接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  利他心と仏教の教え

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
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四苦八苦」&「八正道

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

四苦八苦8正道

おもてなしや接客業に必要とされる人として大切な心や思いやりや利他心を学ぶ過程に於いて
仏教、儒教やキリストの素晴らしい教えに触れなければなりません。
以下の「四苦八苦」や「八正道」も、人として大切で必要な学びだと解します。
私は、利他心を学んだ頃より、八正道の中で特に正語」「正行に心掛けるようにしております。


※以下、「仏教の教え」と「天台宗一隅を照らそう」より一部引用
とても苦労した時や苦悩した時に「四苦八苦」すると表現します。
人間のあらゆる悩みのことを指して「四苦八苦」≒仮説108の煩悩(4×9≒36)+(8×9=72)といいますが、
では具体的に四苦八苦とはどのようなことをいうのでしょうか?

人生の苦の内容を紐解いてみると、
一寸先がどうなるかわからないという未来への不安の苦しみがあり、
それから万事自分の思うようにならないという不満の悩みがあります。
この二つが合わさって「苦」の原因になっているのです。
そして、この二つとも自分が中心にあります。
「苦」というものをどこまでも自分の問題として考え、
「苦」の本質を四つに分けて説明していました。
詰り、
・欲望に基づく「苦」
・無知に基づく「苦」
・人間存在そのものに根ざす「苦」
・無常に基づく「苦」
の四つですが、この内「欲望」と「無知」から苦が生じるというのは解り易く、
人間は欲望が満たされないから苦を感じます。

また、そうした欲望が自分の内側に向けられると、
自己矛盾や自己否定を引き起こしますが、
どうしてそうなるのかが分からないから一層大きな苦を感じてしまうという訳です。
「四苦八苦」は、三つめの「人間存在そのものに根ざす苦」のことです。
この「四苦八苦」は仏教の根底となる教えです。

先の四つの苦、これは時間的な苦悩で以下の「生・老・病・死」をいいます。
(しょう)--生きるということは苦である
(ろう)--老いていくことは苦である
(びょう)--病にかかることは苦である
(し)--死ぬということは苦である
まず、この世に生まれて来たという苦しみがあります。
「生」とは「老・病・死」を統括したものだと言う考えです。
詰り、生まれて来たから、老いの苦しみがあり、
病の苦しみがあり、死の苦しみがあるということです。
生まれて来たこと自体が苦しみの始まりであると言う考え方です。
次の八苦ですが、これは八つの苦があると思っている人が多いようですがそうではありません。

最初の時間的の四つの苦に、空間的の
愛別離苦(あいべつりく) 愛するものと別れるのは苦である
怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎む者と会うのは苦である
求不得苦(ぐふとっく) 求めても得られないのは苦である
五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊とは色・受・想・行・識のこだわりの苦しみ。
の四苦を加えて八苦とするので、四苦の他に八苦があるのではありません。

まとめると苦とは、自分ではどうにもならないことを言います。
人間は、「必ず移り変わるもの」を「永久に不変のもの」と錯覚し執着します。
一時の喜びや、楽しみは、いつかは消え、必ず「苦しみ」が付き纏って来るものです。
酒や遊びで一時逃れをせず、確りと「現実」を見据えて
「苦」を正面から受け止めるようにすることです。
人間は、四苦八苦を経て成長するとの教えがあります。

釈尊は四苦八苦を含め「」を滅する方法として八つの正しい道「八正道」を解き明かしました。
これが、正見正思正語正行正命正精進正念正定の方法です。
これらすべての方法に「」の字がついていますが、
正しい」とは「真理に合った」・「調和のとれた」考えや見方、行動をさし、
小我「自分本意」にとらわれて、自分自身を過大評価し、
不平・不足・不満などの苦の種をつくらない大きな立場で物事を判断できる
人間となる事を示す道として解き明かしたものである。

また、ものの見方には現象に現れた差別の見方や前記した大きな立場からの
「平等だけの見方」のどちらに偏っても正しい見方とはいえないのです。
ここでなぜ「平等」の見方だけで正しくないのかという疑問が湧くかもしれませんが、
物の本質として現象に千差万別の差別の実相を現すには、
それなりの原因や条件があり理由があり無視する事はできないのです。
このように差別の見方にも偏(かたよ)らず、平等の見方にも偏らない、
両者を総合したとらえ方が本当の「正しい」見方や捉え方と言えます。

これを仏教では「中道」といいますが、これは一方に片寄らない、
ちょうど真ん中という意味ではなく、その時々の真理の条件・立場に合った
最善の方法の見方や考え方という事です。
この考え方や見方は法華経の「妙」を現すものです。

正見
自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。

正思
自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。
例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)
瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)
愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)
という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。

正語
恒に真理に合った言葉使いをする事。
社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)
両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)
綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。

正行
本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。
仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)
偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。

正命
衣食住その他の生活財を正しく求める事。
人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって
生計を立ててはいけないこと。

正精進
自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道に逸れたりしない事で、
捉われ過ぎ偏った精進は反って逆効果になる場合があります

正念
仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、
ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。

正定
心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。
腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
※上記の「八正道」の法門は、釈尊が人生苦というものに対する考え方や
その「苦」に対処する実践方法を解き明かされた大切な法門です。
深く心に刻んで頂きたいことです。

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