接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  「一隅を照らす運動」命

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
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お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

日本にも、以下のような素晴らしい仏教の教えがあります。
日本の文化を温故知新の心で見直してみましょう。


生き切る
[天台宗一隅を照らす運動]より転載

自分とはどんな存在でしょうか。
何のために生きているのでしょうか。
私たちは気がついたらここにいました。
気がついたらこの世の人になっていました。
」はどこにあるのでしょうか。
身体にあるのでしょうか。
それとも心にあるのでしょうか。
そして生から始まって死とはどういうことでしょうか。

生には「生まれる」ということと、「生きる」ということの大きく2つの意味があります。
私たちの人生において、前者は生の誕生で、後者は生・老・病・死という人間の一生です。
無論、「」は人間にも動物にも植物にも、あらゆる生き物に宿っています。

という言葉から、自分自身や家族のこと、身近な動物や草花のこと、毎日の食事のこと、
野山や海や川といった大自然のこと、地球のこと、そして宇宙の命にまで、様々なことに思いが及びます。

そのような思いや疑問は際限もなく尽きませんが、人間として生きていこうとする時、
そのような根源的な問いをするのは自然なプロセスです。
人間、その経験や苦闘によって自ずと成長していきます。
そして心の中に生じた疑問に自分なりに回答を求めて与えることを通して、
私たちの力をはるかに超えたものへの畏敬の念や、絶対的、
神秘的なものの存在に気づかされていくことでしょう。

そして自分の存在を確認して安心(あんじん)を得る
と同時に生かされていることへの感謝の念が生まれ、
同時に同じ命を持った者として他者への思いやりの念も生じてくるのではないでしょうか。

さて、「命は誰のものですか?」と質問されますと、
皆さんは大抵「勿論自分のものです」と答えます。
ちょっと待ってください。
人は独りで生きられないのと同じく、人は自分の意志によって独りで生まれたわけではありません。

誕生日だって自分が決めたことではなくて、後から教えられたことです。
では、もし運悪く交通事故にあって、ケガをしてしまったとしましょう。
その連絡を聞いて真っ先に心配するのは両親や家族ではないでしょうか。
無事でありますようにと必死に祈るに違いありません。

命というものは、慈しもうとする、育もうとする、愛そうとするすべての人のものであると考える時、
自分だけの生命であるとは決して言えないのです。
私たちは、命を考える時、自分自身の心身だけに留まらず、
自分の家族や地域社会、ひいては世界中と繋がっているということを意識しましょう。

水、空気、食べ物といった周囲の環境と関わりながら生きていること、
詰り自分以外のあらゆる物と関係があって始めて自分自身が生きている、生かされていることに
気付かなければなりません。

また、生命は自分自身で作ったものではありません、頂いたものです。
お金で買えるものでもありません。
同じものをつくることもできませんし、全く同じものが存在するわけもありません。
個々の生命は唯一無二のものであり、かけがえのないものなのです。

「人身受けがたし、今すでに受く」と
『三帰依文』(さんきえもん)にありますが、
私たちが「気がついたらこの世の人になっていました」という曖昧な事後認識ではなく、
この世の人となること自体が非常に困難で有り難いということを自覚すれば、
受けた生命を精一杯全うして人生を送ろうと考えるはずです。

人間には死ぬことと同じように、避けられないことがある。それは生きることだ。」
これはチャップリンの映画『ライムライト』での台詞です。

人は生まれていつかは死ぬ運命にありますが、しかし、今を生きなければなりません。
「何のために生きるのか、何のために生かされているのか」を自問し、
生きる意味を追求するということは、自分なりの人生目標や目的を定めるということでしょう。

伝教大師は『顕戒論』(ケンカイ)という書物において、「どんな人間でも12年を経れば必ず一験を得る」と
申されています。
験とは仏道修行によって現われた効験のことで、誰でも12年間一つのことをやり通せば、
必ず立派な結果を生む行いが出来る人になるという意味です。
12年と言いますとやはり継続と忍耐が必要ですが結果自ずと成長し目標に近づくことができます。
人生において「一験あり」という人間になれるよう
積極的に生きて、生き抜いて、自分の人生を充実させる、生を全うする、

詰り、生ききる命、死にきる命、即ち、生ききってこそ、死にきってこそ人生です。
いずれにせよ、単に人間の身体とその死という「命」ということだけでなく、
精神的かつ社会的なことも含めた多面的で総合的な存在である人間としての
「命」を考える必要があるでしょう。
さらに、高度な科学文明の恩恵に預かり、何かと忙しい現代社会にあって、
私達を取り巻く環境が大きく変わったことで逆に人間の心身をおびやかす度合いが
強まっていると言えないでしょうか。
だからこそ、一人ひとりが常に命について考え、学びあい、教えあい、意識することが
大事になってくると思います。

例えば、家族や友人あるいは動植物の死と
言った死別体験、赤ちゃんの誕生と言った身近な生命の誕生。
友との楽しい遊び体験や人生トラブル・挫折。恋愛や失恋。難問や目標をクリアした時の達成感。
未知の文化との触合い。
小説や映画、音楽・芸術での感動体験など、これらは人それぞれの日々の経験ですが、
日常生活でのささいな出来事も、すべて「命の体験」に通じます。
そして生きることを喜び、自他の命の尊さを感じ取れる人になるのだと思います。


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