください。
                                                          人は独りで生きられないのと同じく、人は自分の意志によって独りで生まれたわけではありません。

                                                          誕生日だって自分が決めたことではなくて、後から教えられたことです。
                                                          では、もし運悪く交通事故にあって、ケガをしてしまったとしましょう。
                                                          その連絡を聞いて真っ先に心配するのは両親や家族ではないでしょうか。
                                                          無事でありますようにと必死に祈るに違いありません。

                                                          命というものは、慈しもうとする、育もうとする、愛そうとするすべての人のものであると考える時、
                                                          自分だけの生命であるとは決して言えないのです。
                                                          私たちは、命を考える時、自分自身の心身だけに留まらず、
                                                          自分の家族や地域社会、ひいては世界中と繋がっているということを意識しましょう。

                                                          水、空気、食べ物といった周囲の環境と関わりながら生きていること、
                                                          詰り自分以外のあらゆる物と関係があって始めて自分自身が生きている、生かされていることに
                                                          気付かなければなりません。

                                                          また、生命は自分自身で作ったものではありません、頂いたものです。
                                                          お金で買えるものでもありません。
                                                          同じものをつくることもできませんし、全く同じものが存在するわけもありません。
                                                          個々の生命は唯一無二のものであり、かけがえのないものなのです。

                                                          「人身受けがたし、今すでに受く」と
                                                          『三帰依文』(さんきえもん)にありますが、
                                                          私たちが「気がついたらこの世の人になっていました」という曖昧な事後認識ではなく、
                                                          この世の人となること自体が非常に困難で有り難いということを自覚すれば、
                                                          受けた生命を精一杯全うして人生を送ろうと考えるはずです。

                                                          人間には死ぬことと同じように、避けられないことがある。それは生きることだ。」
                                                          これはチャップリンの映画『ライムライト』での台詞です。

                                                          人は生まれていつかは死ぬ運命にありますが、しかし、今を生きなければなりません。
                                                          「何のために生きるのか、何のために生かされているのか」を自問し、
                                                          生きる意味を追求するということは、自分なりの人生目標や目的を定めるということでしょう。

                                                          伝教大師は『顕戒論』(ケンカイ)という書物において、「どんな人間でも12年を経れば必ず一験を得る」と
                                                          申されています。
                                                          験とは仏道修行によって現われた効験のことで、誰でも12年間一つのことをやり通せば、
                                                          必ず立派な結果を生む行いが出来る人になるという意味です。
                                                          12年と言いますとやはり継続と忍耐が必要ですが結果自ずと成長し目標に近づくことができます。
                                                          人生において「一験あり」という人間になれるよう
                                                          積極的に生きて、生き抜いて、自分の人生を充実させる、生を全うする、

                                                          詰り、生ききる命、死にきる命、即ち、生ききってこそ、死にきってこそ人生です。
                                                          いずれにせよ、単に人間の身体とその死という「命」ということだけでなく、
                                                          精神的かつ社会的なことも含めた多面的で総合的な存在である人間としての
                                                          「命」を考える必要があるでしょう。
                                                          さらに、高度な科学文明の恩恵に預かり、何かと忙しい現代社会にあって、
                                                          私達を取り巻く環境が大きく変わったことで逆に人間の心身をおびやかす度合いが
                                                          強まっていると言えないでしょうか。
                                                          だからこそ、一人ひとりが常に命について考え、学びあい、教えあい、意識することが
                                                          大事になってくると思います。

                                                          例えば、家族や友人あるいは動植物の死と
                                                          言った死別体験、赤ちゃんの誕生と言った身近な生命の誕生。
                                                          友との楽しい遊び体験や人生トラブル・挫折。恋愛や失恋。難問や目標をクリアした時の達成感。
                                                          未知の文化との触合い。
                                                          小説や映画、音楽・芸術での感動体験など、これらは人それぞれの日々の経験ですが、
                                                          日常生活でのささいな出来事も、すべて「命の体験」に通じます。
                                                          そして生きることを喜び、自他の命の尊さを感じ取れる人になるのだと思います。


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                                                            一隅を照らす

                                                            一隅を照らす


                                                            お薦め度【★★★★】全業種、業態用


                                                            古より日本にある仏教の教えは、サービス業に関わる私達に多くの学びを与えてくれます。
                                                            温故知新の心で、その教えを見直してみましょう。


                                                            一隅を照らす運動「実践3つの柱」

                                                            以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載

                                                            一、(いのち)—あらゆるを大切にしよう

                                                            私たちは人間に生まれたことにまず感謝し、
                                                            先祖や両親から受け継がれてきた生の中で生かされていることを自覚しましょう。
                                                            そして未来に生きる子どもたちのために、
                                                            私たちは先祖によって培われた正しい人のあり方を伝えて行きましょう。
                                                            また、大自然のあらゆる恩恵に感謝するとともに、
                                                            それらの生の大切さを知り、新しいの誕生を心から祝福しましょう。

                                                            二、奉仕(ほうし)—皆の為に行動しよう
                                                            普段から何事にも「ありがとうございます」
                                                            という素直な感謝の気持ちと、「おかげさま」「お互いさま」という
                                                            助け合いの心が大切ではないでしょうか。
                                                            奉仕は仏教でいう布施の精神を実践することで、見返りを求めない無償の活動です。
                                                            地域はもとより世界中が平和に暮らすには、常に弱者の立場に立って物事を考え、
                                                            行動することが大切です。
                                                            慈しみと思いやりの心を家庭内に育み、出来ることから家族皆で心を合わせて
                                                            協力して奉仕活動を行いましょう。

                                                            三、共生(きょうせい)—自然の恵みに感謝しよう
                                                            もったいない一人ひとりが地球を大切にする気持ちを表わす。
                                                            美味しい空気、清らかな水、大地から与えられる
                                                            食物や天然資源、これらの恵みは私たちが生きる源です。
                                                            しかし、これらは決して無尽蔵ではありませんから、
                                                            家庭では節水や節電など省エネルギーを心がけましょう。
                                                            また、増え続けるゴミの問題は深刻な地球環境の悪化を招いています。

                                                            まず私たちが物を大切にし、家庭内からのゴミを少なくすることが大切です。
                                                            そして使える物はできるだけリサイクルしましょう。
                                                            私たちの身近な取り組みが地球に優しい生活の第一歩です。
                                                            共に生き、共に生かされるという精神で、
                                                            かけがえのない地球を次代へ継承していきましょう。

                                                            この「実践3つの柱」を心に留め、実践することにより、
                                                            大自然の恩恵に対しても、人や物に対しても、
                                                            何事にも「ありがとう」という感謝の気持ちが培われます。
                                                            そして周囲に対して感謝と尊敬の心を以って
                                                            自然に接することができるようになるでしょう。
                                                            この3つの柱に添った活動は、忘己利他(もうこりた・己を忘れて他を利する)、
                                                            少欲知足(しょうよくちそく)の精神に適った行いです。

                                                            自分や家族の一隅を照らす行いは、みんなの身近なところ(一隅)にあり、
                                                            身近なことから始める(照らす)ことが活動の第一歩です。
                                                            小さな行いの積み重ねが、周りによい影響を及ぼし、
                                                            結局は最終的に回り回って自分たちに還ってくるのです。
                                                            詰り、自分の為であり、引いては将来に向けて
                                                            我々の子孫の為の利他であると言えるでしょう。 

                                                            一人ひとりが一隅を照らすことは、自他の幸せを願い、お互いに照らしあう運動でもあるのです


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