接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  日本人らしさ(礼・義・礼節)

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

Nippon人の【心の礎】それは人を想い・思う気持ち“思いやり”。そして「和」「おもてなし」の『心』。
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御訪問ありがとうございます。このサイトを御覧戴く皆様へ。

過去九年間に書いた三千近くの投稿が載ってます。記事右横のカテゴリー項目ですと記事が見つけ易いです。
人の「心」は,顔と同様に一人ひとり異なります。心の形・器の大小・感じ方・理解度も人様々だと思います。
こちらに載せてある「人の心や人間関係関連」の内容は,読む個々人に見合った項目や内容を選びお読み下さい。


ハート無題1s #思いやり ってどんなこと?ハート無題1s


見直しましょう社会人の「常識」と「躾」

社会人の「常識」と「躾」和紙

知っているようで知らない「常識」の意

📖 goo辞書によると
 1.一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。
 2.知っている事柄や人間として備えているべき事柄。

(参考) アインシュタインの考え(言葉)。

 『当たり前』と思っていることが『常識』。
 『当たり前』だから疑問を抱くこともないしそもそも気にも留めていないことがある。
 「常識を疑え」と簡単に言うけど、気にも留めていないことを疑うのは簡単じゃない。
 でも自分の常識とは異なる常識と出会った時も自分の中の常識がフッと姿を現す時がある。

常識見返り心の境界線s

さて、この常識に含まれるものには以下の3つがあると捉えます。
それぞれは個々人により解釈・理解の度合が異なりますので以下を基準とします。

①知識(goo辞書検索)
 1 知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。
 2 考える働き。知恵。
 3 仏語(多く「智識」と書く)。
  ㋐仏法を説いて導く指導者。善知識。
  ㋑堂塔や仏像などの建立に金品を寄進すること。また、その人や金品。知識物。
  ㋒対象を外界に実在すると認める心の働き。
 4哲学で、確実な根拠に基づく認識。客観的認識。

②良識(goo辞書検索)
 1.物事の健全な考え方。健全な判断力。
 *すぐれた見識。善悪の判断を下せる 、社会的につちかわれた見識。

③見識(goo辞書検索)
 1 物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。
   ある物事に対する確かな考えや意見。識見。
 2 気位 (きぐらい) 。をえ。

上記した、この常識の能力を常識力です。(⇔当たり前とも呼ばれる)
それは育った環境、立場、年齢や体験など様々な要因により差異が生じます。
特にその中で、年齢(実体験と生活環境)による差異は顕著に表れます。

当然ながらベテラン社員と新入社員との常識力は異なりますし、
20代の若者と40~50代の人間では常識力=見識が異なって当たり前です。
また、この常識力は格差、主従関係、置かれている立場などでも異なります。

スマホ社会の現在、私たちは多過ぎる多様化した情報、
S.N.S.などで実際と異なったり、誤って流される偽りの情報、
などの判断に迷ってしまうことも度々あります。

スマホや携帯電話の普及により、コミュニケーションや対人関係上でも
以前の良識ではとても考えにも及ばなかったメールやメッセージを
「無視」する行為=スルー・拒否・(着拒)・既読スルーと言ったことも
一部の人の見識として実際に見受けられます。
こま無視する行為は、ハラスメント・いじめ・事件や犯罪を起こす
「心の闇」を作りだし様々な対策かなされています。

このようなことを鑑み「常識(個人の見識=当たり前)」に対する
個々人や上に立つ人・指導者の意識改革も求められます。
即ち、常識力にも格差社会の影響が出ていることも意識しておきましょう。

最近増加している
自己顕示(自己主張)の積極的な活動をする人
平凡が良いて思い無難に生きようとする人、
独りがいいと他人との関わりを遠ざけている人
なとの夫々の常識の違いを予め認識しておく必要もあります。

また、挨拶力も常識力に含まれるのではないでしょうか。
様々な常識力がありますが、常識力の基礎とも言える
個々人によって差異のある「躾」について考えてみます。

「躾」は、子供の頃からの親の考え方、取組み方や育った家庭環境に
大きく左右される場合が大変多いのでないかと思われます。

恥と罪 1新2jpg

さて、現在に至る迄日本人は人の目人種と言われ、日本人の子供は

「そんなことをすると人(誰々さん)に笑われますよ」とか
「我が家のになるようなことは止めなさい」
「みっともないから、やめなさい(してはいけません)」

と言ったように教え育てられ躾けられますが、

これに対し、欧米の子供は善悪を前提にし

「それは悪いことだからしてはいけない」 
「人に迷惑をかけると罰せられますよ」
「良いことだからしなさい」
と言う風に躾られています。

要約すると日本の躾は、「のしつけ」であり、
欧米の躾は、「罪のしつけ」であると言えます。

参考) の文化
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より一部転載

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが著書である『菊と刀』に、
日本人の国民性を研究したものが記されている。
その中で彼女は、欧米は内面の良心を重視する(=罪の文化)のに対し、
日本は世間体や外聞といった他人の視線を気にする(=の文化)と規定した。
両者の違いは,行為に対する規範的規制の源が,
内なる自己(良心)にあるか,自己の外側(世間)にあるかに基づいている。
前者を日本人特有の文化体系と考える。
すなわち,日本人の行動様式は、をかかないとか、
恥をかかせるとか、というように「恥」の道徳律が内面化されていて,
この行動様式が日本人の文化を特色づけているとする。(転載終)

また、私達日本人は、自分の家の物は、
実によく気をつけて大切に使い、清潔に保ちます。
しかし、海外で公の乗り物の中や施設を汚すのは
結構日本人が多いと言われています。

推測ですが※「旅の恥は掻き捨て」の意識が
旅先で生まれるのは「恥」からの解放かも?

※【意味】-旅先には知人もいないし、長くとどまるわけでもないので、
普段ならしないような恥ずかしい言動も平気でやってしまうものということ。

以前にヨーロッパの有名な遺跡に、
日本人の若者の心ない落書きがされていたり、
公共のトイレを汚したまましにしたりする行為
モラルの低さでも世界中に知られているのが現状です。

このようなことからも、人としての原点に戻り
「躾」の大切さを再認識する必要があると思われます。

前記したように、「常識力」を社会や会社が
若い社会人に求めていることもその表れだと考えます。
現在、上辺や形式だけの挨拶は上手で、
思いやりの心の感じられない人々の言動や態度は、
人の目に重きを置き形式を重視して来た
日本の教育の弊害と言っても過言ではありません。

「躾」の根本は、周りの人々を思いやり
真面目に社会の為に働く人間としての誇り、
もてなの心を持つ日本人である自覚と認識です。

社会人の「躾」は、社会人の決まり【常識力】を身に着ける為の

「学習化」⇒「習熟化」⇒「習慣化」⇒「習性化」

のプロセスから成立つこと認識し、実行することではないでしょうか。

 
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礼儀作法」&現代社会の「恥の文化」-(2)

礼儀行儀3

礼儀作法と行儀

礼儀」は対人関係での気配りや敬意、
 慎みの気持ちに基づく行動の規範。

作法」は対人関係に限らず、
 礼儀にかなった一定の行動の仕方。


例えば
「年賀状をもらったら返事を出すのが礼儀だ」は「作法」では言えないし、
「お茶の作法を身に着ける」を「礼儀」とは言えません。

また、「作法」を知らないと言うことは単にその知識がない場合も多いですが、
「礼儀を知らない」では、常識に欠け、敬意や慎みの気持ちがないことを
批判や非難する意が含まれていると考えられるのではないでしょうか。

作法と類似の語に「行儀」や「」があります。
が良い子」「行儀正しい若者」
行儀の悪い子」「行儀よくすわっている」
などのように、挨拶や謝意、節度を弁えていること、
或いは、敬語や謙譲語などを正しく身に付けた
対人関係上の適切ながされた振る舞いが出来
礼儀に叶った立ち居の仕方が出来るといった意味で使われます。

礼儀・に必要なのはТPОに合った「敬意表現」(≒敬語力や態度)であり、
行儀に求められるのは「作法」と言われる適切な「正しい形」の修得とされる。

社会人として礼儀作法とマナー(思いやりの表現形)ですが
大切なことは、表現する際、どの人称で表すのか?という意識の持ち方です。

例) 「私が・・・・・・」は、「我」一人称で自己中心的な表現
   「私は・・・・・・」は、「和・輪」一~三人称で周りを含む表現
人称と我と輪



 

礼儀作法」&現代社会の「の文化」-(1)

長年に渡り、もてなしやサービス業に携わってきましたが
人生半ばに「思いやりの心」を知るまでは、
礼儀作法」は心を伴うと理解ができず、
他人の眼や外見優先の上辺だけの「形だけ」でした。

人に恰好良く見せたい、人に好かれたい、
人前ではかきたくない、出世したいなど
といったことから、強い感受性でその形を磨くことだけをして来てしまい、
礼儀」の語彙である、人の心が係わることなど気にしませんでした。
当然のこと「」に大切な「先心後技」のことなど全く気にしませんでした。

礼儀作法11

また、自分勝手な「かくことを嫌う」こと
内の心も外への意識も一人称視点を主に周りからの眼を
強く意識しながら人付き合いをして来てしまいました。


個を優先する現代社会では、古より人の目を意識した
日本独自の「の文化」と言われることも薄れつつあり、
スマホ依存、個人の安心安全、利己的な自己顕示、
保身のためのと思われる「パワハラ」などが見られます。

このような体験と人生後半に先人の教えや書で「礼儀」について
学びの中で詳しく知り得たことや様々な気付きなどを書いて行きます。

礼儀作法マナー

【礼儀作法】は、道徳の心を「形」として表わすことと言われています。
マナー】は、“目の前の人、周りの人のことだけを考える”振舞いと思いやりです。
また、「エチケット」は、人付き合い(コミュニケーション)を円滑にするための
一般社会人の常識的なルール・技術・所作で礼儀作法を意味し、
自己の心や意識を主に捉える一人称で使われる場合が比較的多く、
形式化された作法とか、身嗜みや仕草を指し示すと考えます。
解り易く解説すると下図のような内容です。

マナーとエチケット新枠付

マナーとエチケットどこが違うの?」

と以前とある研修の場で生徒さんから質問をされたことがあります
意外と知っているようで知らないこの二つの違いです。

マナーとエチケットの解説

子供の頃に行儀が良いと言われることが多々ありますが、
大人になると同じことも、躾やマナー、エチケットと言った表現をします。

この行儀は、礼儀作法に適った立ち居振る舞いのことを言います。
また、人として適正なモラルを保有し、弁えてなくては、
他者を気遣うことマナーやエチケットを正しく表現することは出来ません。
即ち、モラルの保有は、マナーやエチケットの礎であると言えます。

モラルは、「道徳・道義的な・教訓」などを意味する英語で、
「現実生活に即した道徳・倫理・良識」を指して言う時に使われます。
それは「道徳」「倫理」「良識」のことを言い、
現実社会や実人生に対する態度や気持ちの在り様をいい、
人間相互の関係において法による拘束力を持たない、
善悪の判断を伴う感性のことを言います。

さて、マナーとエチケットの原義は、
共に「礼儀作法」を指し同義語です。
前記しましたがエチケットはフランス語で、「社交上の型」、人付き合いを
円滑にするための常識的なルール・技術・所作で礼儀作法を意味し、
自己の心や意識を主に捉える一人称で使われる場合が比較的多く、
形式化された作法とか、身嗜みや仕草を指し示すと考えます。
そして、自分自身をコントロールする意があり、
「道徳心」やコンプライアンスに類似しています。

一方、マナーは英語で、態度・礼節・礼儀作法であると言えます。
「倫理心」や思いやり(愛他心)に類似しています。

具体的に言えば、
暑い時期に自分の汗や臭いに気を付けたり、
知人や仲間を見かけたら進んで挨拶をしに行くのがエチケットであり、
他者と会う場合に自分の汗や臭いに気を付けて対話したり、
相手が何らかの事情で取り込んでいて、
挨拶をするどころではない様子を察しその場では黙礼し、
後でキチンと心の篭った挨拶をするのがマナーです。

マナーは、「社交上の心」、相手に対して自分が取るべき態度・処置です。
このマナーの原義は、
人に対する思い遣りや相手を気遣う気持ちを言い、
その心(気持ち)を動作や態度で表したもので
他者中心の二、三人称で使われ人称は限定されません。
形式化された作法とか仕草と共に、礼、態度
と言った「心」の部分を多く含むと考えます。
それは、正常な人間ならば誰でも持っていて、
その心の根底にあることであると思います。

エチケットを弁え、相手を喜ばせ相手に尽くすのが
 マナーの原点であると共に終着点です。


※字義としては、
行儀、作法、礼儀、態度、様子、仕方、やり方 、方法、態度、様子、挙動、
風習、習慣、流儀、様式、作風、種類、手法、習癖などが挙げられます。


◆知っておきたい表現法

マナー・エチケット礼儀・・草枠


※礼儀作法の解説-出典 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説(以下転載)

人がその社会生活を円滑に営み、
社会秩序を保つために用いる規範と実践の総体。
礼とは温かい真心の具体的な表出であり、
礼儀とは他との関係において
それを判断・評価・行為の基準とする原則である。
礼儀に基づいて社会的に様式化された
言語的・非言語的表現が作法である。

これらをあわせた礼儀作法の語は、
主として社会の秩序や人間関係を構築し
維持する価値基準および行動様式の意味で用いられる。

礼儀は、一般に人間に対してのみ
行われるものと思われているが、
本来は自己と関わる総ての事物が対象である。

人が外界の事物と係わる時、
それらに向かう敬意や愛情が、
時、場所、場合に応じて言語的・非言語的に最適化して
表出されたものが【作法】であり、神仏をはじめ
道具や水、空気といった無機物など、
あらゆるものが対象となりうる。
(以上転載終わり)



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    節目、節目に表れる「礼」と「義」

    お薦め度【★★★★】全業種、業態用

    日本人の心・礼義s


    正月や盆暮れ、と言った節目の時期に、その人の持っている本心(本質)が正直に表れ易いです。

    普段の社会生活上に於いて、口先や外面で、
    「御世話に成り感謝し決して忘れません。」
    「何らかの機会にお食事でも、と思っています。」
    「頂いた御恩決して忘れません。」
    などとその場しのぎで調子の良いこと言っていても、
    年の節目などに、挨拶や形を何も示してこない、

    恩を忘れ、今の自分の損得や感情に左右されて活動している、
    ・・・・・など、と言った嫌な気持ちになる体験をされたことがありませんか?

    「受けた恩は石に刻み、与えた情けは水に流せ」
    と言われていても私ども一般人は、受けた恩をついつい忘れてしまい
    与えた情けをそう簡単に意識の中から流せないように思います。

    本当に心にそういった気持ちを抱いている人は普段何も言わなくても、
    節目節目に「礼」や「義」を何らかの形としてキチンと相手に現し、伝えます。

    その人達の心に息づいているのは、支え、生かされている方への
    感謝」と人としての「義≒義理」です。
    日本人としても、また一人の社会人としても大切なとです。

    このような日本人の心である「道理」を欠かすことの無いようにしたいものです。

    特に、管理や指導的立場の方は、 これを大切にして貰いたいと思います。


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      様々な勇気を表す【礼】

      (可否の意思表示、断る、諭す、外す、叱る、謝る、無視しない、など)

      お薦め度【★★★★】全業種、業態用

      礼・濃紺枠
      (備考)礼の文字は、人の心と屈体と捉える

      ※以下の内容は自らの学びと課題でもあることを予めお知らせしておきます。

      今の日本は少子高齢化の個人中心の社会に入り、
      安心安全を過度に意識ずるばかり、
      自己(自社)の都合や保身、
      自分に対する人の思惑(目)や
      過度の自己表現情報に左右され易く、
      本来の自分の持つ意見(意思表示)や備わっている
      資質を適確に表せなくなって来ています。

      喩え、肉親や親しい人であっても
      他人の心は見え難く、中々理解し難いものです。
      現代社会は人の思惑を気にするわりに、
      自心が見えない人、知ろうとしない人が多い中、
      確りと自心と「向き合いっている人」は、
      人望かあり、実績結果、幸せを手にしています。

      その人達に共通して言えることは、
      自分の弱さを認め(自省)、
      勇気(=相手への礼)を備え、
      キッチリと先を見詰め、人を受入れ許し、
      筋道=理(道理)弁え、自らYESNOが言える人です。

      以下「断る勇気」≒『礼』必要ないと考え
      或いは備えてない人は、どんな人なのか?を記しててみます。

      〇「自分の発した言葉に責任を持たない人」(口先ばかりの人)

      〇「他人の思惑や目を極端に気にする人」

      〇「いい人と思われたいと意識している人」

      〇「世間体や体裁を気にする人」

      〇「内面より外見を美しい、可愛いと見られたい人」≒「外面(ソトヅラ)が良い」

      〇「保身優先思考の人」≒「立場の保護・自己安全」

      〇「敵を作るのが怖い人」≒「いい人に成りたい」

      〇「人間関係を損ねるのを恐れるあまり、拒否をすることが出来ない人」

      〇「何事、何人に対しても都合のいい人でありたい人」⇒「信頼を誤解して受け止めている」

      〇「人の意見や提案に対してNOと言えない人」≒「曖昧で実行力が伴わない」

      〇「頼まれごとをしたら、嫌だとは言えないけれど、実際は何もしない人」

      〇「断ってしまった後のことばかりを思い巡らす人」

      〇「利己主義なヒト」=「自己中」

      〇「生きる目的が、己だけの楽しみにある人」

      〇「見栄っ張り」「自信過剰」な人≒「自己顕示が強い」

      〇「己に自信がない人」≒「ネガティブ思考の人」

      〇「己の感性を重んじ、人の話を受入れない人」

      〇「其の場しのぎをする人」

      〇「笑って逃げる人」

      〇「お人好しな人」(「いい人」と「人柄がいい」は異なります)

      〇「人が心から信じられない人」≒「裏切られた体験がある」

      〇「性悪主義」≒「性善説を信じない」

      〇「二分の一の思考を持たない人」

      〇「利益中心主義な人」≒「お金で何でも手に入れられると考えている人」
       ・・・等々。


      追記)上記の項目は、あくまで現在までの体験と様々な学びから載せております。
         この項目は、読まれる方への押付けではありませんから御自分の判断でお決め下さい。


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        日本人の心「」の認識

        お薦め度【★★★★】全業種、業態用

        格差社会と義金

        今行われているブラジルリオのオリンピックの様々な競技で
        これまで日本人が手にしたことのないないメダルラッシュになっています。
        その要素の一つは、個々人が真摯に自分と向き合えていることに拠ることと思われます。
        また、IТの進化からか、自分に向き合わず人の目や思惑を意識し過ぎからか虚飾になり、
        謙虚で控えめな気配りをする日本人らしさが失われつつあると思われます。

        また、心の闇を持つ人の増加により、人としてあるまじき悲しい事件も多発しています。
        現在の日本は、格差社会になっているのは経済的なことだけでなく、
        その社会で生活している人の心にも大きく表れていると思われます。

        これは、人の道(武道)の心得は「人は人に背を向けず正対し向き合う」ことが出来ず、
        この対人活動をせず、相手への感情と自己都合の基に言行する人の増加にも表れています。
        古より日本人の心とされる、武士道の「」、これはとても重みがあり、
        人の行動・志操(自分の主・主張などを固く守り、変えない心)、道徳(≒倫理)で、
        「よい」「正しい」(≒正)とされる概念で、人として守るべき正しい道を言う。
        と辞書に記されてあります。

        即ち、触れ合う相手に対する感情や自利利己の意識を心から外し、
        正しい人の道に叶う、利他、筋道、理の通ったことを表わすと解します。
        己の感情に左右され、曖昧さ、無視、と言った自己都合を優先する人が増えています。
        それが、いじめ、DV、引き籠り、ストーカー、様々な犯罪な犯罪と言ったことの
        起因・誘因・要因になる場合も少なくありません。

        人は、自分の都合、感情を露わにした言行、自己顕示や我欲ばかりを
        表す言行や態度をしていると利己的な生き方に陥ってしまいます。
        その結果、愛や信頼の絆が切れ大切な人を失ったり、孤立し孤独になったりし、
        悪くすると仕事や家庭を無くす場合もあります、

        利己的な生き方の度が過ぎると、引き籠りや人間不信、犯罪の起因となる場合もあります。
        また、人と人の競争や対立を生み、組織と組織の争い、国と国の戦いをも生み出します。

        現代を生きる私達にとって重要な課題となっている少子高齢化、環境問題や食糧・エネルギーなど
        の問題も自己都合や利己的な生き方をしていては解決できません。

        私達の日本人の心にある「和の心」や「利他心」、モラル(倫理観)であり、
        人としての八正道を理解し、実践することこそが“”であると考えます。
        八正道-『正しい』とは、人として正しいことかを心の軸とする。
        一.正見(正しい見方)
        二.正思(正しい考え方)
        三.正語(正しい言葉)
        四.正業(正しい行い)
        五.正命(正しい生活)
        六.正精進(正しい努力)
        七.正念(正しい意識)
        八.正定(正しい精神の安定)


        同時に、他者を「思いやる心」、「筋を通し、人を立てる心」と、
        古より日本人の心とされる「和を以って尊しと成す」の精神で、
        人と人との和や繋がりを強めて行かなければなりません。

        現代に生きる私達にとって“和”“義”とは、どんな行動でしょうか?
        貴方にとっての“和”“義”とは、どんな行動、どんな生き方なのでしょう?


        「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
        謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
        それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。

        過去、日本では、弱者(貧しい者)を平気で切り捨て
        「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。
        「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
        自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う利己的な個の意識には違和感を覚えます。
        勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして
        堂々と胸を張って生きる、それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。

        このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。
        私は、自分の欲や他者の強い力に負け、落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。
        現代社会は、弱者が人々や社会から更に追い詰められ、自ら命を絶つ人も出ています。
        こんな世の中だからこそ、日本の心「和」と「義」の精神が必要だと思います。

        厳しい少子高齢化社会に入った今、「和を以って尊しと成す」の日本の心の元、
        私達は「義」の精神を備え、真摯に自分と向き合いつつ、切磋琢磨しながら
        他人をサポートし、人を育て、未来に希望の光を灯せるように生きなければなりません。
        一人でも多くの人達がこの「和」と「義」の心を備え、人を思いやり
        権力や利害関係などに屈することなく、正しいと信じることに迷わず突き進む
        「謙信」や「兼続」のような堂々とした生き方が出来る社会に成ればよいと思います。


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          忘れまい「礼」と「義」の心と活動

          お薦め度【★★★★】全業種、業態用

          日本人の心・礼義礼・義武士

          「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
          謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
          それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。
          過去、日本では、弱者を平気で切り捨てて「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。

          「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
          自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う社会は何処か違和感を覚えます。
          勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして堂々と胸を張って生きる、
          それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。

          このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。
          私は、自分の欲や他者の力に負け、落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。
          現代社会は、弱者が更に追い詰められ、自ら命を絶つ人もいます。

          今迄の体験から思うことですが、一般人は、少し有名になったり、
          周りの人からちやほやされたりすると嬉しさあまり自利的になり、
          感謝を忘れ、驕りが生まれこの「礼」と「義」を欠かし兼ねません。

          【礼節と義】

          大人と子供の違いは、「礼節」「義」が何たるかを知り、身に着ついているか、否かです。
          己を謙遜し、相手を尊び敬い、自らの行いを丁寧にすることを「」と言います。

          この「」を其の場、其の時に即して、
          状況に応じて(Т.P.О)自らの行動が出来るように弁える事を「節」と言います。

          この「礼節」があってこそ、初めて一人前の社会人と言えます。
          また、「」を表す際、忘れてはならないことに「義」≒義理があります。

          「義」は、義理・恩義・道義・大義・義務などと言われ
          正しい行いを守ることで、人間の欲望の「利」と対立する概念です。

          また、「」とは「礼儀作法」のこと。
          今流に言うと「礼儀」は「マナー」と「エチケット」。
          作法」は「ルール」と言えるでしょう。

          【礼】

          『礼を尽くすに素直にあれ』 
          仁によって育まれた気持ちをに依って形とする。
          仁のみであってはいけませんし、仁なくしてはあり得ないという事です。

          即ち、「」を具体的な行動として、表したものです
          元々は宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味します。
          後に、人間社会の上下関係で守るべきことを意味するようになったと言われます。

          ※礼とは、様々な行事の中で規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。
          春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ
          社会秩序を維持するための道徳的な規範をも意味します。
          この「礼に始まり礼に終わる」は、武道の基本とされます。

          論語[顔淵第十二]

          礼に非れば、視ること勿れ、
          ※礼にかなっていなければ、それを見ようとするな。

          礼に非れば、聴くこと勿れ
          ※礼にかなっていなければ、そんなものに耳を貸すな。

          礼に非れば、言うこと勿れ
          ※礼にかなっていなければ、そんなことに口を出すな。

          礼に非れば、動くこと勿れ。  
          ※礼にかなっていなければ、そんなことで行動するな。

          (原文の意味・解釈)
          門弟の「顔淵」が「仁」について訊ねた時、
          孔子は「礼」のことに触れ「克己復礼」が出来るものが仁者、と答えました。
          つまり、我欲などの私心に打ち勝ち、人間生活の規範である「礼儀作法」を忠実に
          身につけている者なら仁者といっても良いという意味です。

          】 義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつです。
          正しい行いを守ることで、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念です。
          これは、武士道での中心であり、且つ厳格な徳目が「義の精神」と言われています。

          この「義」は、打算や損得のない人としての正しい道、即ち正義を指すもので、
          「義」から派生した言葉に大義・道義・節義・忠義・仁義・信義・恩義・律義、
          更には義理・義務・義憤・義侠・義士・義民・義挙などがあります。
          武士と言われる古の人は、この「義」を武士道精神の中心に据え、
          これを踏み外した者は卑怯者として糾弾の対象となりました。

          この「義」には「正しい行い」と同時に「打算や損得から離れた」との意味が含まれ、
          人間の根源的なエネルギーとされる欲望を制御しなければなし得ないとの意があります。

          現代人の多くが行動判断の基準としている合理的精神は、突き詰めれば「どちらが得か」との相対的なものです。
          それに対し武士道の「義」は、普遍的な「良心の掟」に基づく絶対的価値観を基本とする
          いわば不合理の精神であり「義」を遂行するには、確りした自立心を養わなければならないとされました。

          新渡戸稲造はその著『武士道』で、武士道の基本は「フェア・プレイ」の精神と言っている。
          フェア・プレイの根源とは「義を貫く」ということであり、武士は例え戦いに勝ったとしても、
          不正な行為をして勝った者は賞賛されませんでした。

          義理
          (1)物事の正しい道筋。人間の踏み行うべき正しい道。道理。
          (2)対人関係や社会関係の中で、守るべき道理として意識されたもの。道義。
          (3)他人との交際上やむを得ずしなければならないこと。
          (4)意味。わけ。
          (5)直接血縁関係のない者の間にある、血縁同様の関係。

          古より『義理と人情とやせ我慢』という諺があります。
          義理と言うのは、実社会における規範性、法規制、規律性の要素が強いものです。
          一般には日本の社会において、社交上、礼儀を以て旨とする行動規範を指したものです。
          冠婚葬祭などの場に於いては義理を欠く事の無い様、
          各地域に合わせた礼節に基づく義理の行為が執り行われる事が多いようです。

          これは無用なトラブルを極力避ける手法でもあり、義理をスキルとして昇華する意味を持ちます。
          一方、本心はやりたくないけれども、仕方なく行わざるを得ない事柄を意味する言葉でもあります。
          義理チョコなどの語は、こうしたニュアンスが強いと考えれます。
          また、血縁以外の者が、婚姻(縁組)などの儀式を経て、血縁と同等の関係を結ぶこと。
          配偶者の父母を義父母(義理の父母)と呼ぶなどの用例が、これに当たります。


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            「義」&「和」の実践

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            日本義と和

            日本人の心と古からいわれる「義」は、とても重みがある言葉で、
            その心は打算や損得のない人としての「正しい筋道」即ち「正義」を表わしています。

            人は、自己顕示や我欲ばかりを追求していると利己的な生き方に陥ってしまいます。
            それは人と人の競争や対立を生み、組織と組織の争い、国と国の戦いをも生み出します。
            また、現代を生きる私達にとって重要な課題となっている少子高齢化、環境問題や
            食糧・エネルギーなどの問題も、利己的な生き方のままでは解決できません。
            これに歯止めをかけるのが、私達の日本人の心にある「和の心」や「利他心」、
            モラル(倫理観)であり、そしてそれを「筋」を通し、実践することこそが“義”であると思います。

            同時に、他者を「思いやる心」、「筋を通し人を立てる」の心で、
            「和を以って尊しと成す」の精神である人と人との繋がりを強めて行かなければなりません。

            今までに、自分の欲や他者の力に負け、落ち込み、騙され、裏切られた体験があります。
            現代社会は、弱者が更に追い詰められ、自ら命を絶つ人もいます。
            こんな世の中だからこそ、日本の心である「和」と「義」の精神が必要だと思います。
            厳しい少子高齢化社会に入った今、「和を以って尊しと成す」の日本の心の元、
            私達は「義」の精神を備え、人をサポートし、人を育て、未来に希望を持って生きなければなりません。

            ひとりでも多くの人がこの「和」と「義」の心を備え、
            人を思いやり、権力や利害関係などに屈することなく、
            正しいと信じることに迷わず突き進む「謙信」や「兼続」の堂々とした
            生き方が出来る社会にして行かなければならないと思います。
            「和を以って尊しと成す」の精神である人と人との繋がりを強めて行かなければなりません。

            〇「自分の発した言葉に責任を持つ」不信、いじめや引きこもり要因や起因となると考えられることの一つに

            “義”をなす「自分の発した、言葉の重さを弁え、責任を持つ。」ことがあります。
            その一例として、経営者や人を管理指導する立場の方からよく聞かれる会話に
            「時間を作って、こちらから連絡します」と言う言葉があります。
            今迄の様々な人と触合いの体験から、このような仕事や他人に真面目に取組む人程、
            この言葉を真摯に受け止め、期待感を抱き連絡を待っていると思われます。
            しかし、いつまで経ってもその言葉が実際にされないと、
            発した人へ不安や不信感を持つ誘因にもなります。
            若し、何らかの事情で伝えるために時間を要する場合は、
            不安を与えないためにも適時適切な連絡をすることも心掛けることだと思います。

            また、この言葉には、捉え方が二、三あると考えられます。
            一つ目は、伝えた相手を認めていることと共に、
            それを聞いた相手の何らかの期待感を生み出しことを自覚している場合であり、
            二つ目は人としての“義”に自ら反し、相手から自分を守るための保身や
            其の場凌ぎの意などであると考えられます。
            また、自分の保身や其の場凌ぎの場合は相手への距離を置きたいと言う
            意思の現れなどの場合が多いようです。
            何れにしろ、人との触合いに於いて、喩え相手が自分の意にそぐわない人物であっても
            「自分の発した、言葉の重さを弁え、責任を持つ。」こと、
            善し悪しに関わらず自分の意思をキチンと相手に伝えることは、
            社会人としても人としても大切ではないでしょうか。
            その結果、相手が離れたり、縁が切れたりしてもよし、と捉えることも必要だと思います。

            日本では、子供の頃から“義”と“礼”表すこととして
            「自分の言うことに責任を持ちなさい」
            「何かして貰ったら、ありがとうと言うのです」
            「間違ったことをしたら、ご免なさいと謝りなさい」
            などと親から教えられます。
            しかし、大人になるとその大切な教えを自尊心や忙しさ、
            利害関係や好き嫌いなどで実際に行わなくなることも多いようです。
            そして、そこには人間の欲とも言える当たり前に「見返りを期待する」心が存在します。
            純な心を持ち、このような見返りを期待せず、
            私心の無い「認める」「感謝」「情けや施し」などの活動に心掛けたいものです。

            〇“義”とは
            現代に生きる私達にとって“義”とは、どんな行動でしょうか?
            貴方にとって“義”とは、どんな行動、どんな生き方なのでしょう?
            「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
            謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
            それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。
            過去、日本では、弱者を平気で切り捨てて
            「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。
            「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
            自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う社会は何処か違和感を覚えます。
            勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして堂々と胸を張って生きる、
            それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。
            このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。


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              人間関係力の礎「

              お薦め度【★★★★】全業種、業態用

              折り鶴s日本人の心「義」

              今の社会は、表面上のテクニックや形に捉われ人間力の礎であり、
              一人の人として相手を認める「思いやり」でもあり、
              信頼の源である「」の心が乏しくなっているように思えます。

              例えば、「御世話になったことに感謝し、決して忘れません。」
              「何らかの機会にお食事でも、と思っています。」
              「頂いた御恩決して忘れません。」
              などとその場凌ぎの調子の良いこと言っていても、
              いつになっても何の挨拶や形を示さない、
              などと言った体験をされたことがありませんか?

              本当に心にそういった気持ちを抱いている人は、何も言わなくても、
              日本人、一人の社会人としても大切な「≒恩」を忘れず、
              何らかの心を表す態度、或いは物や形としてキチンと相手に現し、伝えます。
              その人達の心に息づいているのは、支え、生かされている方への
              人としての「≒義理」の精神と、それを表す「感謝の心」です。
              この心は、日本人が決して忘れてはならない日本人の心の礎を築くものであると思います。
              そして、それは人としての親交を深め、人や会社の信頼の原点でもあります。

              但し、この「義」の精神は、無理に相手に【押し付ける】ことではありません。
              そこで、この「義」について記してみます。

              義務】特定の個別的な行為や一般的な行為を行うべきであるとして人に課し、
                   人を拘束する、習俗、法律、特に道徳の規範をいう。即ち従うべきとされること。

              道義】人の踏み行うべき正しい道。道理。

              恩義】報いなければならない、義理のある恩。
                   真田幸村の名言に「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べる。」とあります。

              道理】物事がそうあるべき筋道。理。訳。

              義理】義(正義)と理(筋道)に由来し、その意味は文字通り「正義の道理」。

              自分が不義理をされたからと言って、自分が不義理をして良いという事はありません。
              人としての道を歩むなら、如何なる時も自分だけは義理を欠いてはなりません。
              『義』には、打算や損得のない人の道であると共に、正義を指し正しい行いを守り、
              人として正しい道という意味もあります。

              孔子は『論語』の中で著した、
              「義を見てせざるは、勇なきなり」との言葉は有名です。
              ※人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは勇気がない。

              また、孟子は、羞悪の心が義の端であると説いた。
              ※羞悪の心とは、悪を羞(ハ)じる心のこと。
              そして、「仁は人の心であり、義は人の道である。
              その人の道を捨てて顧みず、その心を見失って
              探そうとしないのはなんとも悲しむべきことか。
              人は鶏や犬を見失っても探し出す方法を知っている。
              しかし、心を失えばその探し方が判らないのだ。」と説いています。

              日本では、新渡戸稲造が、武士道の基本は「義を貫くフェア・プレイ」の精神と言い、
              江戸時代後期の経世論家・林子平が、
              「道理に従いためらうことなく決断する力」と定義とし、
              「死すべき場合に死し、討つべき場合に討つ」決断力を『義』とした。

              人として、どれだけ不条理なことがあったりされたりしたとても
              それは自らの襟を正すチャンスであると受け止めるように努めたものです。
              また、人様の短所や悪い処を見て、自らを省み、改めるきっかけになることもあります。

              古より、お天道さまが必ず見ているといわれていますが、
              人は誠心誠意の態度と気持ち、常に人として正しい道を歩もうと
              心掛けていれば必ず何らかの形で、自他に報われると思います。

              詰り、それは自らの心に恥じないず、気持ちを偽らないことであり
              他人も必ず見ている、なによりも自分が見ている事であります。

              人に後ろ指を指されながら豊かな生活を送ることが幸せなのか?
              それとも貧しいながらも、一切の恥ずべきことが無く胸を張って生きて行くのか?
              どちらが人として幸せなことなのでしょう。

              私見ながら、上記した「義の心」には、その答えがあると思われます。

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                【武士道のと日本のの心】

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                武士和義s

                」、とても重みがある言葉で、打算や損得のない人としての
                正しい筋道」即ち「」を表わしています。

                人は、自己顕示や我欲ばかりを追求していると利己的な生き方に陥ってしまいます。
                それは人と人の競争や対立を生み、組織と組織の争い、国と国の戦いをも生み出します。

                また、現代を生きる私達にとって重要な課題となっている少子高齢化、
                環境問題や食糧・エネルギーなどの問題も、利己的な生き方のままでは解決できません。

                これに歯止めをかけるのが、私達の日本人の心にある「の心」や「利他心」、
                モラル(倫理観)であり、そしてそれを人として「」を通し、実践することこそがであると思います。
                同時に、他者を「思いやる心」、「筋を通し人を立てる」の心で、
                を以って尊しと成す」の精神である人と人との繋がりを強めて行かなければなりません。

                現代に生きる私達にとって“”“”とは、どんな行動でしょうか?

                貴方にとっての”“義”とは、どんな行動、どんな生き方なのでしょう?

                「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
                謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
                それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。
                過去、日本では、弱者を平気で切り捨てて「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。

                「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
                自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う社会は何処か違和感を覚えます。

                勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして堂々と胸を張って生きる、
                それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。

                このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。
                私は、自分の欲や他者の力に負け、落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。

                現代社会は、弱者が更に追い詰められ、自ら命を絶つ人もいます。
                こんな世の中だからこそ、日本の心である「和」と「義」の精神が必要だと思います。

                厳しい少子高齢化社会に入った今、「和を以って尊しと成す」の日本の心の元、
                私達は「義」の精神を備え、人をサポートし、人を育て、未来に希望を持って生きなければなりません。

                ひとりでも多くの人がこの「和」と「義」の心を備え、人を思いやり、
                権力や利害関係などに屈することなく、正しいと信じることに迷わず突き進む
                「謙信」や「兼続」の堂々とした生き方が出来る社会にして行かなければならないと思います。


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                  』を尽くす

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                  礼

                  今の社会は、『』が疎かになっていると感じられることが多く見聞きします。
                  例えば、喪中なのに「新年おめでとうございます」と言った挨拶言葉を平気で使ったり
                  先人への節度の無い言葉使いや無な態度だったり
                  教えを受ける人に「参考に成ります」と平気で話したり
                  教えて貰うだけでその経過を返さなかったりすることを成さない大人が増えていると思われます。
                  即ち、利己的な『』を尽くさず生きられると安易に考える人が意外と多いのではないでしょうか。

                  少しでも多くの人達に『』の大切さを知って頂きたいので
                  以下、孔子の論語の一部と学びのメモから記します。

                  によって育まれた気持ちを『』に依って形とする。
                  のみであってはいけませんし、
                  なくして『』はあり得ないということです。
                  即ち、「」を具体的な行動として、表したものです。
                  元々は宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味し、
                  後に、人間社会の上下関係で守るべきことを意味する。

                  また、武士道の基本とされる
                  礼に始まり礼に終わる』も多く知られています。

                  孔子の論語の中にある以下の語に「礼」の心が窺い知れます。

                  『礼を学ばざれば、以って立つことなし。』  [季子第十六]
                  『礼を知らざれば、以って立つことなし。』  [尭曰第二十]

                  [原文の意味・解釈]
                  孔子は長男の伯魚に、
                  庭先で「礼」を学ぶことを強くすすめた。
                  「礼」を知らないと、人格形成が出来ず、人間関係がうまくいかないからだ。
                  伯魚の告白によれば、直接の父である孔子から教えを受けたのは、
                  庭先で会って「詩(学問)の勉強」と「礼の勉強」を薦められた。
                  この二つだけだったと言っている。
                  「庭先での教え」さしずめ現在ならば家庭で親が子に教える「躾教育」と言ったことです。
                  また、孔子は「礼儀作法」を重んじた。
                  「礼」を知らない「無礼者」になるなと。
                  「礼」とは「礼儀作法」のこと。

                  今流に言うと「礼儀」は「マナー」と「モラル」、
                  作法」は「ルール」「規律」と言ったことでしょう。


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                    思いやり、慈しむ心【

                    お薦め度【★★★★】全業種、業態用

                    思い遣り仁新

                    」について孟子は、
                    は人の心であり、義は人の道である。
                    その人の道を捨てて顧みず、その心を見失って、
                    探そうとしないのはなんとも悲しむべきことか。
                    人は鶏や犬を見失っても探し出す方法を知っている。
                    しかし、心を失えばその探し方が判らないのだ。」
                    と述べています。

                    それは、主に他者を思い遣る心、即ち「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、
                    儒教における最重要な「五常・義・礼・智・信)の徳」のひとつです。
                    また、と義を合わせて、「仁義」と呼ばれてもいます。

                    古代から現在に至るまで中国人の倫理規定の最重要項目となって来ました。
                    中国の伝統的な社会秩序(礼)を支える精神、心のあり方とも解されています。
                    」と言う世界中で親しまれている日本のテレビドラマのタイトルにもされている
                    医は仁術」という言葉もあります。
                    それは、「仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。」
                    「わが身の利養を、専ら志すべからず。」と言う教えでもあります。
                    仁の教えである「思い遣り」は、人として平等な立場で相手の事を深く考え、
                    相手の心に寄り添いながら、相手に何をしてあげるのがよいのか、
                    何をしてはいけないのかを思考し、その思いを相手へ遣わすこと(届けること)を意味しています。
                    共に生きていると言う、温もりのある連帯感から生じる人間らしい温かい心と行為です。

                    他人に、「思いやり」ってどんな事と聞かれると優しさとか相手を思う気持ちが思い浮かびます。
                    身近な事ではデートをしている時や大切な人に対して「思いやり」と優しさは欠かせないものです。
                    相手との心の繋がり、信頼を作るために無くてはならないものです。

                    さて「思いやり」とは、いったいどんな事なのでしょうか。
                    思いやり」は一般的に「その人の身になって考える事、察して気遣う事」と言われます。
                    細かく言うと「思い」は相手の気持ちになって考えたり、共感したり・同情したりすることであり、
                    「やり(遣り)」届ける・差し向ける・行うと言うことです。

                    私達は日々の生活や職場で多くの人々に触れ合います。
                    家族や友人など、職場ではお客様、同僚や上司など沢山の人々に出会います。
                    どんな時でも相手を「思い遣る心」で接することが人として生きて行くために必要です。
                    思い遣る心」は「思い遣り」と言われます。

                    それは、貴方の心を豊かにし、あなた自身を成長させてくれますし、信頼される源になります。
                    見返りをあてにするようなものでも、慢心するようなものでもありません。
                    自分を本物の人間に育ててくれ、そして、本物の愛を教えてくれる、嬉しくて、有り難いものです。
                    思い遣り」は会話や態度に表れます。言い換えれば相手に対する”心の姿勢”の現われです。
                    この「思い遣り」を心に発動させるにはお互いの気持ちが交換可能であることが必要です。
                    即ち、相手の気持ちに同調もしくは共感する必要があるということです。
                    要は、自分が相手に対して共感していないのに、何か親切な事や、
                    何らかのアクションを起こす事は「思い遣り」と呼べないと言うことです。

                    同じ行動でも、思いやりになる時も有ればお節介になることも有るのは、実感していると思います。
                    思いやり」があるのと無いのでは何が違うかと言うと、共感出来るか、出来ないかと言うことです。
                    また「思いやり」のつもりで戒めたり、突き放したりしたことが誤解を受けて思っていた逆の効果の
                    憎しみや恨みを生んでしまう場合もあります。

                    〇「仁」文字を紐解く

                    仁の文字は、「人」と「二」(一人称と二人称) 即ち、自分自身と他人、即ち二人の人間と解します。
                    ※一般的には、人と人との間と解されているようです。

                    この『』について、私見で記してみます。
                    』の文字の組立ては、
                    「自分と他人」
                    「自分ともう一人の自分(思考の選択に戸迷う自分)」
                    「強い自分と弱い自分」
                    「人」+「二」で組立てられ、それは自分と他の人(二人称)を表わしている。
                    即ち、自分自身と他者、二人の人間を意味すると解します。
                    それは自分(一人称)と他の人(二人称)を表わしている。
                    即ち、自分自身と他者、二人の人間を意味すると解します。

                    ☆『自分』と『他人』

                    「生きている自分」と「生かされている自分」
                    「人を愛する自分」と「愛されたい自分」
                    「利己」と「利他」
                    「認める自分」と「認められる自分」
                    「親切な自分」と「無関心な自分」
                    「与える自分」と「求める自分」(物・魅力・心)
                    「感謝する自分」と「感謝される自分」

                    ☆『自分』と『もう一人の自分』

                    「人間の善悪二つの心」
                    「強い自分」と「弱い自分」
                    「明元素な自分」と「暗病反な自分」
                     自他に「優しい自分」と「厳しい自分」
                    「無関心な自分」と「共感する自分」
                    「楽に過ごす自分」と「楽しむ自分」

                    〇自分自身を知り、認めるには!

                    人&自分と「向き合う」ために、先ず自分と向き合い自分が知らない自分を知る、
                    そしてその自分自身を認めることです。
                    その為に先ず、自分の強み弱みと真摯に「向き合う」ことから始め、
                    他人とは、お互いが人として「認め合い」、
                    本気で真剣に相手と「向き合う」ことです。

                    幸せな心を創る「四つ」のホジション】※(幸せ=四合わせ)
                     人間は、心にこの四つのホジションを持っています。

                    一、自分も他人も知っていて、認めているところ
                    二、自分自身は知っていて認めているが、他人は知らず、気付かないところ
                    三、他人は知り認めているが、自分が知らなくて認められないところ
                    四、自分も他人も、知らなく、気付かないところ

                    以上、『』について、総て理解するように努める活動は、人の「心の礎」を築く原点です。
                    また、『』は、おもてなしにも大切な相手を思いやる心でもあるのです。


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