接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  自らの「当たり前」を指さす

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
2017新タイトル

ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s

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自分自身の当たり前を振り返る

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

このブログを書くキッカケとなる共に、昨日載せました「心の礎の会」を設立する起因となった
次のようなことがあります。
現在の私があるのは、今迄波乱万丈の人生を過ごして来た中で、
人の出来ないお世話や心配をして頂いた方々、多大な御心労や御迷惑をお掛けした方々に対し、
お詫びと感謝の気持ちで今私に出来る何等かの形で恩返しをしたいと強い気持ちがあるからです。
また、父が亡くなる直前に、
「お前は自分の頭の上の蠅が追えないのだから、せめて人の頭の蠅を一生追って行け」
と言われたことにも起因しています。
と同時に、日本人であることに感謝するとともに、日本全国、生まれ育った故郷の人々へ
自らが生きてきた中で体験し、気付いた「思い遣りの心の大切さ」「おもてなしの心」を
伝えたいとの想いがあります。
この想いを礎とし、今後も身の丈に合ったことを一期一会の心で取組んで参りたいと思います。
以下、共感されられた㈱フェイス総研2011年7月8日の小倉広メルマガの内容を転載します。
この小倉氏のメルマガは、大変役立ちます。皆様が読まれることをお勧めします。


あたりまえのこと

先週から今週にかけて出張が続き、何度も新幹線に乗る機会があった。
そういえば、ここ数年、新幹線に乗る時に心がけていることがある。
それは、降りる際にリクライニングシートを元通りに戻すことだ。
あたりまえ、と言われればたりまえのことである。
同様に、飲み物などのゴミを持ち去り、座席をきれいにしてから降りる。
それもあたりまえのこと。
しかし、降りる時に周囲を見渡してみると、そのあたりまえが、
かなりの高い確率で破られているということに気がつく。
リクライニングが深く倒されたまま。
ペットボトルやお菓子の袋が散らかり、
漫画本が無造作に投げ出されたままで席を立って行く人たち。
どうやら、あたりまえのことは、決してあたりまえではなくなっているようだ。

偉そうに言っているこの僕も、実はつい数年前までそれができていなかった。
清掃係の人がやってくれるだろう。ならば、僕がやる必要はない。
そんな風に甘えていたのだ。

飲食店で食事が終わり、帰る時にイスをテーブルの中にしまうこと。
それも、ようやくこの数年で身に付いた習慣だ。
会議が終わった後の会議室のイスをしまうことも同様。
終わった後だけではない。

例えば、トイレなどで一時的に席を離れる際にもできるだけイスを入れてから席を離れる。
それも最近ようやく身に付いた。

外を歩いている時に、道ばたに空き缶やペットボトルが捨てられているのを見つけたら、
拾ってゴミ箱へ入れる。
風でなぎ倒された自転車を見つけたら、誰のものかわからなくても起こす。
同様に観葉植物が倒れていても起こす。
その度に、心が軽くなるのが感じられる。

エスカレーターや道ばたで、お年寄りが小さな歩幅で、ゆっくりと歩いている。
そんな時は試され時だ。イライラする心を抑えて、
お年寄りに要らぬプレッシャーをかけてしまわないように、
少し距離を置いてこちらもゆっくりと歩く。

電車を降りる時、我先にと人が殺到する時は、競わずに相手に先を譲る。
エレベーターを降りる時は「開」ボタンを押して、最後に降りる。

とても小さなことだが、それができた時には気持ちがいい。

車を運転している時に、右折しようと待っている人がいたら、
スピードを緩めて止まり右折させてあげる。
交差点で、どちらが先に行くか相手とお見合いになったなら、相手に先を譲る。
相手の方が頭を下げ、感謝の意を表してくれるのを見ると、こちらまでもが嬉しくなる。
誰かに何かをしてもらった時は、「すみません」と謝るのではなく、
ありがとう」と感謝を伝える。かつての僕は「ありがとう」と言うのが恥ずかしくて、
いつも「すみません」と謝ってばかりいた。

しかし、それは自分の体裁を繕う言葉であり、感謝の言葉ではない、
と気づいた時に変えることにした。

自分が恥ずかしいことよりも、相手に喜んでもらうことを優先すればいいだけのこと。
そう気づいてから「ありがとう」という言葉を多く使うようになっていった。

かつての僕は、このような道徳的なことは、仕事とはまったく関係ない、と思っていた。
しかし、そうではない、とここ数年で気がついた。
これらは仕事と関係するのだ。いや、仕事と直結している。

リクライニングシートを倒したままで新幹線を降りる人は、
おそらく仕事の場面でも同じような行動を取るはずだ。
風でなぎ倒された自転車を見ても見過ごす人は、
仕事の場面でも「それは私の仕事ではありません」と一線を引くだろう。
エレベーターを降りる時に我先にと進む人は、仕事の場面でも自分の権利をまずは主張するだろう。

そんなリーダーを部下は冷静に見ている。
自分の上司として、尊敬に足る人物かどうか。
部下はリーダーの気づかぬところも常に冷静に見ている。
僕たちリーダーは常に見られているのだ。

それだけではない。良き行動をするほどに、僕たちのエネルギーは高まっていく。
自分のことが少しずつ好きになる。
自分という存在を認められるようになっていく。
すると、揺るがなくなっていく。自分の決断に対して自信がついてくる。

リーダーという仕事はつくづく辛い仕事だ。
全員が賛成してくれるような意思決定はあまりない。
あちらを立てればこちらが立たず。

部下のためを思い、社員のためを思って取った行動に対して、
その部下から不平不満が出る、なんてことは日常茶飯事だ。
しかし、それでもリーダーは決断しなければならない。その時に揺るがないこと。

自分は正しいと信じられる自分でいなくてはならない。
そのためには、このような日々の小さな善なる行いを積んでいく。
陰徳を積むことがとても大切になってくるのだ。

先日、友人と食事をしていた時にこう言われた。
「小倉さんは聖人君子のようですね。お坊さんのような仙人のような生活をしているのですか」
と。それは大きな勘違いだ。
僕は先に述べたことをずっとやっていなかった。

四十年もの間、ずっと周囲に迷惑をかけ、誰かの恩を受け、
それに気づかずに平気な顔をして生きてきた。
面の皮の厚い、失礼な奴であったのだ。

だから、今はその借金を一所懸命に返している。
おそらく一生かかっても借金は返せまい。
それほどに、人に対して失礼なことをし、誰かからたくさんの恩を受け続けてきた。
そんな人間だ。

しかも、いまだに、やるべきことをやろうとしてもできないこともある。
仕事の忙しさにかまけて、あえてやらないこともある。
まったくもって完璧ではない。弱い、普通以下の人間だ。

しかし、ダメなりに日々努力をしている。
今日はできなくても、明日はもう一度やり直すだろう。
それでできなかったら、明後日もやり直す。
ようやくそうやって、少しずつ「あたりまえ」の人間に近づいているだけの弱い人間だ。

でも、確信はある。きっとこの道は間違っていないと。だ
から、誰かのためではなく、自分のために信じた道を少しずつ歩いている。
いや、誰かのため、が自分のため、だ。
だって僕はたまりにたまった「恩」と「罪」という借金を返したい、と強く願っているからだ。

自宅の机の前の壁に、僕はこんな言葉を掲げて自分を励ましている。
ご恩返しと罪滅ぼし
今日もまた、僕は風で倒れた自転車を見つけたら起こすだろう。
道ばたに転がるペットボトルを拾うだろう。
それは、自分の心を軽くするために。
「恩」と「罪」の借金を返すためにやることなのだ。
まだまだ残高は多いけれども。この道で間違いない。

出張先で新幹線のシートを起こしながら、そんなことを考えた。

株式会社フェイスホールディングス 代表取締役社長 小倉 広
【出典先】小倉広メルマガ

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