#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎) 自分と向き合う(仏教・儒教の教え)

#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎)

人を心から想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは「おもてなし」の『心』です。
2017-夏


クローバ横

当ブログ&Humane-Project「礎」の御案内横

コンセプト おもてなし講座s

ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s

※各文字をクリックして戴くと内容が御覧になれます。
クローバ横
金色3線

当ブログに御訪問戴き、誠に有り難うございます。

ここに投稿してある「人の心」や「対人関係」の記事は、壮年に至るまで先々のことや人の心や思いを意識せず、
目の前の楽やその時の感情・我欲を自制出来ず、刹那に生きてしまった、と自省のキッカケとなった壮年後の
学びから気付かされた他人への「想像力や心に関わる心」の在り方、持ち方等を過去の実体験に照らして知った
知識や智慧など御覧戴く皆様の今後の社会生活や仕事上で僅かでも役立てて頂けたらと考えて載せております。
ですから、書いている私が記事内容の総てが出来るのではなく甘く見ても2~3割程度しか生かし使えません。

お読み頂く異なった心やSkillを持たれている個々人に見合った内容を選択して生かして頂ければ有難いです。
コミュニケーション思いやりなどの人の心に関する色々な記事は決して押し付ける意図で投稿しておりません。
思いやりや礼節・感謝・誠実などの心に関する項目は「対人関係」上の参考資料として使って戴けると幸いです。

私的利用以外のコピぺ・転載は御遠慮下さい。教材-営利を目的とした無断の引用転載は禁止しています。
使われる場合は、記事の右、Categoryの上にある「問合せMail」で、お名前・連絡先・目的をお知らせ下さい。

金色3線

 「仁」を紐解く

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

仁1
以前放映されたテレビ映画「JIN‐仁」は、現在でも世界中で沢山の人達に
多くの感動を与え続けていると聞いております。
どうしてそんなに人の心を動かすのでしょうか?
それは、世界中の人々に「仁の心」が伝わるからではないかと思われます。

私見ですが、この『仁』の文字を【二人の人】と解します。
即ち、一人称の自分と二人称の他者が対象の対人関係力の一つであると考えます。
また、本人と支えている人の二人とも解せます。

『仁』の文字は

①「自分と他人」
「自分ともう一人の自分(思考の選択に戸迷う自分)」
「強い自分と弱い自分」
「人」+「二」で組立てられ、それは自分と他の人(二人称)を表わしている。
即ち、自分自身と他者、二人の人間を意味すると解します。

②『自分』と『他人』
「生きている自分」と「生かされている自分」
「人を愛する自分」と「愛されたい自分」
「利己」と「利他」
「認める自分」と「認められる自分」
「親切な自分」と「無関心な自分」
「与える自分」と「求める自分」(物・魅力・心)
「感謝する自分」と「感謝される自分」

③『自分』と『もう一人の自分』
「人間の善悪二つの心」
「強い自分」と「弱い自分」
「明元素な自分」と「暗病反な自分」
自他に「優しい自分」と「厳しい自分」
「無関心な自分」と「共感する自分」
「楽に過ごす自分」と「楽しむ自分」


※二人称
話し手(書き手)に対して、聞き手(読み手)をさし示すもの。
日本語では、「あなた」「あなたがた」「きみ」「きみたち」など。

※辞書に「仁」は以下のように記されています。
[思いやりの心を持つこと。仁義・真実・まこと・誠意。慈しみ、思いやり。]
人を思いやること、これは内面的なもの、 詰り、心(気持ち)の事を意味しています。
孔子の『論語』で、お互いが慈しみ合う姿で「仁」を行うことが、「義」「礼」「智」「信」の【徳】を実践する
最終の目的とされています。

(備考)仁の解説 [以下Wikipediaより引用]

仁(とは中国思想における徳の一つ。仁愛。
特に儒家によって強調されており、孔子がその中心に据えた倫理規定、人間関係の基本。
主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、儒教における最重要な「五常の徳」のひとつ。
また仁と義を合わせて、「仁義」と呼ぶ。
儒学を大成した孔子は、君子は仁者であるべきと説いた。
性善説に立つ孟子は、惻隠(そくいん)の心が仁の端(はじめ)であると説いた(四端説)。
この惻隠の心とは同情心のことであり、赤ん坊が井戸に落ちようとしている時、
それを見た人が無意識に赤ん坊を助けようと思う心であると説いた。

なお、孔子は、『論語』の中で「仁」について明確な定義をおこなっておらず、
相手によって、また質問に応じて様々に答えている。
言い換えれば、儒家の立場においては「仁」とは
人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を
意味するものとして考えられてきたのであり、八徳の「孝」や「悌」、「忠」なども
『仁』の一つの表れだと主張されている。

[以上引用終り]

【仁】
人を思いやることに素直にあれ
人を思いやること、これは内面的なもの。
詰り気持ちの事を意味しています。
「思いやの行動には示さなくていい」と 思われる人が
いるかもしれませんが決してそうではないと思います。
孔子は『論語』で、
「仁」を以って最高の道徳であるとしており、
日常生活から遠いものではないが、
一方では容易に到達出来ぬもの、と説明がなされている。
ある場合は「人を愛すること」と説明し、
顔回(ガンカイ)の質問に対しては「克己復礼」こそが、「仁」である。
=私心を克服して礼を重んじること。
即ち「己に克ちて、礼を復むを、仁と為す」と孔子は答えています。
前者は外部に対する行為を指し、後者即ち顔回に対する答えは
自身の内なる修養のあり方を指している。

具体的な心構えとしては、
「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」
がよく知られています。
即ち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、
利己的な欲望を抑えて礼儀をとり行うことです。

以上学びのメモより転載。


    ブログパーツ 
    スポンサーサイト
     

    思い遣りの心『無財の七施

    お薦め度【★★★★】全業種、業態用

    人間力七施


    私達は行き先の見えない社会環境の中に在り、
    古より伝わる素晴らしい日本の文化を、
    【温故知新】の心で見直す必要があります。
    その一つは、お釈迦様の仰っている「仏教の教え」であると考えます。
    いつの世でも、人は自分を含め誰もが幸せに成りたいと考え、そして願っています。
    本当に幸せに成りたければ、日々幸せの種を蒔き続けねばなりません。
    幸せの種の一つ、「思い遣り」の心で、自分も相手も幸せな道を歩むことが出来るのです

    日本には、このような素晴らしい教えがあります。
    どんな境遇の人でも、少しの思い遣りの心を
    持てば実践出来る布施を「布施行」と言うそうです
    そしてその総ての親切な行いを「布施」と言うそうです。

    仏教には、「ありがとう」「おかげさま」の感謝の気持ちを
    行動で表す身近な実践として、
    「雑宝蔵経」(ぞうほうぞうきょう)に説かれている、
    無財の七施』と言い表しています。
    その七つの施し(布施)は、【施しは、自らの生きる力の元と知れ
    を表現する言葉だと解します。

    私達が周りの人々を幸せな気持ち(心)にさせる為には、
    思い遣りの心とも言える『無財の七施』を以って
    人々と接することである、と受け止めます。
    私見ですがこの『無財の七施』は、
    まさしく【利他の心】ではないかと考えます。

    ※仏教の布施は、元来お金や物を与えること。
     布施の「布」は分け隔てなく、遍く(アマネク)、
     「施」は文字通り施し与えるという意味です。


    お釈迦様は、喩え物やお金がない人あっても
    誰もが出来る「布施行」を教えとしています。


    ★『無財の七施』と「にんげん力」

    他者と「向き合う」-認める活動『無財の七施』.
    人としての認める活動と仏教の教えである
    「無財の七施」は、関連していると解します。
    認めることは、その原点だと解します。

    1.眼施 (ゲンセ)☛※1.人眼力
    触合う相手に、温かな優しい眼差しで接する。

    2.和顔施(ワゲンセ)☛※3.人現力
    又は和顔悦色施(ワガンエツジキセ)
    明るい笑顔(表情)、優しい微笑をたたえた笑顔(柔和な顔)で人に接する

    3.言辞施(ゴンジセ)☛※2.人言力
    触合う人々へ、心を込めて思い遣りの優しい言葉をかける。
    思い遣りの篭った温かい言葉をかけながら生きること。

    4.身施(シンセ)☛※3.人現力
    人の為、社会の為に肉体を使い懸命に働くこと。
    ボランティア活動(無料奉仕)。身体による奉仕をすること。

    5.心施(シンセ)☛※4.人原力
    いつも「ありがとう」「お陰様で」などの感謝の表す言葉と態度、
    思い遣りの心を込めた態度と言葉使いで人々と接すること。
    人や他の物の存在に、感謝の心で触れ合い接すること。

    6.牀座施 (ショウザセ)☛※4.人原力
    謙虚さに徹し、場所や席を譲り合ったり、
    会話上でお互いに譲り合ったり、遜ったりする心です。

    7.房舎施(ボウシャセ)☛※4.人原力
    わざわざ訪ねてくる人があれば、
    一宿一飯の施しを与え、労をねぎらいお世話する。
    転じて、心温かなおもてなし。
    今風に言えばホスピタリティの活動。


    ※の解説
    ※1.人眼力
    人を見る(診る・覧る・観る・看る・視る)目・眼力
    ※眼力=物事の善悪・真偽・成否などを見抜く能力

    ※2.人言力
    心を表現出来る言語力と適正な言葉使い

    ※3.人現力
    自らの人格、意思、意識、
    ビジョンが明確に表現、伝達出来る力

    ※4.人原力
    人の持つ様々な心と思考力。気持ち。
    物事を思考し、判断、表現する時の原点と捉える。
    思いやり、ホスピタリティ(おもてなし)の心を持ち、
    表現伝達の基礎とされるマナー修得。

      ブログパーツ
       

      忘己利他

      お薦め度【★★★★】全業種、業態用

      忘己利他1

        ブログパーツ
         

        実践徳目の「八正道

        お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

        八正道-1

        お釈迦様が最初の説法で説かれた
        八種の実践徳目の「八正道」で今年一年の自分を振返って見ましょう。
        自分と真摯に「向き合う」ことは成長の源です。

        【正見】
        自己中心的な見方や、偏見をせず中道 (一方に片寄らない、真ん中という意味ではなく、
        その時々の真理の条件・立場に合った最善の方法)の考え方の見方をすること。

        【正思】
        自己本位に偏らず、真理に照らし物事を考えること。
        例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)
        瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)
        愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通す邪な心)
        という「意の三悪」を捨て去り、物事を考えること。

        【正語】
        恒に真理に合った正しい言葉使いや正しい言葉で書き表すこと。
        社会生活の上で慎まなければならない事で
        妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・
        悪口(破壊的な悪口)綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)
        という「口の四悪」を行わないということ。

        【正行】
        本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。
        仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・
        偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)
        という「身の三悪」です。

        【正命】
        衣食住その他の生活財を正しく求めること。
        人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。

        【正精進】
        自分に与えられた使命や目指す目的に対して正しく励み、
        怠りや脇道にそれたりしないことで、捉われ過ぎたり偏った精進は
        かえって逆効果になる場合があります。

        【正念】
        正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、
        物事の真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。

        【正定】
        心の状態が真理に照らし正しい状態に定まること。
        腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。


          ブログパーツ
           

          心を養い育む「十徳」

          お薦め度【★★★★】全業種、業態用

          心の原点

          日本人の心の原点とも言える仏教十の徳目をまとめてみました。

          ・・。人を思いやる心。慈しみ。最高の徳
             身近な家族→親戚→社会 と、近くから遠くへと秩序立てて広める。

          ・・正を貫く心。善悪、正邪、真偽。人道に従うこと、道理にかなうこと。
             を広める形。親への孝、兄や年長者への悌、君主への忠、社会には。これが道・正

          ・・敬意を表す心。社会秩序を保つための生活規範、儀式、儀、作法、節。
             を学ぶことが、学。儀を身につけた人を、学のある人という。
             を実行して社会から頼される人、そんな人が、学のある人

          ・・正しい判断を下せる能力。正しく豊富な知識と経験、洞察力が加わったものが慧。

          ・・心の中に偽りがないこと、主君に専心尽くそうとする真心。

          ・・頼する心。言葉で嘘を言わないこと、相手の言葉をまことと受けて疑わないこと。

          ・・親や先祖を大切にする心。想いはかること、工夫をめぐらすこと。親孝行すること。

          ・・兄弟仲がいいこと。

          ・・は二種に分けられる。
             一つは、他者からの迫害や侮辱あるいは自然災害や病気などによってもたらされる
             苦難に対して堪え忍んで怒らず、動揺しないこと。
             これは布施などとともに、福徳としての重要な善行と考えられている。
             もう一つは、「無常」、「無我」、「空」、「縁起」などで表現される
             仏教の真理において心が堪え忍ぶこと、即ち真理に対して不動で安定している。
             慧としての忍によってこそ、あらゆる苦難を忍ぶことができる。

          畏れ・・(オソレ)を仏教では五怖畏(ゴフイ)と示します。
              不活畏、悪名(アクミョウ)畏、悪道畏、死畏、大衆威徳(ダイシュウイトク)畏で、
              人間が生きていく中での五つの畏れです。私達は健康で長生きしたいという、
              生を肯定した日々の生活ですが同時にその生の肯定には生の不確かさ不安を抱えています。
              詰り死に向かっての日常生活の中で現れてくる不安、畏れです。

          ※この一つひとつを学び、仕事や実生活に生かすことはとても大切です。

            ブログパーツ

             

            遣い遣いの違い

            お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

            気と心

            配り配り配り、手配り、身配り配り遣い遣い働きは、
            日常の人との触合いは勿論、人の付加価値が大切な、おもてなし接客接遇に欠かせません。
            或る時に、日本料理店で接客の仕事をしている方から、

            遣い遣いの違いは何ですか?』と、質問されました。

            「それは<>と≪≫の持つ意味を知ることです。
            <心>は、言うまでもなく、人として誰もが持っている心、即ちその人全てを現すものです。
            ≫は、元気などの生命力、勢いの意味を持つ一方、気持ち、気分、意思と
            言った精神的な用い方、その場や場面の環境、状態、状況、居心地、雰囲気を意味する時に用いられます。
            その他に精神的な面で、気にする、気になる、気が散る、気に障るなどのように使われます。」
            と答えました。
            この問いは、お客様に接客し、もてなす上での心得としてとても重要な質問だと感じました。

            また、接客やおもてなしの場に限らず、毎日何気なく使っている≪≫を
            含んだ言葉の持つ意味を知っておくことは、普段の人との触合いや大切な人との
            人間関係や繋がりにとても大事なことなのです。
            (参考)

            以下、気配り、気遣い、気働きの気を含んだ言葉と心遣いについて、
            大辞泉の解説に私見を交えて載せておきます。

            【気配り】
             あれこれ気を使うこと。手抜かりがないように注意すること。心づかい。配慮。
            [類似語] 
             ・目配り・配慮・心遣い・気遣い・恩顧・留意・ケア・デリカシー・細やか・濃やか・気を配る・関心

            【気遣い】
            1 あれこれと気をつかうこと。心づかい。心遣い。「どうぞお心遣いなく」
            2 よくないことが起こるおそれ。懸念。「情報が漏れる気遣いはない」
            [類似語]心配・不安・心遣い・親切・注意・洞察・配慮

            【気働き】
            気が利くこと。機転。
            [類似語]・気遣い・機転・機知・親切・目配り・料簡(リョウケン)

            【心遣い】
            1 あれこれと気を配ること。
            2 物事がうまくいくように気をつかうこと。心配り。配慮。
            3 祝儀。心付け

            [類似語]注意深い・心・配慮・親切・優しい・面倒をみる

            ※気は「元気」などの生命力、勢いの意味を持つ一方、気持ち、気分、意思と言った精神的な
             用い方、その場や場面の環境、状態、状況、居心地、雰囲気を意味する時に用いられます。
             精神的な面で、気にする、気になる、気が散る、気に障るなどのように使われることもあります。
             また、諺にある「病は気から」の「気」は、本来中国哲学の気に由来していますが、
             「気分」「元気」の意味に解され、誤った使われ方をされている場合があります。


            【以下学びメモより引用】
            (1)気は空気状のもので、天地の間に遍満して流動変化すると共に、
              人の身体の中にも満ちていると考えた。
            (2)気は天地万物を形成し、かつ気が生命力、活動力の根源であって、
              人の身体的、精神的諸機能もすべて気から生ずると考えた。
            (3)陰(いん)なる気と陽(よう)なる気、あるいは五行(ごぎょう)
             (木火土金水)の気という2種類または5種類の気を考え、
              この多様な気の配合、循環などによって事物の異同や生成、変化を説明した。
            (4)これらの多様な気の本(もと)となる根源の一気を考えてそれを元気(げんき)と称し、
              元気による万物の生成を説いた。


              ブログパーツ
               

              学びの修得

              お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

              thCA7VC5RY横

              私達は、日々生かされ、生きていると数多くの学び言葉に出逢います。

              ましてや溢れるばかりの情報社会の現在、

              己を知り、認め、その器にあった学びを選択し

              我が身に修めつつ、自らの生き様に活かす

              それこそが、自らの心に生かされた「真の学び」だと解します。


                ブログパーツ
                 

                五現」と「五原

                お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                「心・技・体」と向き合う

                ◇自分を知り、認める為の「五現」と「五原」◇

                己のを知り、認めるために、一般社会で三現主義現場・現物・現実】の三つの現と共に、
                現況(認識)・現状(認識)】 の二つの現は、決して切り離すことが出来ません。

                同時に、【原義・原点・原因・原則・原理】の五要素で己のを診ることも大事です。
                このことを私見ながら五現」と「五原と、表現します。

                ★【現実】己のの【現実】を直視し、現況、現状を正確に把握し、
                 その現実を【原義・原点・原因・原則・原理】の五つの要素で思考、分析し、
                 今の自分に合わせて適切な対処対策を実施すること。

                ★【現場】実生活上での【現場】(生き様)に於ける、己のの現況、現状を確り見つめ、
                有りの侭に正確に把握し、生きて行く中で起きている事実を【原義・原点・原因・原則・原理】の五つの要素で思考、分析し今の自分に合わせて適切な対処対策を考えて、
                重視度(優先順位)つけ実行に移す活動をする。

                ★【現物】己のの【現物=知情意の知】の姿、現況、現状(状態)を正確に把握し、
                その現実を【原義・原点・原因・原則・原理】の五つの要素で思考、分析し
                今の自分に合わせて適切な対処対策を実施する。


                (参考) 「五原」夫々の意味

                【原義】=その言葉が本来持っていた意味。元の意味。原意=もとの意味。本来の意味。

                【原点】=物事を考えるときの出発点。
                 ※原点回帰=自分が原点であると思った場所に帰ること。初心に戻ること。

                【原則≒法則】=多くの場合に共通に適用される基本的な決り。
                 顧客やクライアントの立場に立ち、顧客目線・顧客意識で見たり考えたりすること。

                【原理】=事物・事象が依拠する根本法則。基本法則。
                 様々な不の要素を引き起こすメカニズムや製造・販売条件、製造・販売環境などの
                 多角的に機能を知り認識すること。

                【原因】=ある物事や、ある状態・変化を引き起こす元になること。また、その事柄。


                  ブログパーツ
                   

                  四苦八苦」&「八正道

                  お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                  四苦八苦8正道

                  おもてなしや接客業に必要とされる人として大切な心や思いやりや利他心を学ぶ過程に於いて
                  仏教、儒教やキリストの素晴らしい教えに触れなければなりません。
                  以下の「四苦八苦」や「八正道」も、人として大切で必要な学びだと解します。
                  私は、利他心を学んだ頃より、八正道の中で特に正語」「正行に心掛けるようにしております。


                  ※以下、「仏教の教え」と「天台宗一隅を照らそう」より一部引用
                  とても苦労した時や苦悩した時に「四苦八苦」すると表現します。
                  人間のあらゆる悩みのことを指して「四苦八苦」≒仮説108の煩悩(4×9≒36)+(8×9=72)といいますが、
                  では具体的に四苦八苦とはどのようなことをいうのでしょうか?

                  人生の苦の内容を紐解いてみると、
                  一寸先がどうなるかわからないという未来への不安の苦しみがあり、
                  それから万事自分の思うようにならないという不満の悩みがあります。
                  この二つが合わさって「苦」の原因になっているのです。
                  そして、この二つとも自分が中心にあります。
                  「苦」というものをどこまでも自分の問題として考え、
                  「苦」の本質を四つに分けて説明していました。
                  詰り、
                  ・欲望に基づく「苦」
                  ・無知に基づく「苦」
                  ・人間存在そのものに根ざす「苦」
                  ・無常に基づく「苦」
                  の四つですが、この内「欲望」と「無知」から苦が生じるというのは解り易く、
                  人間は欲望が満たされないから苦を感じます。

                  また、そうした欲望が自分の内側に向けられると、
                  自己矛盾や自己否定を引き起こしますが、
                  どうしてそうなるのかが分からないから一層大きな苦を感じてしまうという訳です。
                  「四苦八苦」は、三つめの「人間存在そのものに根ざす苦」のことです。
                  この「四苦八苦」は仏教の根底となる教えです。

                  先の四つの苦、これは時間的な苦悩で以下の「生・老・病・死」をいいます。
                  (しょう)--生きるということは苦である
                  (ろう)--老いていくことは苦である
                  (びょう)--病にかかることは苦である
                  (し)--死ぬということは苦である
                  まず、この世に生まれて来たという苦しみがあります。
                  「生」とは「老・病・死」を統括したものだと言う考えです。
                  詰り、生まれて来たから、老いの苦しみがあり、
                  病の苦しみがあり、死の苦しみがあるということです。
                  生まれて来たこと自体が苦しみの始まりであると言う考え方です。
                  次の八苦ですが、これは八つの苦があると思っている人が多いようですがそうではありません。

                  最初の時間的の四つの苦に、空間的の
                  愛別離苦(あいべつりく) 愛するものと別れるのは苦である
                  怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎む者と会うのは苦である
                  求不得苦(ぐふとっく) 求めても得られないのは苦である
                  五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊とは色・受・想・行・識のこだわりの苦しみ。
                  の四苦を加えて八苦とするので、四苦の他に八苦があるのではありません。

                  まとめると苦とは、自分ではどうにもならないことを言います。
                  人間は、「必ず移り変わるもの」を「永久に不変のもの」と錯覚し執着します。
                  一時の喜びや、楽しみは、いつかは消え、必ず「苦しみ」が付き纏って来るものです。
                  酒や遊びで一時逃れをせず、確りと「現実」を見据えて
                  「苦」を正面から受け止めるようにすることです。
                  人間は、四苦八苦を経て成長するとの教えがあります。

                  釈尊は四苦八苦を含め「」を滅する方法として八つの正しい道「八正道」を解き明かしました。
                  これが、正見正思正語正行正命正精進正念正定の方法です。
                  これらすべての方法に「」の字がついていますが、
                  正しい」とは「真理に合った」・「調和のとれた」考えや見方、行動をさし、
                  小我「自分本意」にとらわれて、自分自身を過大評価し、
                  不平・不足・不満などの苦の種をつくらない大きな立場で物事を判断できる
                  人間となる事を示す道として解き明かしたものである。

                  また、ものの見方には現象に現れた差別の見方や前記した大きな立場からの
                  「平等だけの見方」のどちらに偏っても正しい見方とはいえないのです。
                  ここでなぜ「平等」の見方だけで正しくないのかという疑問が湧くかもしれませんが、
                  物の本質として現象に千差万別の差別の実相を現すには、
                  それなりの原因や条件があり理由があり無視する事はできないのです。
                  このように差別の見方にも偏(かたよ)らず、平等の見方にも偏らない、
                  両者を総合したとらえ方が本当の「正しい」見方や捉え方と言えます。

                  これを仏教では「中道」といいますが、これは一方に片寄らない、
                  ちょうど真ん中という意味ではなく、その時々の真理の条件・立場に合った
                  最善の方法の見方や考え方という事です。
                  この考え方や見方は法華経の「妙」を現すものです。

                  正見
                  自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。

                  正思
                  自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。
                  例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)
                  瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)
                  愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)
                  という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。

                  正語
                  恒に真理に合った言葉使いをする事。
                  社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)
                  両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)
                  綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。

                  正行
                  本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。
                  仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)
                  偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。

                  正命
                  衣食住その他の生活財を正しく求める事。
                  人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって
                  生計を立ててはいけないこと。

                  正精進
                  自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道に逸れたりしない事で、
                  捉われ過ぎ偏った精進は反って逆効果になる場合があります

                  正念
                  仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、
                  ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。

                  正定
                  心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。
                  腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
                  ※上記の「八正道」の法門は、釈尊が人生苦というものに対する考え方や
                  その「苦」に対処する実践方法を解き明かされた大切な法門です。
                  深く心に刻んで頂きたいことです。

                    ブログパーツ
                     

                    ボランティアと「自利利他

                    お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                    仏教「四摂事(シショウジ)」

                    【以下、学びのメモより引用】

                    仏教の教えで、ボランティア活動を「四摂事(シショウジ)」と言います。
                    仏教でのボランティアの根本精神は、自らを生かし、
                    他者を生かすという「自利利他」のことを指しています。
                    この「自利利他」の心を日々持ち続けることは、社会人に限らず
                    サービス業に従事する物にとっても、とても大切な心得であると思われます。

                    この四つの実践法は、「布施・愛語・利行・同事」から解釈できます。

                    布施」は、
                     一切の見返りを求めずに、自分ができる「もの」でも「心」でも、
                     惜しみなく他者に分け与えることを自然に何気なく行なうこと。

                    愛語」は、
                     愛のある優しく温もりのある言葉を掛け続けること。

                    利行」は、
                     己の身と口と心を使う実際的なエネルギーを発信する活動のこと。

                    同事」は、
                     相手と同じ立場に成りきって、意識や目線を持ちコラボレーション「協働」する、
                     パートナーシップのこと。

                    この「自利利他」は、自分のことはさておき、この様な行を人の為に
                    何かをしなさい、と言うことではなく、
                    自分を生かすボランティアをしている人は、他者も生かすことができる。
                    真の自利の精神があってこそ、利他の心が機能するということを表わしています。

                    人は、自分が溺れていては、溺れた人を助けられません。
                    ゆったりした「中道」の心で自分を活かし、相手を生かす。
                    これが、仏教のボランティア活動にとって、とても大切な「生き方」だと説いています。

                    ◎「自利利他

                    伝教大師最澄(767~822)の「自利とは、利他をいふ」の言葉は
                    他人に利益となるように図ることが利他、自分のことよりも他人の幸福を願うことが利他、
                    人に良かれと思い、行動することが利他、利他を実践して行きさえすれば
                    いつかは自分の利益になるではなく「利他の実践そのものが、自分の幸せなのだ

                    即ち、自利と捉えられると解します。
                    この「自利利他」の実践におけるで「利他行」は
                    人に良いことをする利他行自体が幸福であり その利他は、巡って自分自身に返る
                    リターン・アイ】と、捉えられると思います。
                    また、自利利他をより深く知ることで「利他行」の大切さが再認識出来ます。
                    日々の仕事は、「利他行」そのものと言っても良いのではないでしょうか。
                    同時に、それは自利利他であると解せます。


                    ※【自利利他】大辞林より。
                    自利と利他。自らの仏道修行により得た功徳を自分が受け取るとともに,
                    他のための仏法の利益をはかること。自行化他。自他。


                      ブログパーツ
                       

                      」「れ」 (オソレ)

                      【my学びメモより引用】

                      お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                      畏れ

                      」「」という熟語があるように、
                      特に「かしこまる気持、敬う気持」
                      が含まれる場合はこちらが適しています。
                      「神をもれぬ行動」などと使います。

                      仏教では「畏」を、五怖畏(ゴフイ)と示します。
                      それは不活畏、悪名(アクミョウ)畏、悪道畏、
                      死畏、大衆威徳(ダイシュウイトク)畏と言われ、
                      人間が生きていく中での五つの畏れです。



                      私達は健康で長生きしたいという、生を肯定した日常生活です。
                      その生の肯定には生の不確かさ不安を抱えています。
                      詰り死に向かう日常生活の中で現れる不安、畏れです。

                      五怖畏

                      一つは「不活畏」、

                      このままで生きていけるだろうかという畏れです。
                      馘(カク)首や老後の不安等々により、現在も未来も不安なのです。
                      毎年三万人ほどの自殺者があることが、これを表しています。

                      二つには「悪名畏」、

                      関係性の中で生きている人間は、自分の名、評判が気になる、
                      自分がどう思われているかという畏れです。
                      とくに面子に拘(こだ)わる人にとっては大問題です。

                      三つには「悪道畏」、

                      例えば不治の病にかかったり、不慮の事故に遭ったりすることです。
                      なぜ私だけが、こういうことに遭わなければならないのかという畏れです。
                      しかし、これは日常性の中に埋没して忘れており当事者になってはじめて分かるものです。

                      四つには「死畏」、

                      死への畏れです。
                      皆にある不安ですが、不治の病にかかったり、高齢化したりしないと実感が湧きません。

                      五つには「大衆威徳畏」、

                      一人毅然(キゼン)として生きていこうとしても周りが気になる。
                      流行などもそうですが、人が自分のことをどう思っているのかと
                      周囲が気になってしまう他者の思惑、そういう畏れの中に生きています。
                      人々の恐怖心や不安を取り除き、畏れなき安心を与えることを〈無畏施〉という。
                      袖振り合うも他生の縁というように絆の大切さ、
                      生きとし生けるものの命の尊さ、自然との共生などを教えました。
                      更に生活の徳目として、自己の利益のみを追求することなく、他の人々に利益を与える利他を勧め、
                      自利利他の円満という理想を示します。

                      かの宮沢賢治は、

                      世界全体が幸福にならない内は、個人の幸福はあり得ない
                      と、利他の重要性を強調しました。

                      友愛」という言葉があります。
                      それは、自分の気に入った人だけが「友」で、
                      好きなものだけを「愛」の対象にするならば、それはエゴであり、
                      利他の対極にある自利に他ならないということなのです。

                      *****************************************************************************

                      「心の礎」お勧めのサービス
                      電話応対の見える化サービス【エファミステリー】
                      ミステリー調査員が、お客様に扮して「日常業務」に関する質問を電話で問い合わせることで、
                      そのやりとりの中から「評価チェック項目」を元に分析し、
                      「電話応対」での潜在的な課題や問題点を「見える化」するサービスです。
                      詳しいお問合せは、(有)エファ迄。
                      <%topentry_more>
                       





                        ブログパーツ
                         

                        仏教「十の徳目

                        お薦め度【★★★★】全業種、業態用
                        10徳小

                        この十の徳目の内、『仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌』の八つは里見八犬伝でも知られています。
                        【以下学びメモより引用】

                        「仁」・・・思いやりの心を持つこと。
                           ・・・仁義・真実・まこと・誠意。
                           ・・・慈しみ、思いやり
                              人を思いやること、これは内面的なもの。
                              詰り、気持ちの事を意味しています。
                           ・・・互いに慈しみ合う姿で義・礼・智・信の
                              徳を実践する最終の目的。

                        「義」・・・正しい行いをすること
                           ・・・正しい筋道・義理・筋
                           ・・・道理、条理や義気。
                           ・・・社会を成り立たせ、伝統で精査もされ、人たらしめる仕来りのこと

                        「礼・禮」・・・豊かな心を示すこと
                           ・・・礼儀
                           ・・・礼節、礼儀を弁える。
                           ・・・人相互の軋轢を防ぎ、行動に根拠を持たせる、
                              当然の作法のこと。

                        「智」・・・正しい判断をすること
                           ・・・知恵・知恵・認識
                           ・・・物事を理解し、善悪を分別する。
                           ・・・義・礼・歴史、心姿などの知識で研究し、
                             行動の根拠にするもの。

                        「信」・・・周りの人から信頼されること
                           ・・・信義・誠・確信・信ずる
                           ・・・人を信じ、人に信じられる。
                           ・・・義・礼・智などを互いに求め、互いに目指していること、
                              人を見ること。人物を心眼で見ること。

                        「忠」・・・儒教における重要な徳目の一つであり、
                              主君に対し正直で裏表のない心のことを表します。
                           ・・・また主君に尽くすという真心を忠義と言う。

                        「悌」・・・兄や目上の者に素直に仕えること。
                           ・・・悌の基本は、実力であり、素直に認めることです。
                           ・・・礼の心を以って優者に対する敬心であると言われ、
                              自分より優れた者を認め、敬う心、即ち尊敬心と言われます。
                           ・・・優れた者に恭順たれと言うこと言い表しています。
                           ・・・また、悌の本質は、相手の実力を認め、
                              己より優れた処が在れば、素直にその指導に従うこと。
                              (優れたところが在れば、それが、年下でも、後輩でも、
                               部下でも、子供だとしても素直に従うこと。)

                        「考」・・・儒教の徳目の一つで親によく服従することです。
                           ・・・身近な所から段階的に進められる儒教の徳治において、
                              家庭で守るべき徳として「悌」と共に重要視されています。
                           ・・・「孝悌」と併用され、「孝悌は、仁を為すの本」とされています。

                        「畏」 (オソレ)
                           ・・・私達は健康で長生きしたいという、生を肯定した日常生活です。
                           ・・・その生の肯定には生の不確かさ不安を抱えています。
                           ・・・詰り、死に向かう日常生活の中で現れる不安、畏れです。
                           ・・・「畏怖」「畏敬」という熟語があるように、
                             特に「かしこまる気持、敬う気持」が含まれる場合はこちらが適しています。
                           ・・・「神をも畏れぬ行動」などと使います。
                           ・・・仏教では「畏」を、五怖畏(ゴフイ)と示します。
                           ・・・不活畏、悪名(アクミョウ)畏、悪道畏、死畏、大衆威徳(ダイシュウイトク)畏で、
                             人間が生きていく中での五つの畏れです。

                        「忍」・・・「忍」は「忍辱(ニンニク)」とも言われ、二種に分けられています。
                           ・・・一つは、私達に馴染みのあるもので、
                              他者からの迫害や侮辱、或は自然災害や病気などによって
                              齎される苦難に対して堪え忍んで怒らず、動揺しないこと。
                           ・・・これは布施などと共に、福徳として重要な善行と考えられています。
                           ・・・もう一つは、「無常」、「無我」、「空」、「縁起」などで表現される
                              仏教の真理において心が堪え忍ぶこと、
                              即ち真理に対して不動で安定していることとされています。
                              これは仏教における智慧の別な表現でもあり、
                              忍は、智慧と密接な繋がりのあることを知ることが出来ます。
                           ・・・そして、これら二つは別々のものではなく、
                              前者は後者に依拠してこそ可能であるとされています。
                           ・・・智慧としての「忍」によってこそ、
                              あらゆる苦難を忍ぶことができるとされています。



                          ブログパーツ
                           

                          先ず、人を思う」御心

                          人を思う

                          お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                          一昨年の震災後に被災地御訪問された時や記者会見時の陛下、妃殿下の態度やお言葉にも
                          先ず、人を思う」心を窺い知ることが出来ます。
                          この陛下の「先ず、人を思う」心は、思い遣り利他心に他ならない、と私は解します。
                          そしてこの心は、日本独自の文化である「おもてなし」の表れであるとも考えられます。
                          その「おもてなし」の心の原点とも言える「思い遣り」は自らの心に存在し、
                          その心を感じる「優しさ」は、触合う相手の心の中に生まれ、息づきます。
                          その優しさに溢れ、素敵で恰好が良く、見た目や仕草がエレガントで素敵であることは、
                          人としてとても大切なことですが、これは全て自分自身が評価することではありません。
                          日々出逢ったり、触合ったり、過ごしたりする周りの人々が、感じ受け止めることです。
                          自分のことを「優しい」と言う人に、【優しい人はいない】と体験から思います。
                          個々人の外見や内面の魅力を磨き高め、エレガントで恰好の良い素敵な自分自身になり、
                          周囲の人々を惹き寄せ、異性に限らず同性にも魅力である「モテ力」の≪源点≫は、
                          自らの心の中にある「思い遣る心」をより一層パワーアップすることに他ならないと考えます。

                          ただ外見や好印象を持たれる仕草に拘ることだけに目を向けるのではなく、
                          素敵な心の魅力の≪原点≫とも言える「思い遣りの心」を深く学び、備え持つことをお薦めします。
                          この「思い遣りの心」は、日本の文化「おもてなし」の中にも数多く存在しています。
                          特にその中でも、感謝力、立場転換力、誠実さ、言語会話力、傾聴力、自然な表現力は、
                          自らの魅力をより一層高める為にとても大事なことです。
                          近年、人との触合いについてのネットや本、メディアの情報量は凄まじいものがあります。

                          中でも特に、対人関係に於ける感動の手法、コミュニケーション術、
                          引き寄せ惹き付けの法則、綺麗の法則と言った言葉を見る機会も大変多くなりました。
                          また、数えきれない程のマナー講師、接客・接遇コンサルタントやインストラクターと言われる方々が、
                          社会生活や日常での人との触合いに必要とされる人間関係力について様々に角度や手法を変え、
                          日本全体に広めようと懸命に活動されていることは、とても素晴らしいことだと思います>

                          このようなことは、
                          もの」作りの国日本から、「もの」をどのように使い生活を楽しみ、心を豊かにする「こと」、
                          即ち人創りの日本に変わりつつ表れではないかとも考えられます。
                          言い換えるならば、日本独自の物や形を作ることと共に、
                          心 (人)を育むことに日本の社会が変化しつつあるのではないかとも考えられます。

                          但し、様々な講座やセミナーが満ち溢れている現況から、学びを選択する際には、
                          自らの目的に合わせた内容に心すべきだと考えます。
                          同時に、学ぶことばかりを優先し「頭でっかち」にならないこと、
                          学びをリアルなこととして実践に結付けることを留意しなければならないとも思います
                          このような時代の変化は、日本が少子高齢化社会に成ると共に、
                          個人中心の環境になり、個人の心や安心安全を優先して思考する社会現象にも表れていると思います。
                          古より、日本人は人の目や他人の思惑を中心に思考し、自然さを重んじ、
                          相手に察しられないように意識し、さり気ない控えめな行動すると言われて来ています。

                          例えば、他者へ感謝の表現を感謝と言わず「ありがとう」や「有り難い」と言って表わし、
                          「感謝」の語句を、ここぞと言う大切な時に重みのある言葉として使うことです。
                          でも最近、この感謝の重みを深く考えずに軽々しく使う人が増えていることは残念です。
                          昨年の震災後に顕著に見られた様々なボランティア活動や「自分の為より、誰かの為に」
                          と言った利他の意識が日本社会全体に高まると同時に、豊か過ぎた日常生活を改めて見直したり、
                          独身者の婚活が盛んになったりしていることでも判る通り、日本人誰もが持つ「優しさ」、
                          「慈愛の精神」は、決して失われていないと思います。

                          日本の象徴である天皇陛下のお考えである、
                          先ず、人を思う」心は、まさしく利他の「思い遣りの心」であり、
                          日本の文化と日本人の『心』と『美』の【原点】あると思います。


                            ブログパーツ
                             

                            永遠の命

                            永遠命


                            お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                            引用した下記の文言を読んで、日本人の命とも言える茶道を始めとした
                            日本の数々の文化や芸術品のこと、大河ドラマで篤姫の残した
                            「徳川の時代は終わっても徳川の名は残る」の言葉を思い浮かべると共に、
                            私達は、この日本の命をもっと大切にして 行かなければならないと思いました。
                            おもてなし」「利他心」は日本の命です。


                            以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載。

                            「人は死んだら終わりなのでしょうか?」
                            いいえ、そんなことはありません。
                            心としての命、魂としての命は無限であり、永遠の命です。
                            この命の無限のつながりあいは、人間同士だけのことではありません。
                            仏教では一切衆生といいます。
                            この場合の衆生とは生きとし生けるもの総てのことを指し、
                            動物も植物も、皆私達人間と同じ命が繋がっていると考えるのです。

                            人間は言葉を持ち、過去や未来を、また見えない物をイメージする能力(想像力)を持っていますし、
                            物事に対して感情を持つことができます。

                            人の心の中に生き続ける命があります。
                            例えば、最愛の親を亡くした時、悲しみに溢れると同時に想い出が一杯残っていると思います。
                            色々な親のイメージが走馬燈のように現れ、これまで自分を育ててくれ、共に生活してきた
                            親の恩に対して感謝の念を持つはずです。
                            想い出は家族や友人の心の記憶にしっかりと刻まれて生きています。

                            こうした気持ちこそが、たとえ人が死んでも、肉体は滅びても、その人が新しく生き始める命と
                            いってもいいのではないでしょうか。最近感動した本や映画はありませんでしたか。
                            映画や文学作品、絵は人々に感動を与え、勇気を奮い立たせます。
                            その作者は他界したかもしれませんが、素晴らしい文学作品は色々な人に読み継がれています。

                            さらに博物館や美術館の展示物は時空を超えて私たちに感動を与え、
                            見た者はその時代時代の生き様や息吹を自ずと感じ、イメージをかきたてます。
                            悠久のロマンあふれる古代遺跡や建築、様々なジャンルの音楽や芸術もしかりです。
                            それらはみんな魂が宿っているからであり、それを人々は認め、決して忘れません。



                              ブログパーツ
                               

                              リレーされる

                              リレー命


                              お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                              一隅を照らす運動
                              以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載。

                              あるお家で赤ちゃんが誕生しました。
                              よく生まれてきたね。生まれてくれてありがとう」と、両親を始めとする家族は赤ちゃんを迎え入れ、
                              新しく家族が増えたお祝いをします。
                              生命の誕生という神秘と不思議に一喜一憂した経験を持つ方も多いと思います。

                              その「生まれてくれてありがとう」という誕生を感謝祝福する気持ちやメッセージに始まり、
                              親から子どもへ様々な言葉や形の愛情が注がれ、そうして子供が「生きている」という自己確認ができ、
                              親子の絆というものがその後の人生を心の奥底で支える基礎となることでしょう。

                              人はみな生から始まって死に至りますが、生を次代に委ねることにより生が繋がっています。
                              詰り「リレーされる」とは、人間として種族として家族として継承される生命ということです。
                              家族でいいますと、祖父母、父母、子、孫というように続いているです。

                              先祖子孫のことを想い起こすことができるのは、せいぜい三世代くらいまででしょうが、
                              私が今ここにいるということは、何はともあれ2人の父母がいたからです。
                              その親がまた2人ずつで4人という風に倍々に増えていきます。
                              父母、祖父母、曾祖父母と世代を遡れば昇るほど、ご先祖様の数はふくれあがっていきます。
                              これを続けて計算していくと20代前には100万人を超え、とんでもない数字になります。

                              実際は色々と複雑に絡み合っているのですが、こうして考えますと人類みな兄弟、
                              ご先祖様はみな同じということになります。
                              人間同士も、総ての命も同じ繋がりがあるのです。
                              ですから、命あるものはみな兄弟と意識できれば、人間同士が傷つけあったり、
                              他の生命を粗末に扱ったりということもなくなるのではないでしょうか。

                              草花が生長することについて考えてみましょう。
                              毎年春になるとタンポポが可憐な花を咲かせます。
                              花から綿毛が飛ぶ迄の営みをみると自然界に尊い生命が厳然と存在する事に気付かされます。
                              タンポポは花が終わると苞を一旦閉じ、種を作り、
                              その間に茎は種たちが春風に乗って少しでも遠くへ行けるようにと生長します。
                              やがて丸い綿毛ができると春風に乗って、一つずつ次の生に向かって飛び立ちます。

                              死後に自分の生命の種を維持保存し、次代を作り出そうとする不思議なサイクルで、
                              命の種が継承され営みが続けられるのです。
                              タンポポのような小さな草花もアリのような虫も私たち人間も、みな同じ生命の持ち主であり、
                              その生命力は遠い先祖から遥か未来へリレーされていく命なのです。

                              私達は、あらゆる生命の誕生を喜ぶことは勿論、人間のみならず、動物や植物の生命の
                              繋がりや重さを噛みしめたいものです。


                                ブログパーツ

                                 

                                『生かされている命』

                                生かされている命


                                お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                                人間の取り分(二)
                                『生かされている命』

                                以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載。

                                地球上の生きもの総てはDNAという物質を基本として生きていているということです。
                                詰り、これはあらゆる生物が共通の祖先から生まれた仲間であることを意味し、
                                人類だけでなく地球上の総ての生きものは広い意味でまさしく仲間なのです。

                                キリスト教の言葉で
                                「人はパンのみに生きるにあらず」というのがありますが、
                                人間生きてくためには食べものが必要です。
                                食は命を養い、心を養う糧でもあります。
                                日本では周りに食べ物が溢れているので実感が湧き難いかもしれませんが、
                                地球上のあちらこちらには、この瞬間にも飢えている人、特に飢えに苦しむ子どもが大勢います。

                                第253世天台座主であった故・山田恵諦猊下は
                                「今日まであった10あったパンを十人が仲良く食べていたのを、
                                 パンが出来ないか、或は減るかもしれません。
                                 もし減らずに持たせても十人が食べていたのを15人が食べなければならないことになってきます。
                                 その時、十のものを15人がどうすれば仲良く分けることができるかを思案しなければなりません。
                                 知識は必要ですが、これからは思いやりの深い人をつくることが大切であります。
                                 そうすれば十のパンを15人がどうすればよいかということを喧嘩なしに分ける時代がやってきます」
                                と常々述べられていました。

                                今の処、日本では食物が大きく不足していませんが、食物を諸外国からの輸入に依存する現実があります。
                                今は食料輸出国のお陰で輸入できていても、これから先、
                                農作物の生産や食べ物の供給は絶対に大丈夫といえるでしょうか。
                                世界を見渡せば人口増加は続き、食べる人数が増えるだけでなく、
                                地球温暖化の影響もあって世界各地で食物の生産方法や生産量も変化しています。

                                ところで、仏教には五つの基本の戒があり、「五戒」といいます。
                                その一番目が不殺生戒(生きものを殺さない)です。
                                「生きものを殺してはなりませんよ」ということを100%守っているかと問われて、
                                ハイと答えられる人はいないはずです。それは、毎日の食事をみればおわかりのように、
                                私たちが自らの命を保っていけるのは、様々な命の犠牲のお陰です。
                                それでは、なぜ「不殺生戒」というものが定められているのでしょうか。

                                これは、「生きものを殺してはなりませんよ」という教えによって、
                                先ず私たちは他の命を奪っているということに気づくことと、
                                そして人間の身勝手を抑制することではないでしょうか。

                                私たちは普段の食事の時、食前に「いただきます」、
                                食後に「ごちそうさま」といいます。
                                これは日本の行儀作法であり、料理人や食事を提供下さった方への感謝という意味だけではありません。

                                私達人間は生きて生命を維持するために実に色々な生命を奪ってしまっています。
                                大自然の恵みや大勢の人々のお陰に感謝して食べよう。
                                牛や豚や鳥や魚の生命を奪い、食べています。
                                お米や大根やお芋だって命があります。
                                船上の魚がピチピチ跳ねるのも苦しいからに違いありません。
                                どんな生きものも死が苦しみであることは私たち人間と同じはずです。

                                このことをしっかりと認識するために、「色々な尊い命を頂いて、それらの命の分、
                                精いっぱい生かせていただきます」と、反省と感謝の心をもって
                                いただきます」「ごちそうさま」と合掌するのです。

                                ついつい自分のものと思いがちなこの生命ですが、実は大自然のあらゆる命の営みから恩恵を
                                いただき、生かさせていただいていることを、再確認しましょう。

                                一隅を照らす運動が「生命-あらゆる"命"に感謝しよう」と
                                実践三つの柱に掲げる大きな目的の一つは、大自然の恵みによって生かされていることに感謝
                                生命の大切さを自覚するということです。
                                つまり、生命を大切にする、その生命に感謝するという素直な気持ちで、
                                総てのことを考えて行きましょうと言うことです。

                                この場合の生命は、自分自身、家族、友人に始まり、地球上に暮らす総ての人々、そして
                                人間だけでなく総ての生きものの"命"にまで及びます。
                                地球上の全生物が網の目のような相互関係で生きている以上、私達人間の取り分があって、
                                勝手な生き方はバランスを崩すことになることを充分に弁え、一人ひとりが思いやりの心を持ち、
                                日々の生活を送ることが大切ではないでしょうか。


                                  ブログパーツ
                                   

                                  人間の取り分

                                  命-1


                                  お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                  日本にも、以下のような素晴らしい仏教の教えがあります。
                                  日本の文化を温故知新の心で見直してみましょう。


                                  生き切る
                                  [天台宗一隅を照らす運動]より転載

                                  自分とはどんな存在でしょうか。
                                  何のために生きているのでしょうか。
                                  私たちは気がついたらここにいました。
                                  気がついたらこの世の人になっていました。
                                  」はどこにあるのでしょうか。
                                  身体にあるのでしょうか。
                                  それとも心にあるのでしょうか。
                                  そして生から始まって死とはどういうことでしょうか。

                                  生には「生まれる」ということと、「生きる」ということの大きく2つの意味があります。
                                  私たちの人生において、前者は生の誕生で、後者は生・老・病・死という人間の一生です。
                                  無論、「」は人間にも動物にも植物にも、あらゆる生き物に宿っています。

                                  という言葉から、自分自身や家族のこと、身近な動物や草花のこと、毎日の食事のこと、
                                  野山や海や川といった大自然のこと、地球のこと、そして宇宙の命にまで、様々なことに思いが及びます。

                                  そのような思いや疑問は際限もなく尽きませんが、人間として生きていこうとする時、
                                  そのような根源的な問いをするのは自然なプロセスです。
                                  人間、その経験や苦闘によって自ずと成長していきます。
                                  そして心の中に生じた疑問に自分なりに回答を求めて与えることを通して、
                                  私たちの力をはるかに超えたものへの畏敬の念や、絶対的、
                                  神秘的なものの存在に気づかされていくことでしょう。

                                  そして自分の存在を確認して安心(あんじん)を得る
                                  と同時に生かされていることへの感謝の念が生まれ、
                                  同時に同じ命を持った者として他者への思いやりの念も生じてくるのではないでしょうか。

                                  さて、「命は誰のものですか?」と質問されますと、
                                  皆さんは大抵「勿論自分のものです」と答えます。
                                  ちょっと待ってください。
                                  人は独りで生きられないのと同じく、人は自分の意志によって独りで生まれたわけではありません。

                                  誕生日だって自分が決めたことではなくて、後から教えられたことです。
                                  では、もし運悪く交通事故にあって、ケガをしてしまったとしましょう。
                                  その連絡を聞いて真っ先に心配するのは両親や家族ではないでしょうか。
                                  無事でありますようにと必死に祈るに違いありません。

                                  命というものは、慈しもうとする、育もうとする、愛そうとするすべての人のものであると考える時、
                                  自分だけの生命であるとは決して言えないのです。
                                  私たちは、命を考える時、自分自身の心身だけに留まらず、
                                  自分の家族や地域社会、ひいては世界中と繋がっているということを意識しましょう。

                                  水、空気、食べ物といった周囲の環境と関わりながら生きていること、
                                  詰り自分以外のあらゆる物と関係があって始めて自分自身が生きている、生かされていることに
                                  気付かなければなりません。

                                  また、生命は自分自身で作ったものではありません、頂いたものです。
                                  お金で買えるものでもありません。
                                  同じものをつくることもできませんし、全く同じものが存在するわけもありません。
                                  個々の生命は唯一無二のものであり、かけがえのないものなのです。

                                  「人身受けがたし、今すでに受く」と
                                  『三帰依文』(さんきえもん)にありますが、
                                  私たちが「気がついたらこの世の人になっていました」という曖昧な事後認識ではなく、
                                  この世の人となること自体が非常に困難で有り難いということを自覚すれば、
                                  受けた生命を精一杯全うして人生を送ろうと考えるはずです。

                                  人間には死ぬことと同じように、避けられないことがある。それは生きることだ。」
                                  これはチャップリンの映画『ライムライト』での台詞です。

                                  人は生まれていつかは死ぬ運命にありますが、しかし、今を生きなければなりません。
                                  「何のために生きるのか、何のために生かされているのか」を自問し、
                                  生きる意味を追求するということは、自分なりの人生目標や目的を定めるということでしょう。

                                  伝教大師は『顕戒論』(ケンカイ)という書物において、「どんな人間でも12年を経れば必ず一験を得る」と
                                  申されています。
                                  験とは仏道修行によって現われた効験のことで、誰でも12年間一つのことをやり通せば、
                                  必ず立派な結果を生む行いが出来る人になるという意味です。
                                  12年と言いますとやはり継続と忍耐が必要ですが結果自ずと成長し目標に近づくことができます。
                                  人生において「一験あり」という人間になれるよう
                                  積極的に生きて、生き抜いて、自分の人生を充実させる、生を全うする、

                                  詰り、生ききる命、死にきる命、即ち、生ききってこそ、死にきってこそ人生です。
                                  いずれにせよ、単に人間の身体とその死という「命」ということだけでなく、
                                  精神的かつ社会的なことも含めた多面的で総合的な存在である人間としての
                                  「命」を考える必要があるでしょう。
                                  さらに、高度な科学文明の恩恵に預かり、何かと忙しい現代社会にあって、
                                  私達を取り巻く環境が大きく変わったことで逆に人間の心身をおびやかす度合いが
                                  強まっていると言えないでしょうか。
                                  だからこそ、一人ひとりが常に命について考え、学びあい、教えあい、意識することが
                                  大事になってくると思います。

                                  例えば、家族や友人あるいは動植物の死と
                                  言った死別体験、赤ちゃんの誕生と言った身近な生命の誕生。
                                  友との楽しい遊び体験や人生トラブル・挫折。恋愛や失恋。難問や目標をクリアした時の達成感。
                                  未知の文化との触合い。
                                  小説や映画、音楽・芸術での感動体験など、これらは人それぞれの日々の経験ですが、
                                  日常生活でのささいな出来事も、すべて「命の体験」に通じます。
                                  そして生きることを喜び、自他の命の尊さを感じ取れる人になるのだと思います。


                                    ブログパーツ
                                     

                                    一隅を照らす

                                    一隅を照らす


                                    お薦め度【★★★★】全業種、業態用


                                    古より日本にある仏教の教えは、サービス業に関わる私達に多くの学びを与えてくれます。
                                    温故知新の心で、その教えを見直してみましょう。


                                    一隅を照らす運動「実践3つの柱」

                                    以下【天台宗一隅を照らす運動】より転載

                                    一、(いのち)—あらゆるを大切にしよう

                                    私たちは人間に生まれたことにまず感謝し、
                                    先祖や両親から受け継がれてきた生の中で生かされていることを自覚しましょう。
                                    そして未来に生きる子どもたちのために、
                                    私たちは先祖によって培われた正しい人のあり方を伝えて行きましょう。
                                    また、大自然のあらゆる恩恵に感謝するとともに、
                                    それらの生の大切さを知り、新しいの誕生を心から祝福しましょう。

                                    二、奉仕(ほうし)—皆の為に行動しよう
                                    普段から何事にも「ありがとうございます」
                                    という素直な感謝の気持ちと、「おかげさま」「お互いさま」という
                                    助け合いの心が大切ではないでしょうか。
                                    奉仕は仏教でいう布施の精神を実践することで、見返りを求めない無償の活動です。
                                    地域はもとより世界中が平和に暮らすには、常に弱者の立場に立って物事を考え、
                                    行動することが大切です。
                                    慈しみと思いやりの心を家庭内に育み、出来ることから家族皆で心を合わせて
                                    協力して奉仕活動を行いましょう。

                                    三、共生(きょうせい)—自然の恵みに感謝しよう
                                    もったいない一人ひとりが地球を大切にする気持ちを表わす。
                                    美味しい空気、清らかな水、大地から与えられる
                                    食物や天然資源、これらの恵みは私たちが生きる源です。
                                    しかし、これらは決して無尽蔵ではありませんから、
                                    家庭では節水や節電など省エネルギーを心がけましょう。
                                    また、増え続けるゴミの問題は深刻な地球環境の悪化を招いています。

                                    まず私たちが物を大切にし、家庭内からのゴミを少なくすることが大切です。
                                    そして使える物はできるだけリサイクルしましょう。
                                    私たちの身近な取り組みが地球に優しい生活の第一歩です。
                                    共に生き、共に生かされるという精神で、
                                    かけがえのない地球を次代へ継承していきましょう。

                                    この「実践3つの柱」を心に留め、実践することにより、
                                    大自然の恩恵に対しても、人や物に対しても、
                                    何事にも「ありがとう」という感謝の気持ちが培われます。
                                    そして周囲に対して感謝と尊敬の心を以って
                                    自然に接することができるようになるでしょう。
                                    この3つの柱に添った活動は、忘己利他(もうこりた・己を忘れて他を利する)、
                                    少欲知足(しょうよくちそく)の精神に適った行いです。

                                    自分や家族の一隅を照らす行いは、みんなの身近なところ(一隅)にあり、
                                    身近なことから始める(照らす)ことが活動の第一歩です。
                                    小さな行いの積み重ねが、周りによい影響を及ぼし、
                                    結局は最終的に回り回って自分たちに還ってくるのです。
                                    詰り、自分の為であり、引いては将来に向けて
                                    我々の子孫の為の利他であると言えるでしょう。 

                                    一人ひとりが一隅を照らすことは、自他の幸せを願い、お互いに照らしあう運動でもあるのです


                                      ブログパーツ
                                       

                                      一隅を照らす運動

                                      ろうそく


                                      お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                      【利他の心】【利他愛】の実践
                                      【仏教の教えより一部引用】

                                      ひとり一人の身近なところ(一隅)にある自分や家族の一隅を照らす行いは、
                                      身近なことから始める(照らす)ことが活動の第一歩でだと仏教では説いています。
                                      日々の小さな行いの積み重ねが、周りに良い影響を及ぼし、結局は最終的に回り回って
                                      自分たちに還ってくることになります。

                                      詰り、自分の為であり、引いては将来に向けて我々の子孫の為の【利他行】とも言えます。 
                                      一隅を照らすことは、自他の幸せを願い、お互いに照らしあう運動でもあるのです。

                                      一隅を照らす運動が「生命-あらゆる"命"に感謝しよう」と
                                      実践三つの柱に掲げる大きな目的の一つは、大自然の恵みにより生かされていることに
                                      感謝し生命の大切さを自覚するということです。

                                      生命を大切にする、その生命に感謝するという素直な気持ちで、
                                      総てのことを考えて行こうということです。

                                      この生命は、自分自身、家族、友人に始まり、
                                      地球上に暮らす総ての人々、人間だけでなく、総ての生きものの"命"にまで及びます。

                                      地球上の全生物が網の目のような相互関係で生きている以上、私達人間の取り分があり、
                                      勝手な生き方はそのバランスを崩すことになることを個々人が充分に弁え、
                                      一人ひとりが他者を「思いやる心」を持ち、生活を送ることが大切だと説いています。

                                      己の身の丈にを知りそれに合った【利他の心】【利他愛】の実践をして行きましょう。

                                        ブログパーツ
                                         

                                        にんげん力『無財の七施』と「八正道」 

                                        お釈迦様

                                        お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                        私達は行き先の見えない社会環境の中に在り、古より伝わる素晴らしい日本の文化を、
                                        温故知新】の心で見直す必要があります。

                                        その一つは、お釈迦様の仰っている「仏教の教え」であると考えます。
                                        いつの世も、人は自分を含め誰もが幸せに成りたいと考え、そして願っています。
                                        本当に幸せに成りたければ、日々幸せの種を蒔き続けねばなりません。
                                        幸せの種の一つ、「思い遣り」の心で、自分も相手も幸せな道を歩むことが出来るのです

                                        日本には、このような素晴らしい教えがあります。
                                        どんな境遇の人でも、少しの思い遣りの心を持てば実践出来る布施を「布施行」と言います。
                                        その総ての親切な行いを「布施」と言うそうです。

                                        仏教には、「ありがとう」「おかげさま」の気持ちを行動で表す身近な実践として、
                                        「雑宝蔵経」(ぞうほうぞうきょう)に説かれている、『無財の七施』と言い表しています。

                                        その七つの施し(布施)は、【施しは、自らの生きる力の元と知れ】を表現する言葉だと解します。
                                        私達が周りの人々を幸せな気持ち(心)にさせる為には、思い遣りの心とも言える『無財の七施』
                                        を以って人々と接することである、と受け止めます。

                                        私見ですがこの『無財の七施』は、正しく【利他の心】ではないかと考えます。

                                        仏教の布施は、元来お金や物を与えること。
                                        布施の「布」は分け隔てなく、遍く(アマネク)、
                                        「施」は文字通り施すという意味です。
                                        お釈迦様は、喩え物やお金がない人あっても
                                        誰もが出来る「布施行」を教えとしています。

                                        以下、私見ながらこの教えを、
                                        「八正道」=☆印「にんげん力」=※印に
                                        当て嵌めて記してみました。

                                        『無財の七施』と「にんげん力

                                        1.眼施 (ゲンセ)☛※1.人眼力
                                        触合う相手に、温かな優しい眼差しで接する。

                                        2.和顔施(ワゲンセ)☛※3.人現力 
                                        又は和顔悦色施(ワガンエツジキセ)
                                        明るい笑顔(表情)、優しい微笑を湛えた
                                        笑顔(柔和な顔)で人に接する

                                        3.言辞施(ゴンジセ)☛※2.人言力
                                        触合う人々へ、心を込めて思い遣りの
                                        優しい言葉をかける。
                                        温かい言葉をかけながら生きること。

                                        4.身施(シンセ)☛※3.人現力
                                        人の為、社会の為に肉体を使い懸命に働くこと。
                                        ボランティア活動(無料奉仕)。
                                        身体による奉仕をすること。

                                        5.心施(シンセ)☛※4.人原力
                                        いつも「ありがとう」「お陰様で」などの
                                        感謝の表す言葉と態度、思い遣りの心を
                                        込めた態度と言葉使いで人々と接すること。
                                        人や他の物の存在に、
                                        感謝の心で触れ合い接すること。

                                        6.牀座施 (ショウザセ)☛※4.人原力
                                        謙虚さに徹し、
                                        場所や席を譲り合ったり、
                                        会話上でお互いに譲り合ったり、
                                        遜ったりする心です。

                                        7.房舎施(ボウシャセ)☛※4.人原力
                                        わざわざ訪ねてくる人があれば、
                                        一宿一飯の施しを与え、
                                        労をねぎらいお世話する。
                                        転じて、心温かなおもてなし。
                                        今風に言えばホスピタリティです。

                                        以上の七つの施し(布施)は、
                                        「施しは、自らの生きる力の元と知れ」を
                                        表わした言葉だと解します。
                                        周りの人々を幸せな気持ち(心)にさせるには、
                                        思い遣りの心を以って『無財の七施』、
                                        即ち【利他心】で人々と接することと解します。

                                        にんげん力」と「八正道☆印」

                                        ※1.人眼力 
                                        人を見る(診る・覧る・観る・看る・視る)目・眼力
                                        ※眼力=物事の善悪・真偽・成否などを見抜く能力
                                        ☆正見=正しい見解・正しい見方をすることです。

                                        ※2.人言力
                                        心を表現出来る言語力と適正な言葉使い
                                        ☆正語=正しき言葉を使うことです。

                                        ※3.人現力 
                                        自らの人格、意思、意識、
                                        ビジョンが明確に表現、伝達出来る力
                                        ☆正業=正しき行為です。
                                        ☆正命=正しき生活です。

                                        ※4.人原力 
                                        人の持つ様々な心と思考力。気持ち。
                                        物事を思考し、判断、表現する時の原点と捉える。
                                        思いやり、ホスピタリティ(おもてなし)の心を持ち、
                                        表現伝達の基礎とされるマナー修得。
                                        ☆正思=正しい思惟✡(シイ)であり、
                                        正しく考え正しい心構えを保つことです。
                                        ✡思惟(シイ)考えること。思考。
                                        対象を心に浮かべてよく考えること。
                                        ☆正念=正しき憶念(オクネン)です。
                                         ✡憶念(オクネン)深く思い、絶えず忘れないこと。
                                          また、その思い、執念。
                                        ☆正定=正しき禅定であり、静慮にして
                                         精神を統一することです。

                                        *****************************************************************************
                                        「心の礎」おすすめのサービス
                                        電話応対の見える化サービス【エファミステリー】

                                        ミステリー調査員が、お客様に扮して「日常業務」に関する質問を電話で問い合わせることで、
                                        そのやりとりの中から「評価チェック項目」を元に分析し、
                                        「電話応対」での潜在的な課題や問題点を「見える化」するサービスです。
                                        詳しいお問合せは、(有)エファ迄。
                                        <%topentry_more>
                                         



                                          ブログパーツ
                                           

                                          』 人をじるに素直にあれ

                                          五常の徳 信


                                          お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                          五常-「
                                          この「」は、言明を遵守し、約束を守ることを言い表しています。
                                          友人、知人、親や兄弟と言った全ての人間関係における自分自身の在り方です。

                                          日常生活で当たり前に感じている関係こそ、どこかで見つめ直す必要があると説いています。
                                          言い換えるなら、友情に厚く、言明を違えないこと、
                                          真実を「」を以って告げること、約束を必ず守ること、誠実(至誠)であること。
                                          このようなことは、今の世の中にもっとも欠けていることではないか思われます。
                                          それは、五常の中で最も大切だと受け止め、感じられることです。
                                          それを「無くして、五倫有らず」と言われています。
                                          孟子の四端説における「仁義礼智」の四に対し、
                                          前漢の董仲舒は五行説に基づき「」を加えました。
                                          は同情心、は正義感、は社会的節度、的分別を言い、
                                          これに「」を加えて「五常」となりました。

                                          【まとめ】

                                          この五常の徳について、二宮尊徳氏は自らの哲学として、己の権利の行使と義務の履行は、
                                          自らの信義に従い、至誠を以って(誠実に)行われるべきだ、と解します。
                                          二宮尊徳氏は、
                                          「人と人との関係の中には、物を売ったり買ったり、金を貸したり借りたり、
                                           という関係は決して少なくない。どのような経済的な行為も、
                                           仁義礼智信の道徳倫理的な基準に従ってなされるべきだ」
                                          と説いています。

                                          また、他者に貸して喜び、他人に借りて喜ぶという「自他両全」に理想が実現するはずだ、
                                          と言い表しています。
                                          尊徳氏は、五常のような道徳的倫理観で以って、金銭の貸し借りをしよう、と教えたのです。
                                          それ教えは、「五常講」と呼ばれています。
                                          詰り、物やお金を借りた者は、借りた時の感謝の気持ちを忘れずに、
                                          きちんと返せば、五常の徳を実行したことになるということを教えているのです。


                                            ブログパーツ
                                             

                                            』 知(知恵)を磨くに素直にあれ

                                            五常の徳 智


                                            お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                            五常-「

                                            」とは、学問に励むこと、知識を重んじることです。

                                             この「」を辞書検索すると、
                                             1 物事をよく理解すること。
                                             2 物事を理解する能力。と在ります。


                                            このことは事物を理解し判断するものの元となることと解します。
                                            即ち、とは、人や物事の善悪(善し悪し)を正しく判断する知恵のことを言うと思われます。
                                            生きて様々な経験を積む内に培った知識は、己の心の中で変化を遂げ、成長しながら、
                                            自分自身の「智」(知恵)となり正しい判断を支えます。
                                            「智」をより高めるには、偏りのない思考や、物事との接し方に基づき
                                            常々様々な知識を蓄えることが肝要であると思います。
                                            今の世の中では、勉強が出来ない人やスキル・知識が無い人を愚か者だとけなす風潮が
                                            多々あると思われますが、唯、勉強だけが出来るから賢いとは限りません。

                                            例えば、机上の論理計算だけがどんなに達者でも、愚か者と呼ばれることさえあります。
                                            真の愚か者とは同じ過ちを繰り返し、何も学ばない存在を意味すると考えられます。
                                            学問を学ぶと言うことのひとつには、先人が犯した過ちや立身出世、成功で得られた知識(知恵)を
                                            学びとることに意味がある、と考えてみては如何でしょうか。

                                            中国の儒学者洪応明(こうおうめい)は、
                                            菜根譚(さいこんたん)」という書を世に残しました。
                                            儒教、道教、仏教の教えを踏まえ、処世の道(あり方)、よりよく生きる知恵が書かれた随想集です。
                                            菜根譚」には、「あまり暇があると、つまらぬ雑念が生じる。
                                            あまり忙しすぎると、本来の自分を見失ってしまう」と言うように、
                                            偏った生き方を戒める言葉が幾つも書かれています。

                                            また、儒教では「中庸」と言い、よいバランスを保って生きることが
                                            大切であると記されており、これは、正しい判断力を培うこと、
                                            即ち「智」を高めるに於いても同様であると思います。
                                            この「智」必ずしも良い意味のみを含む訳ではありません。

                                            兼好法師は、
                                            「伝へて聞き、学びて知るは、真の智に非ず」と言っています。
                                            「知識に優れる」と言うような意味で用いられる場合には、往々にして表面的な智として称され、
                                            取るに足らないもの、功利的でも忌むべきものとして扱われることが多くあります。

                                            真の「智」とは、孟子の云う「是非の心」が
                                            寂然として動かざるが如くにまでに長じたものであり、
                                            私心に惑うことなく明らかにし、全てに通ずるに至った叡智(エイチ)のことを言い表していると解します。

                                            類似した言葉で、仁愛も知恵も備え持っていること、
                                            思いやりがあり、賢いことを「仁智」と言うそうです。
                                            span>

                                              ブログパーツ
                                               


                                              』 を尽くすに、素直にあれ

                                              五常の徳 礼


                                              お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                              五常

                                              人の世に秩序を与える儀・は、「」を実践する上でとても大切です。

                                              自らの行いを丁寧にすることを「」と言います。
                                              元々は宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味しています。

                                              後に、人間社会の上下関係で守るべきことを意味するようになりました。
                                              儒者の中でも、性悪説の立場に立った荀子は特に「」を重視したと言われています。
                                              先日記した、五常の「」のみであってはいけませんし、
                                              」なくして、「」はあり得ないという事です。

                                              大人と子供の違いは、
                                              「礼」が何たるかを知り、身に着けているか、否かです。
                                              この「礼」を弁えてこそ、初めて一人前の社会人と言えます。

                                              己を謙遜し、相手を尊び敬い、
                                              「礼」を其の場、其の時の状況(Т.P.О)に 応じて自らの行動が出来るように、
                                              弁える事を「」と言います。

                                              要約すると、親や年長者、目上の人に礼儀を尽くすこと、
                                              自分を謙遜し、相手に敬意を持って接することが「礼」であり、
                                              場合に応じて自分を律し、度ある態度で行動することが「」と言えます。


                                                ブログパーツ
                                                 

                                                』 正を貫くに、素直にあれ

                                                五常の徳-義


                                                お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                                。これは行動規範とも言えます。
                                                孔子が『論語』の中で著した、「を見てせざるは、勇なきなり」
                                                (人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは勇気がないということ)
                                                との言葉は余りにも有名です。

                                                私利私欲に囚われず、成すべき事を成すということです。
                                                中国思想では、「利」と対比される概念です。
                                                利己即ち、自己中心的な行動を取り、他者の存在を二の次とするような利己的な行為を
                                                行わない事であり、利他的な行為を取るようを意味すると思います。

                                                武士道での中心かつ最も厳格な目はこの「義の精神」とされる。
                                                「義」とは、打算や損得のない人としての正しい道、
                                                即ち<正義を指すものであり、「義」から派生した言葉に大義・道義・節義・忠義・仁義・
                                                信義・恩義・律義、更には義理・義務・義憤・義侠・義士などがある。

                                                日本において武士と言われる古の人は、この「義」を武士道精神の中心に据え、
                                                これを踏み外した者は卑怯者として糾弾の対象とされました。

                                                「義」には「正しい行い」と同時に「打算や損得から離れた」との意味が含まれ、
                                                人間の根源的なエネルギーとされる欲望を制御しなければなし得ないとの意があります。

                                                現代人の多くが行動判断の基準としている合理的精神は付き詰めれば
                                                「どちらが得か」という相対的なものです。

                                                それに対し武士道における「義」は、普遍的な「良心の掟」に基づく絶対的価値観を基本とする
                                                いわば不合理の精神であり「義」を遂行する為には
                                                余程の自立心を養わなければならないとされました。

                                                新渡戸稲造は、その著『武士道』で、武士道の基本は「フェア・プレイ」の精神と言い、
                                                この根源は「義を貫く」ということであり、武士は例え戦いに勝ったとしても、
                                                不正な行為をした勝利者は賞賛されなかった。

                                                「敵に塩を送る」との諺の元となったとされる上杉謙信の有名なエピソードですが、
                                                こうした話が美談として長年伝えられたことは、
                                                裏を返せば、そうした侍が少なかったとのではないかとも考えられます。

                                                武士道が「義」を最高の支柱に置いたことは、言い換えれば、
                                                そうした至難の「義」を追求する事により精神の「美学」を求めたのではないでしょうか。
                                                生死をかけた戦いに望む際、全ての武士が上杉謙信のようにフェア・プレイの精神を
                                                守ったわけではないと思われます。

                                                生きるか死ぬかという場面において、
                                                例え卑怯者と蔑まれようとも勝ちたいと思うのが人情であり、
                                                またいつの世にあっても本能は美学よりも強く、
                                                理想は現実の前に打ち砕かれるのが世の常です。

                                                だからこそ、武士道はそのことを十分知りながら、
                                                その現実を超越する己の理想の指針として、「」を厳しく求めたのです。


                                                  ブログパーツ
                                                   


                                                  『仁』人を思いやることに、素直にあれ


                                                  五常の徳-仁

                                                  お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                                                  儒教では、仁、義、礼、智、信の徳(=五徳)を拡充することで、
                                                  父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道を
                                                  全うすることを説いています。
                                                  その孔子の教えは、利他主義であると解します。
                                                  また、あくまで私見ですが、現在の日本人は行き過ぎた利己主義(egoism)、
                                                  自己顕示を見直すべきではないかと考えます。
                                                  そして、戦前の人々が確固として心に持っていた「五常の徳」を尊重、実践して行くこと、
                                                  即ち、利他主義の意識をひとり一人の日本人が備え持つことこそが大切だと思います。

                                                  『仁』・・・思いやりの心を持つこと。
                                                    ・・・仁義・真実・まこと・誠意。
                                                    ・・・慈しみ、思いやり。
                                                  =互いに慈しみ合う姿で義・礼・智・信の徳を実践することが最終の目的。

                                                  【仁】・・・「人を思いやることに、素直にあれ」

                                                  人を思いやること、これは内面的なもの、詰り気持ちの事を意味しています。
                                                  「思いやの行動は、示さなくていい」と、
                                                  思われる人がいるかもしれませんが決してそうではないと思います。

                                                  孔子は『論語』で、「仁」を以って最高の道徳であるとしており、
                                                  日常生活から遠いものではないが、
                                                  一方では容易に到達出来ぬもの、と説明がなされている。
                                                  ある場合は「人を愛すること」と説明し、顔回(ガンカイ)の質問に対しては
                                                  「克己復礼」こそが、「仁」である。
                                                  =私心を克服して礼を重んじること。
                                                  即ち「己に克ちて、礼を復むを仁と為す」と答えています。

                                                  前者は外部に対する行為を指し、後者即ち顔回に対する答えは自身の内なる
                                                  修養のあり方を指している。

                                                  具体的な心構えとしては、
                                                  己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」がよく知られています。

                                                  即ち、『仁』とは、思いやりの心で万人を愛し、
                                                  利己的な欲望を抑えて礼儀を執り行う
                                                  ことです。


                                                    ブログパーツ