接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  日本人らしさ(礼・義・礼節)

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
2017新タイトル

サービス業やおもてなしに関わる方,コミュニケーション,対人関係などの心と技に関連することを載せてます

ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s


当ブログに御訪問戴き,誠に有り難うございます。

人の和,思いやりの投稿を選び 心の礎“和”と“思いやり”のブログを新設しました。



節目、節目に表れる「礼」と「義」

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

日本人の心・礼義s


正月や盆暮れ、と言った節目の時期に、その人の持っている本心(本質)が正直に表れ易いです。

普段の社会生活上に於いて、口先や外面で、
「御世話に成り感謝し決して忘れません。」
「何らかの機会にお食事でも、と思っています。」
「頂いた御恩決して忘れません。」
などとその場しのぎで調子の良いこと言っていても、
年の節目などに、挨拶や形を何も示してこない、

恩を忘れ、今の自分の損得や感情に左右されて活動している、
・・・・・など、と言った嫌な気持ちになる体験をされたことがありませんか?

「受けた恩は石に刻み、与えた情けは水に流せ」
と言われていても私ども一般人は、受けた恩をついつい忘れてしまい
与えた情けをそう簡単に意識の中から流せないように思います。

本当に心にそういった気持ちを抱いている人は普段何も言わなくても、
節目節目に「礼」や「義」を何らかの形としてキチンと相手に現し、伝えます。

その人達の心に息づいているのは、支え、生かされている方への
感謝」と人としての「義≒義理」です。
日本人としても、また一人の社会人としても大切なとです。

このような日本人の心である「道理」を欠かすことの無いようにしたいものです。

特に、管理や指導的立場の方は、 これを大切にして貰いたいと思います。


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    様々な勇気を表す【礼】

    (可否の意思表示、断る、諭す、外す、叱る、謝る、無視しない、など)

    お薦め度【★★★★】全業種、業態用

    礼・濃紺枠
    (備考)礼の文字は、人の心と屈体と捉える

    ※以下の内容は自らの学びと課題でもあることを予めお知らせしておきます。

    今の日本は少子高齢化の個人中心の社会に入り、
    安心安全を過度に意識ずるばかり、
    自己(自社)の都合や保身、
    自分に対する人の思惑(目)や
    過度の自己表現情報に左右され易く、
    本来の自分の持つ意見(意思表示)や備わっている
    資質を適確に表せなくなって来ています。

    喩え、肉親や親しい人であっても
    他人の心は見え難く、中々理解し難いものです。
    現代社会は人の思惑を気にするわりに、
    自心が見えない人、知ろうとしない人が多い中、
    確りと自心と「向き合いっている人」は、
    人望かあり、実績結果、幸せを手にしています。

    その人達に共通して言えることは、
    自分の弱さを認め(自省)、
    勇気(=相手への礼)を備え、
    キッチリと先を見詰め、人を受入れ許し、
    筋道=理(道理)弁え、自らYESNOが言える人です。

    以下「断る勇気」≒『礼』必要ないと考え
    或いは備えてない人は、どんな人なのか?を記しててみます。

    〇「自分の発した言葉に責任を持たない人」(口先ばかりの人)

    〇「他人の思惑や目を極端に気にする人」

    〇「いい人と思われたいと意識している人」

    〇「世間体や体裁を気にする人」

    〇「内面より外見を美しい、可愛いと見られたい人」≒「外面(ソトヅラ)が良い」

    〇「保身優先思考の人」≒「立場の保護・自己安全」

    〇「敵を作るのが怖い人」≒「いい人に成りたい」

    〇「人間関係を損ねるのを恐れるあまり、拒否をすることが出来ない人」

    〇「何事、何人に対しても都合のいい人でありたい人」⇒「信頼を誤解して受け止めている」

    〇「人の意見や提案に対してNOと言えない人」≒「曖昧で実行力が伴わない」

    〇「頼まれごとをしたら、嫌だとは言えないけれど、実際は何もしない人」

    〇「断ってしまった後のことばかりを思い巡らす人」

    〇「利己主義なヒト」=「自己中」

    〇「生きる目的が、己だけの楽しみにある人」

    〇「見栄っ張り」「自信過剰」な人≒「自己顕示が強い」

    〇「己に自信がない人」≒「ネガティブ思考の人」

    〇「己の感性を重んじ、人の話を受入れない人」

    〇「其の場しのぎをする人」

    〇「笑って逃げる人」

    〇「お人好しな人」(「いい人」と「人柄がいい」は異なります)

    〇「人が心から信じられない人」≒「裏切られた体験がある」

    〇「性悪主義」≒「性善説を信じない」

    〇「二分の一の思考を持たない人」

    〇「利益中心主義な人」≒「お金で何でも手に入れられると考えている人」
     ・・・等々。


    追記)上記の項目は、あくまで現在までの体験と様々な学びから載せております。
       この項目は、読まれる方への押付けではありませんから御自分の判断でお決め下さい。


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      日本の心「礼節」と「お辞儀」

      お薦め度【★★★★】全業種、業態用

      礼節とお辞儀

      私達は、日々様々な人々と社会で生活をしながら
      人に支えられ、生かされつつ、生きています
      人は社会生活を営む上で、人として互の心を大切に考え思い、
      生活の場での秩序を保つために、色々な知恵や工夫をして来ました。

      しかし、現代社会では「自心への言訳・嘘」「自己都合」「無視」「曖昧」などと言った
      個々人の生活優先の時代になり人として互いの心を思いやる心や態度が欠け、
      いじめ、ハラスメント、自殺、人としてあるまじき事件(犯罪)を引き起こす
      誘因や要因、原因などになっていると思われることが多々あります。
      また、経営者や管理者の保身、自己都合での言動にも目に余るものがあります。

      さて、「人間」と言う熟語は、文字通り人と人との間、
      即ち人との様々な関わりを持ちながら日々を生活しています。
      温かな血の通った人が人として毎日生活して行くためには
      様座な法律や社会の秩序を守るルールやガイドラインが必要です。
      これをコンプライアンス、道徳、倫理、モラル、
      マナー、エチケット、躾(作法・所作)と言います。

      人としての社会生活をする為に道徳があり、
      その道徳を形や所作として現したのが礼儀作法です。
      そして、時間(空間)に於ける自らの身の丈に応じた
      「礼」を使い分ける心とも言える「節」を学ばねばなりません。

      礼節礼儀礼節礼儀と言った秩序を弁える。(三省堂国語辞典)
         人として相互の軋轢(アツレキ)を防ぎ、行動に根拠を持たせる、当然の作法のこと。
      ※お辞儀=敬意を表すために頭を下げること。(三省堂国語辞典)
      ※礼=相手を尊敬し、自分を謙遜し、行いを丁寧にする
      ※礼=社会秩序を保ち、人間関係を円滑に維持するために守るべき、社会生活上の規範。
         礼儀作法・制度など。
      ※節=節度(けじめ) 其の場その時に即した「礼」を、場面や場合に応じて自らが態度に示し、
         行動出来るように弁えることを言います。


      古より、お辞儀は、只々自分の身を小さくすることを大切にされて来ました。
      また、人間の身体で最も弱い部分である頭を相手の前に差し出すことから、
      「私にはあなたへ敵意はありません」
      「あなたへ敬意を持って接します」
      と言うことを表します。

      別な捉え方として、お辞儀は対面し、接する相手に「思いやり」=思いを届ける、
      の意を表現する目的があり、自らの心を、相手の心へ近づける意を表すために、
      胸から前に出すように意識し、腰から折り曲げてするとも言われます。

      お辞儀(礼)は日常生活、ビジネスの場、接客接遇の場などのあらゆる場面で、
      円滑で潤いのある人間関係を築くために無くてはならないものであり、
      相手に対する心、思いやりや敬意を表現伝達する為のものです。
      日本は四季が有り、夏は湿気が多く、お互いの手が汗で湿っていることが多い状況から、
      日本の文化である作法での握手やハグは敬遠され、お辞儀をする文化が広まったのです。

      ※礼=社会秩序を保ち、人間関係を円滑に維持するために守るべき、社会生活上の規範。
         礼儀作法・制度など。敬意を表すために頭を下げること。お辞儀。(三省堂国語辞典)


      自らの行いを丁寧にすることを「礼」と言います。
      元々礼は、宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味し、
      後に、人間社会の上下関係で守るべきことを意味するようになりました。
      儒者では、「礼」を重視したと言われています。
      五常と言われる【仁・義・礼・智・信】の一つ「仁」のみであってはいけませんし、
      人を思う心である「仁」なくして、「礼」はあり得ないと言うことです。

      大人と子供の違いは、
      礼節」が何たるかを知り、身に着けているか、否かです。
      この「礼節」を弁えてこそ、初めて一人前の社会人と言えます。

      さり気なく己を謙遜し、素直に相手を尊び敬い、
      「礼」を其の場、其の時の状況(Т.P.О)や相手の心の状態に応じて
      適切に自らの行動が出来るように、弁える事を「節」と言います。

      人の世に秩序を与える礼儀礼節とそれを表すお辞儀は、「仁」を実践する上で大切です。

      お辞儀の心と目的

      お辞儀は、相対する人を尊び敬い、その相手への自らの心を表し伝えるために行い、
      同時に、その人の相手に対する【礼】を表わすためのものです
      それは、自らの心で、己の態度や言動を見つめることで、
      自分自身の品位を築きそれを高めます。
      礼法を自分のものとすることは、心法とも言うべき
      自らの品位を高め品格を育むということです。
      日本人は皆、殆どと言っていい位いつもお辞儀をします。

      イタリアインテルのサッカー選手たちが長友選手を見習い、
      みんながお辞儀をしている光景も見られます。
      お辞儀は心を清らかに澄まし、姿を正し、
      もの静かに屈体し、頭(コウベ)を下げ行います。
      どの様なお辞儀であっても最後は、
      必ず無心で頭(コウベ)を下げることが作法とされています。
      「威儀を正し、儀礼を尽くしつつ、後に作法に徹すべし」(出典不明)というのが、大事なのです。


      (国語辞書) によると
      ※【威儀】
      挙措動作が礼式にかなっていること。また、礼式にかなった、重々しく威厳のある態度・動作。
      ※【儀礼】
      慣習によりその形式が整えられている礼法。礼式。一定の形式に則って行われる宗教上の行為


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        日本人の心「」の認識

        お薦め度【★★★★】全業種、業態用

        格差社会と義金

        今行われているブラジルリオのオリンピックの様々な競技で
        これまで日本人が手にしたことのないないメダルラッシュになっています。
        その要素の一つは、個々人が真摯に自分と向き合えていることに拠ることと思われます。
        また、IТの進化からか、自分に向き合わず人の目や思惑を意識し過ぎからか虚飾になり、
        謙虚で控えめな気配りをする日本人らしさが失われつつあると思われます。

        また、心の闇を持つ人の増加により、人としてあるまじき悲しい事件も多発しています。
        現在の日本は、格差社会になっているのは経済的なことだけでなく、
        その社会で生活している人の心にも大きく表れていると思われます。

        これは、人の道(武道)の心得は「人は人に背を向けず正対し向き合う」ことが出来ず、
        この対人活動をせず、相手への感情と自己都合の基に言行する人の増加にも表れています。
        古より日本人の心とされる、武士道の「」、これはとても重みがあり、
        人の行動・志操(自分の主・主張などを固く守り、変えない心)、道徳(≒倫理)で、
        「よい」「正しい」(≒正)とされる概念で、人として守るべき正しい道を言う。
        と辞書に記されてあります。

        即ち、触れ合う相手に対する感情や自利利己の意識を心から外し、
        正しい人の道に叶う、利他、筋道、理の通ったことを表わすと解します。
        己の感情に左右され、曖昧さ、無視、と言った自己都合を優先する人が増えています。
        それが、いじめ、DV、引き籠り、ストーカー、様々な犯罪な犯罪と言ったことの
        起因・誘因・要因になる場合も少なくありません。

        人は、自分の都合、感情を露わにした言行、自己顕示や我欲ばかりを
        表す言行や態度をしていると利己的な生き方に陥ってしまいます。
        その結果、愛や信頼の絆が切れ大切な人を失ったり、孤立し孤独になったりし、
        悪くすると仕事や家庭を無くす場合もあります、

        利己的な生き方の度が過ぎると、引き籠りや人間不信、犯罪の起因となる場合もあります。
        また、人と人の競争や対立を生み、組織と組織の争い、国と国の戦いをも生み出します。

        現代を生きる私達にとって重要な課題となっている少子高齢化、環境問題や食糧・エネルギーなど
        の問題も自己都合や利己的な生き方をしていては解決できません。

        私達の日本人の心にある「和の心」や「利他心」、モラル(倫理観)であり、
        人としての八正道を理解し、実践することこそが“”であると考えます。
        八正道-『正しい』とは、人として正しいことかを心の軸とする。
        一.正見(正しい見方)
        二.正思(正しい考え方)
        三.正語(正しい言葉)
        四.正業(正しい行い)
        五.正命(正しい生活)
        六.正精進(正しい努力)
        七.正念(正しい意識)
        八.正定(正しい精神の安定)


        同時に、他者を「思いやる心」、「筋を通し、人を立てる心」と、
        古より日本人の心とされる「和を以って尊しと成す」の精神で、
        人と人との和や繋がりを強めて行かなければなりません。

        現代に生きる私達にとって“和”“義”とは、どんな行動でしょうか?
        貴方にとっての“和”“義”とは、どんな行動、どんな生き方なのでしょう?


        「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
        謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
        それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。

        過去、日本では、弱者(貧しい者)を平気で切り捨て
        「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。
        「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
        自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う利己的な個の意識には違和感を覚えます。
        勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして
        堂々と胸を張って生きる、それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。

        このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。
        私は、自分の欲や他者の強い力に負け、落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。
        現代社会は、弱者が人々や社会から更に追い詰められ、自ら命を絶つ人も出ています。
        こんな世の中だからこそ、日本の心「和」と「義」の精神が必要だと思います。

        厳しい少子高齢化社会に入った今、「和を以って尊しと成す」の日本の心の元、
        私達は「義」の精神を備え、真摯に自分と向き合いつつ、切磋琢磨しながら
        他人をサポートし、人を育て、未来に希望の光を灯せるように生きなければなりません。
        一人でも多くの人達がこの「和」と「義」の心を備え、人を思いやり
        権力や利害関係などに屈することなく、正しいと信じることに迷わず突き進む
        「謙信」や「兼続」のような堂々とした生き方が出来る社会に成ればよいと思います。


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          忘れまい「礼」と「義」の心と活動

          お薦め度【★★★★】全業種、業態用

          日本人の心・礼義礼・義武士

          「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
          謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
          それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。
          過去、日本では、弱者を平気で切り捨てて「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。

          「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
          自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う社会は何処か違和感を覚えます。
          勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして堂々と胸を張って生きる、
          それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。

          このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。
          私は、自分の欲や他者の力に負け、落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。
          現代社会は、弱者が更に追い詰められ、自ら命を絶つ人もいます。

          今迄の体験から思うことですが、一般人は、少し有名になったり、
          周りの人からちやほやされたりすると嬉しさあまり自利的になり、
          感謝を忘れ、驕りが生まれこの「礼」と「義」を欠かし兼ねません。

          【礼節と義】

          大人と子供の違いは、「礼節」「義」が何たるかを知り、身に着ついているか、否かです。
          己を謙遜し、相手を尊び敬い、自らの行いを丁寧にすることを「」と言います。

          この「」を其の場、其の時に即して、
          状況に応じて(Т.P.О)自らの行動が出来るように弁える事を「節」と言います。

          この「礼節」があってこそ、初めて一人前の社会人と言えます。
          また、「」を表す際、忘れてはならないことに「義」≒義理があります。

          「義」は、義理・恩義・道義・大義・義務などと言われ
          正しい行いを守ることで、人間の欲望の「利」と対立する概念です。

          また、「」とは「礼儀作法」のこと。
          今流に言うと「礼儀」は「マナー」と「エチケット」。
          作法」は「ルール」と言えるでしょう。

          【礼】

          『礼を尽くすに素直にあれ』 
          仁によって育まれた気持ちをに依って形とする。
          仁のみであってはいけませんし、仁なくしてはあり得ないという事です。

          即ち、「」を具体的な行動として、表したものです
          元々は宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味します。
          後に、人間社会の上下関係で守るべきことを意味するようになったと言われます。

          ※礼とは、様々な行事の中で規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。
          春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ
          社会秩序を維持するための道徳的な規範をも意味します。
          この「礼に始まり礼に終わる」は、武道の基本とされます。

          論語[顔淵第十二]

          礼に非れば、視ること勿れ、
          ※礼にかなっていなければ、それを見ようとするな。

          礼に非れば、聴くこと勿れ
          ※礼にかなっていなければ、そんなものに耳を貸すな。

          礼に非れば、言うこと勿れ
          ※礼にかなっていなければ、そんなことに口を出すな。

          礼に非れば、動くこと勿れ。  
          ※礼にかなっていなければ、そんなことで行動するな。

          (原文の意味・解釈)
          門弟の「顔淵」が「仁」について訊ねた時、
          孔子は「礼」のことに触れ「克己復礼」が出来るものが仁者、と答えました。
          つまり、我欲などの私心に打ち勝ち、人間生活の規範である「礼儀作法」を忠実に
          身につけている者なら仁者といっても良いという意味です。

          】 義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつです。
          正しい行いを守ることで、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念です。
          これは、武士道での中心であり、且つ厳格な徳目が「義の精神」と言われています。

          この「義」は、打算や損得のない人としての正しい道、即ち正義を指すもので、
          「義」から派生した言葉に大義・道義・節義・忠義・仁義・信義・恩義・律義、
          更には義理・義務・義憤・義侠・義士・義民・義挙などがあります。
          武士と言われる古の人は、この「義」を武士道精神の中心に据え、
          これを踏み外した者は卑怯者として糾弾の対象となりました。

          この「義」には「正しい行い」と同時に「打算や損得から離れた」との意味が含まれ、
          人間の根源的なエネルギーとされる欲望を制御しなければなし得ないとの意があります。

          現代人の多くが行動判断の基準としている合理的精神は、突き詰めれば「どちらが得か」との相対的なものです。
          それに対し武士道の「義」は、普遍的な「良心の掟」に基づく絶対的価値観を基本とする
          いわば不合理の精神であり「義」を遂行するには、確りした自立心を養わなければならないとされました。

          新渡戸稲造はその著『武士道』で、武士道の基本は「フェア・プレイ」の精神と言っている。
          フェア・プレイの根源とは「義を貫く」ということであり、武士は例え戦いに勝ったとしても、
          不正な行為をして勝った者は賞賛されませんでした。

          義理
          (1)物事の正しい道筋。人間の踏み行うべき正しい道。道理。
          (2)対人関係や社会関係の中で、守るべき道理として意識されたもの。道義。
          (3)他人との交際上やむを得ずしなければならないこと。
          (4)意味。わけ。
          (5)直接血縁関係のない者の間にある、血縁同様の関係。

          古より『義理と人情とやせ我慢』という諺があります。
          義理と言うのは、実社会における規範性、法規制、規律性の要素が強いものです。
          一般には日本の社会において、社交上、礼儀を以て旨とする行動規範を指したものです。
          冠婚葬祭などの場に於いては義理を欠く事の無い様、
          各地域に合わせた礼節に基づく義理の行為が執り行われる事が多いようです。

          これは無用なトラブルを極力避ける手法でもあり、義理をスキルとして昇華する意味を持ちます。
          一方、本心はやりたくないけれども、仕方なく行わざるを得ない事柄を意味する言葉でもあります。
          義理チョコなどの語は、こうしたニュアンスが強いと考えれます。
          また、血縁以外の者が、婚姻(縁組)などの儀式を経て、血縁と同等の関係を結ぶこと。
          配偶者の父母を義父母(義理の父母)と呼ぶなどの用例が、これに当たります。


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            「義」&「和」の実践

            お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

            日本義と和

            日本人の心と古からいわれる「義」は、とても重みがある言葉で、
            その心は打算や損得のない人としての「正しい筋道」即ち「正義」を表わしています。

            人は、自己顕示や我欲ばかりを追求していると利己的な生き方に陥ってしまいます。
            それは人と人の競争や対立を生み、組織と組織の争い、国と国の戦いをも生み出します。
            また、現代を生きる私達にとって重要な課題となっている少子高齢化、環境問題や
            食糧・エネルギーなどの問題も、利己的な生き方のままでは解決できません。
            これに歯止めをかけるのが、私達の日本人の心にある「和の心」や「利他心」、
            モラル(倫理観)であり、そしてそれを「筋」を通し、実践することこそが“義”であると思います。

            同時に、他者を「思いやる心」、「筋を通し人を立てる」の心で、
            「和を以って尊しと成す」の精神である人と人との繋がりを強めて行かなければなりません。

            今までに、自分の欲や他者の力に負け、落ち込み、騙され、裏切られた体験があります。
            現代社会は、弱者が更に追い詰められ、自ら命を絶つ人もいます。
            こんな世の中だからこそ、日本の心である「和」と「義」の精神が必要だと思います。
            厳しい少子高齢化社会に入った今、「和を以って尊しと成す」の日本の心の元、
            私達は「義」の精神を備え、人をサポートし、人を育て、未来に希望を持って生きなければなりません。

            ひとりでも多くの人がこの「和」と「義」の心を備え、
            人を思いやり、権力や利害関係などに屈することなく、
            正しいと信じることに迷わず突き進む「謙信」や「兼続」の堂々とした
            生き方が出来る社会にして行かなければならないと思います。
            「和を以って尊しと成す」の精神である人と人との繋がりを強めて行かなければなりません。

            〇「自分の発した言葉に責任を持つ」不信、いじめや引きこもり要因や起因となると考えられることの一つに

            “義”をなす「自分の発した、言葉の重さを弁え、責任を持つ。」ことがあります。
            その一例として、経営者や人を管理指導する立場の方からよく聞かれる会話に
            「時間を作って、こちらから連絡します」と言う言葉があります。
            今迄の様々な人と触合いの体験から、このような仕事や他人に真面目に取組む人程、
            この言葉を真摯に受け止め、期待感を抱き連絡を待っていると思われます。
            しかし、いつまで経ってもその言葉が実際にされないと、
            発した人へ不安や不信感を持つ誘因にもなります。
            若し、何らかの事情で伝えるために時間を要する場合は、
            不安を与えないためにも適時適切な連絡をすることも心掛けることだと思います。

            また、この言葉には、捉え方が二、三あると考えられます。
            一つ目は、伝えた相手を認めていることと共に、
            それを聞いた相手の何らかの期待感を生み出しことを自覚している場合であり、
            二つ目は人としての“義”に自ら反し、相手から自分を守るための保身や
            其の場凌ぎの意などであると考えられます。
            また、自分の保身や其の場凌ぎの場合は相手への距離を置きたいと言う
            意思の現れなどの場合が多いようです。
            何れにしろ、人との触合いに於いて、喩え相手が自分の意にそぐわない人物であっても
            「自分の発した、言葉の重さを弁え、責任を持つ。」こと、
            善し悪しに関わらず自分の意思をキチンと相手に伝えることは、
            社会人としても人としても大切ではないでしょうか。
            その結果、相手が離れたり、縁が切れたりしてもよし、と捉えることも必要だと思います。

            日本では、子供の頃から“義”と“礼”表すこととして
            「自分の言うことに責任を持ちなさい」
            「何かして貰ったら、ありがとうと言うのです」
            「間違ったことをしたら、ご免なさいと謝りなさい」
            などと親から教えられます。
            しかし、大人になるとその大切な教えを自尊心や忙しさ、
            利害関係や好き嫌いなどで実際に行わなくなることも多いようです。
            そして、そこには人間の欲とも言える当たり前に「見返りを期待する」心が存在します。
            純な心を持ち、このような見返りを期待せず、
            私心の無い「認める」「感謝」「情けや施し」などの活動に心掛けたいものです。

            〇“義”とは
            現代に生きる私達にとって“義”とは、どんな行動でしょうか?
            貴方にとって“義”とは、どんな行動、どんな生き方なのでしょう?
            「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
            謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
            それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。
            過去、日本では、弱者を平気で切り捨てて
            「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。
            「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
            自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う社会は何処か違和感を覚えます。
            勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして堂々と胸を張って生きる、
            それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。
            このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。


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              人間関係力の礎「

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              折り鶴s日本人の心「義」

              今の社会は、表面上のテクニックや形に捉われ人間力の礎であり、
              一人の人として相手を認める「思いやり」でもあり、
              信頼の源である「」の心が乏しくなっているように思えます。

              例えば、「御世話になったことに感謝し、決して忘れません。」
              「何らかの機会にお食事でも、と思っています。」
              「頂いた御恩決して忘れません。」
              などとその場凌ぎの調子の良いこと言っていても、
              いつになっても何の挨拶や形を示さない、
              などと言った体験をされたことがありませんか?

              本当に心にそういった気持ちを抱いている人は、何も言わなくても、
              日本人、一人の社会人としても大切な「≒恩」を忘れず、
              何らかの心を表す態度、或いは物や形としてキチンと相手に現し、伝えます。
              その人達の心に息づいているのは、支え、生かされている方への
              人としての「≒義理」の精神と、それを表す「感謝の心」です。
              この心は、日本人が決して忘れてはならない日本人の心の礎を築くものであると思います。
              そして、それは人としての親交を深め、人や会社の信頼の原点でもあります。

              但し、この「義」の精神は、無理に相手に【押し付ける】ことではありません。
              そこで、この「義」について記してみます。

              義務】特定の個別的な行為や一般的な行為を行うべきであるとして人に課し、
                   人を拘束する、習俗、法律、特に道徳の規範をいう。即ち従うべきとされること。

              道義】人の踏み行うべき正しい道。道理。

              恩義】報いなければならない、義理のある恩。
                   真田幸村の名言に「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べる。」とあります。

              道理】物事がそうあるべき筋道。理。訳。

              義理】義(正義)と理(筋道)に由来し、その意味は文字通り「正義の道理」。

              自分が不義理をされたからと言って、自分が不義理をして良いという事はありません。
              人としての道を歩むなら、如何なる時も自分だけは義理を欠いてはなりません。
              『義』には、打算や損得のない人の道であると共に、正義を指し正しい行いを守り、
              人として正しい道という意味もあります。

              孔子は『論語』の中で著した、
              「義を見てせざるは、勇なきなり」との言葉は有名です。
              ※人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは勇気がない。

              また、孟子は、羞悪の心が義の端であると説いた。
              ※羞悪の心とは、悪を羞(ハ)じる心のこと。
              そして、「仁は人の心であり、義は人の道である。
              その人の道を捨てて顧みず、その心を見失って
              探そうとしないのはなんとも悲しむべきことか。
              人は鶏や犬を見失っても探し出す方法を知っている。
              しかし、心を失えばその探し方が判らないのだ。」と説いています。

              日本では、新渡戸稲造が、武士道の基本は「義を貫くフェア・プレイ」の精神と言い、
              江戸時代後期の経世論家・林子平が、
              「道理に従いためらうことなく決断する力」と定義とし、
              「死すべき場合に死し、討つべき場合に討つ」決断力を『義』とした。

              人として、どれだけ不条理なことがあったりされたりしたとても
              それは自らの襟を正すチャンスであると受け止めるように努めたものです。
              また、人様の短所や悪い処を見て、自らを省み、改めるきっかけになることもあります。

              古より、お天道さまが必ず見ているといわれていますが、
              人は誠心誠意の態度と気持ち、常に人として正しい道を歩もうと
              心掛けていれば必ず何らかの形で、自他に報われると思います。

              詰り、それは自らの心に恥じないず、気持ちを偽らないことであり
              他人も必ず見ている、なによりも自分が見ている事であります。

              人に後ろ指を指されながら豊かな生活を送ることが幸せなのか?
              それとも貧しいながらも、一切の恥ずべきことが無く胸を張って生きて行くのか?
              どちらが人として幸せなことなのでしょう。

              私見ながら、上記した「義の心」には、その答えがあると思われます。

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                【武士道のと日本のの心】

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                武士和義s

                」、とても重みがある言葉で、打算や損得のない人としての
                正しい筋道」即ち「」を表わしています。

                人は、自己顕示や我欲ばかりを追求していると利己的な生き方に陥ってしまいます。
                それは人と人の競争や対立を生み、組織と組織の争い、国と国の戦いをも生み出します。

                また、現代を生きる私達にとって重要な課題となっている少子高齢化、
                環境問題や食糧・エネルギーなどの問題も、利己的な生き方のままでは解決できません。

                これに歯止めをかけるのが、私達の日本人の心にある「の心」や「利他心」、
                モラル(倫理観)であり、そしてそれを人として「」を通し、実践することこそがであると思います。
                同時に、他者を「思いやる心」、「筋を通し人を立てる」の心で、
                を以って尊しと成す」の精神である人と人との繋がりを強めて行かなければなりません。

                現代に生きる私達にとって“”“”とは、どんな行動でしょうか?

                貴方にとっての”“義”とは、どんな行動、どんな生き方なのでしょう?

                「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
                謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
                それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。
                過去、日本では、弱者を平気で切り捨てて「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。

                「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
                自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う社会は何処か違和感を覚えます。

                勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして堂々と胸を張って生きる、
                それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。

                このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。
                私は、自分の欲や他者の力に負け、落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。

                現代社会は、弱者が更に追い詰められ、自ら命を絶つ人もいます。
                こんな世の中だからこそ、日本の心である「和」と「義」の精神が必要だと思います。

                厳しい少子高齢化社会に入った今、「和を以って尊しと成す」の日本の心の元、
                私達は「義」の精神を備え、人をサポートし、人を育て、未来に希望を持って生きなければなりません。

                ひとりでも多くの人がこの「和」と「義」の心を備え、人を思いやり、
                権力や利害関係などに屈することなく、正しいと信じることに迷わず突き進む
                「謙信」や「兼続」の堂々とした生き方が出来る社会にして行かなければならないと思います。


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                  と奥ゆかしさ

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                  礼に始まり

                  人の想いは、心で思っているだけでは、伝わらないことがあります。
                  どんなに心で思っていても、実際に言葉に出したり、行動に移したり、
                  態度で表さないと、その相手に伝わらないことがあります。

                  このような相手を思いやる気持ちは、
                  その時の相手の器や感情を推し量り、察知し、その相手に合わせて伝え方で、
                  相手が受け取り易いような言葉や態度をしてこそ初めてその人に伝わるものです

                  その大切な想いは、奥ゆかしく、丁寧に、繰り返されることで洗練されます。
                  そして、余計なものは削ぎ落とされ、大事なことだけが選ばれます。

                  ある日本を研究している海外の方が
                  奥ゆかしさとは、もっとも無駄のない立居振舞である
                  と言ったそうです。
                  まさしく思いやりの心は、奥ゆかしい形「」に表われてこそ、伝わるのだと思います。

                  この「奥ゆかしさ」の語彙は、
                  慎み上品で深みがあり、心が引かれる。または、その度合い。
                  深い心づかいが見えて、何となく慕わしい。
                  深い思慮があるように見える。
                  と辞書にあります。

                  語源は、「奥ゆかし」で、「ゆかし」は「行かし」即ち、心が引かれる意。
                  元々古典語には「ゆかし」という言葉がある。
                  人の心中や物語の先行きが見たい、知りたい。と言う語彙。
                  動詞の「行く」からできた形容詞「行かし」が語源で
                  見たい、知りたいと言う気持ちを「行きたい」と言い表す。

                  また、新渡戸稲造氏の書かれた【武士道】に、人と共に喜び、共に泣けるか。
                  」とは他人に対する思いやりを表現すること、とも記されてあります。

                  の定義

                   「」について、先達の偉人や賢人たちが、以下のように著しています。
                   [以下、学びのメモより引用]

                  ・江戸中期の儒学者太宰春台は、
                  「仁は目で見え難いが、義は行動となり、礼は形となって表れ目に見える。
                   従って、礼を厳しく躾ければ、その過程でなぜそうすべきか解り、
                   悪い心を持った人間でもその行儀作法と共に心も自ずから正しくなっていく」

                  新渡戸稲造は、その著『武士道』で、
                  「礼は寛容にして慈悲あり、礼は妬まず、礼は誇らず、驕らず、
                   非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を思わず」
                  「優雅な感受性として表れる礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、
                   他人の感情に対する優しい気持ちによって物事を行うので、
                   いつも優雅な感受性として表れる。」
                  「奥ゆかしさとはもっとも無駄のない立居振る舞いである。」
                  「あらゆる礼法の目的は精神を淘汰することである。」

                  福沢諭吉はその著『文明論之概略』で、
                  「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云うなり、
                   衣食を豊かにして人品を貴くするを云うなり」
                  「文明とは人の安楽と品位との進歩を云うなり。
                   又この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、
                   文明とは結局、人の知徳の進歩と云ってもよいであろう」

                  ・戦国時代の奥州戦国大名伊達正宗は、
                  「度を過ぎた礼はもはやまやかしである」

                  ・小笠原流宗家、小笠原清務は、
                  「礼道の要は心を練るにあり。
                   礼を以て端座すれば兇人剣を取りて向ふとも、害を加ふること能はず」

                  ・中国の春秋時代における斉の政治家、管仲は、
                  「衣食足りて礼節を知る」


                  古より、夫々の賢人がこのような定義や著しておられます。


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                    』を尽くす

                    お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                    礼

                    今の社会は、『』が疎かになっていると感じられることが多く見聞きします。
                    例えば、喪中なのに「新年おめでとうございます」と言った挨拶言葉を平気で使ったり
                    先人への節度の無い言葉使いや無な態度だったり
                    教えを受ける人に「参考に成ります」と平気で話したり
                    教えて貰うだけでその経過を返さなかったりすることを成さない大人が増えていると思われます。
                    即ち、利己的な『』を尽くさず生きられると安易に考える人が意外と多いのではないでしょうか。

                    少しでも多くの人達に『』の大切さを知って頂きたいので
                    以下、孔子の論語の一部と学びのメモから記します。

                    によって育まれた気持ちを『』に依って形とする。
                    のみであってはいけませんし、
                    なくして『』はあり得ないということです。
                    即ち、「」を具体的な行動として、表したものです。
                    元々は宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味し、
                    後に、人間社会の上下関係で守るべきことを意味する。

                    また、武士道の基本とされる
                    礼に始まり礼に終わる』も多く知られています。

                    孔子の論語の中にある以下の語に「礼」の心が窺い知れます。

                    『礼を学ばざれば、以って立つことなし。』  [季子第十六]
                    『礼を知らざれば、以って立つことなし。』  [尭曰第二十]

                    [原文の意味・解釈]
                    孔子は長男の伯魚に、
                    庭先で「礼」を学ぶことを強くすすめた。
                    「礼」を知らないと、人格形成が出来ず、人間関係がうまくいかないからだ。
                    伯魚の告白によれば、直接の父である孔子から教えを受けたのは、
                    庭先で会って「詩(学問)の勉強」と「礼の勉強」を薦められた。
                    この二つだけだったと言っている。
                    「庭先での教え」さしずめ現在ならば家庭で親が子に教える「躾教育」と言ったことです。
                    また、孔子は「礼儀作法」を重んじた。
                    「礼」を知らない「無礼者」になるなと。
                    「礼」とは「礼儀作法」のこと。

                    今流に言うと「礼儀」は「マナー」と「モラル」、
                    作法」は「ルール」「規律」と言ったことでしょう。


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                      思いやり、慈しむ心【

                      お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                      思い遣り仁新

                      」について孟子は、
                      は人の心であり、義は人の道である。
                      その人の道を捨てて顧みず、その心を見失って、
                      探そうとしないのはなんとも悲しむべきことか。
                      人は鶏や犬を見失っても探し出す方法を知っている。
                      しかし、心を失えばその探し方が判らないのだ。」
                      と述べています。

                      それは、主に他者を思い遣る心、即ち「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、
                      儒教における最重要な「五常・義・礼・智・信)の徳」のひとつです。
                      また、と義を合わせて、「仁義」と呼ばれてもいます。

                      古代から現在に至るまで中国人の倫理規定の最重要項目となって来ました。
                      中国の伝統的な社会秩序(礼)を支える精神、心のあり方とも解されています。
                      」と言う世界中で親しまれている日本のテレビドラマのタイトルにもされている
                      医は仁術」という言葉もあります。
                      それは、「仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。」
                      「わが身の利養を、専ら志すべからず。」と言う教えでもあります。
                      仁の教えである「思い遣り」は、人として平等な立場で相手の事を深く考え、
                      相手の心に寄り添いながら、相手に何をしてあげるのがよいのか、
                      何をしてはいけないのかを思考し、その思いを相手へ遣わすこと(届けること)を意味しています。
                      共に生きていると言う、温もりのある連帯感から生じる人間らしい温かい心と行為です。

                      他人に、「思いやり」ってどんな事と聞かれると優しさとか相手を思う気持ちが思い浮かびます。
                      身近な事ではデートをしている時や大切な人に対して「思いやり」と優しさは欠かせないものです。
                      相手との心の繋がり、信頼を作るために無くてはならないものです。

                      さて「思いやり」とは、いったいどんな事なのでしょうか。
                      思いやり」は一般的に「その人の身になって考える事、察して気遣う事」と言われます。
                      細かく言うと「思い」は相手の気持ちになって考えたり、共感したり・同情したりすることであり、
                      「やり(遣り)」届ける・差し向ける・行うと言うことです。

                      私達は日々の生活や職場で多くの人々に触れ合います。
                      家族や友人など、職場ではお客様、同僚や上司など沢山の人々に出会います。
                      どんな時でも相手を「思い遣る心」で接することが人として生きて行くために必要です。
                      思い遣る心」は「思い遣り」と言われます。

                      それは、貴方の心を豊かにし、あなた自身を成長させてくれますし、信頼される源になります。
                      見返りをあてにするようなものでも、慢心するようなものでもありません。
                      自分を本物の人間に育ててくれ、そして、本物の愛を教えてくれる、嬉しくて、有り難いものです。
                      思い遣り」は会話や態度に表れます。言い換えれば相手に対する”心の姿勢”の現われです。
                      この「思い遣り」を心に発動させるにはお互いの気持ちが交換可能であることが必要です。
                      即ち、相手の気持ちに同調もしくは共感する必要があるということです。
                      要は、自分が相手に対して共感していないのに、何か親切な事や、
                      何らかのアクションを起こす事は「思い遣り」と呼べないと言うことです。

                      同じ行動でも、思いやりになる時も有ればお節介になることも有るのは、実感していると思います。
                      思いやり」があるのと無いのでは何が違うかと言うと、共感出来るか、出来ないかと言うことです。
                      また「思いやり」のつもりで戒めたり、突き放したりしたことが誤解を受けて思っていた逆の効果の
                      憎しみや恨みを生んでしまう場合もあります。

                      〇「仁」文字を紐解く

                      仁の文字は、「人」と「二」(一人称と二人称) 即ち、自分自身と他人、即ち二人の人間と解します。
                      ※一般的には、人と人との間と解されているようです。

                      この『』について、私見で記してみます。
                      』の文字の組立ては、
                      「自分と他人」
                      「自分ともう一人の自分(思考の選択に戸迷う自分)」
                      「強い自分と弱い自分」
                      「人」+「二」で組立てられ、それは自分と他の人(二人称)を表わしている。
                      即ち、自分自身と他者、二人の人間を意味すると解します。
                      それは自分(一人称)と他の人(二人称)を表わしている。
                      即ち、自分自身と他者、二人の人間を意味すると解します。

                      ☆『自分』と『他人』

                      「生きている自分」と「生かされている自分」
                      「人を愛する自分」と「愛されたい自分」
                      「利己」と「利他」
                      「認める自分」と「認められる自分」
                      「親切な自分」と「無関心な自分」
                      「与える自分」と「求める自分」(物・魅力・心)
                      「感謝する自分」と「感謝される自分」

                      ☆『自分』と『もう一人の自分』

                      「人間の善悪二つの心」
                      「強い自分」と「弱い自分」
                      「明元素な自分」と「暗病反な自分」
                       自他に「優しい自分」と「厳しい自分」
                      「無関心な自分」と「共感する自分」
                      「楽に過ごす自分」と「楽しむ自分」

                      〇自分自身を知り、認めるには!

                      人&自分と「向き合う」ために、先ず自分と向き合い自分が知らない自分を知る、
                      そしてその自分自身を認めることです。
                      その為に先ず、自分の強み弱みと真摯に「向き合う」ことから始め、
                      他人とは、お互いが人として「認め合い」、
                      本気で真剣に相手と「向き合う」ことです。

                      幸せな心を創る「四つ」のホジション】※(幸せ=四合わせ)
                       人間は、心にこの四つのホジションを持っています。

                      一、自分も他人も知っていて、認めているところ
                      二、自分自身は知っていて認めているが、他人は知らず、気付かないところ
                      三、他人は知り認めているが、自分が知らなくて認められないところ
                      四、自分も他人も、知らなく、気付かないところ

                      以上、『』について、総て理解するように努める活動は、人の「心の礎」を築く原点です。
                      また、『』は、おもてなしにも大切な相手を思いやる心でもあるのです。


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                        社会人として心得

                        礼節義務


                        礼節義務責任

                        お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

                        成人式に因んで社会人として必要とされる意識と言動について載せてみます。

                        礼節
                        礼節」を弁えてこそ、初めて一人前の社会人と言われています。
                        己を謙遜し、相手を尊び敬い、自らの行いを丁寧にすることを「礼」と言います。
                        この「礼」を其の場、其の時に即して、状況に応じて(Т.P.Оに)自らの行動が出来るように、
                        弁えて行いに現し示すことを「節」と言います。
                        大人と子供の違いは、「礼節」が何たるかを知り、身に着けているか、否かと言うことです。
                        また、社会人になると義務責任が生じると言われます。
                        社会人に成り立ての頃の義務責任と、年齢、経験を重ね、
                        社会的な地位が高まって行くと共に義務責任は当然変化します。

                        義務
                        人として行うべきこととした特定の個別的な行為や一般的な行為を意識すること言います。
                        即ち、人に課し、人を拘束する、習俗、法律、特に道徳の規範を指しています。
                        心理的には義務の意識とし、言語表現として命法や義務命題、原則によって規定されることです。
                        義務行為の種類としては、古来より立場によって異なる多様なものが考えられて来ています。

                        責任
                        責任は、何らかの行為を行ったことだけについて適用されるのではなくて、行われるべきだったのに行われなかったことに対しても適用されます。
                        また一般には、責任は原因とは区別される概念です。

                        義務と責任の捉え方
                        義務と責任の捉え方として、初めて仕事に従事する時には、
                        義務は、会社または店舗との約束とルールを守りキチンと行うことだと弁えて置く。
                        (例) 勤務ローテーションや時間を守る意識の規範。
                        責任は与えられた仕事、指示や命令などを間違いなく行うことだと弁えて置く。
                        (例) 指示を受けた事は間違いなく行い、結果の報告をする。
                        ことと意識して置けば良いでしょう。
                        簡単なことのようですが、中々果たせないのが義務と責任であり礼節を弁え、備えることです。


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                          素晴らしい日本の伝統と文化を見直す-「」と「

                          お薦め度【★★★★★】全業種、業態用

                          礼6

                          日本は戦後、アメリカ的な理屈(理論)の教育を優先し行なって来たためか、
                          多くの日本人は何事も理屈と知識で考えるようになりました。

                          特に最近は、欧米の思考を多く取り入れた学びや知識がもて囃されています。
                          その一方で、今改めて世界中から、「クールジャパン」と言われ注目を浴びている
                          日本の素晴らしい伝統や文化は、我々の祖先が縄文時代からずっと伝えてきたものです。
                          戦後その伝統や文化は、外国よりも劣っているもの、また間違ったものと捉えられ、
                          否定されて来たために、現在のように乱れた淋しい世の中になり、
                          人のことよりも自分の目先の欲だけで生きるという我欲(利己)中心の生活を
                          するようになりつつあると思います。

                          即ち、日本人としてどう生きるべきかと言った真実の生き方を見失っている
                          現在の日本人ではないかとも考えます。
                          私達日本人がこのような状態に気付くように、多くの大切な命や資財を奪ってまでも
                          警鐘したのが昨年の震災ではないかと思えてなりません。

                          我々は古より祖先が伝えてきた素晴らしい生き方や文化を改めて振返り、
                          日本人の「原点」に戻る必要があると思います。
                          其の一つが「」であり「」であると考えます。

                          我が国では古より、「を以って、を重んじる」と言われて来ています。
                          では、この「」とは、一体何なのでしょうか。

                          大人と子供の違いは、「」が何たるかを知り、身に着けているか、否かです。
                          己を謙遜し、相手を尊び敬い、自らの行いを丁寧にすることを「礼」と言います。
                          この「礼」を其の場、其の時に即して、状況に応じて(Т.P.Оに合わせ)自らの行動が出来るように、
                          弁える事が「」と言います。

                          この「礼節」を弁えてこそ、初めて一人前の社会人と言えます。
                          では「」とは、どのようなことを意味するのでしょう。
                          は、儒教の主要な思想であり、五常仁・・礼・智・信)の一つです。
                          それは、正しい行いを守ることであり、
                          人間の欲望を追求する「」と対立する概念と考えられます。
                          武士道での中心かつ最も厳格な徳目は「義の精神」と言われています。
                          「義」とは、打算や損得のない人間としての正しい道、即ち正義を指すものであり、
                          派生した言葉に大義・道義・節義・忠義・仁義・信義・恩義・律義、
                          更には義理・義務・義憤・義侠・義士・義民・義挙などがあります。

                          武士は、この「義」を武士道精神の柱にし、これを踏み外した者は卑怯者として糾弾の対象とした。
                          「義」には「正しい行い」と同時に「打算や損得から離れた」との意味が含まれ、
                          人間の根源的なエネルギーとされる欲望を制御しなければなし得ないとの意があります。
                          現代人の多くが行動判断の基準としている合理的精神は、
                          突き詰めれば「どちらが得か」との相対的なものです。
                          それに対し武士道における「義」は、普遍的な「良心の掟」に基づき絶対的価値観を基本とする
                          不合理の精神であり、「義」を遂行するには余程の自立心を養わなければならないとされた。

                          礼節のない人ってどんな人

                          *社会人としてのモラルを弁えていない人。
                          *利己心の強い人。
                          *自己顕示の強い人。

                          *人の心の中に土足で上がり込んで来る人。
                          *勝つためには手段を選ばない人。
                          *其の場の空気が読めない人。

                          *相手の温度を気にしないで自分の言いたいことだけを言う人。
                          *何でもお金で解決出来ると考えている人。
                          *我が強くて謙虚さのない人。

                          *自分勝手で我が侭な人。
                          *思い遣りの心に欠ける人。
                          *人や物に感謝が出来ない人。 
                          ・・・・・など


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