#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎) 【自利利他】の取組み

#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎)

人を心から想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは「おもてなし」の『心』です。
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ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s

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当ブログに御訪問戴き、誠に有り難うございます。

この心の礎に載せてある「人の心」や「対人関係」の記事は壮年に至るまで先々のことや人の心や思いを意識せず、
目の前の「楽」やその時の感情・我欲を自制出来ず、刹那に生きてしまった、と自省のキッカケとなった壮年後の
学びから気付かされた他人への「想像力や心に関わる心」の在り方、持ち方などを過去の実体験に照らして知った
知識や智慧など,御覧戴く皆様の今後の社会生活や仕事上で僅かでも役立てて頂けたらと考えて載せております。
ですから書いている私が記事内容の総てが出来るのではなく甘く見ても2~3割程度しか生かして使えません。
思いやりや礼節・感謝・誠実などの心に関する項目は「対人関係」上の参考資料として使って戴けると幸いです。

私的利用外の文章・写真のコピーや転載は御遠慮下さい。教材や営利を目的とした無断引用転載は禁止です。
尚使われる場合は記事の右横、Categoryの上にある「問合せMail」にてお名前・連絡先・目的をお知らせ下さい。

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「求める」と「与える」

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

求めよ・与えよ

「求めよ、さらば与えられん」

「与えよ、さらば与えられん」


この二つの言葉は、キリスト教に限らず仏教にも同様な内容の教えがあり、
宗教を度外視して修めておくべきことだと思います。

「求めよ、さらば与えられん」☞ 自利

新約聖書「マタイ伝」の一節から多くの人々に知られている言葉です。
『求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん』
言葉の持つ語彙は、物事を成就し、成果をあげるためには、
与えてもらったり何もせず待っていたりするのではなく、
自ら自発的に求める姿勢が大事だということです。
この言葉の意味は
「損得を抜きに純粋な心で他人に施せば、本人は気分が爽やかであるばかりか、
相手からも感謝される、物的見返りを期待しないこと」と言うことを表わしていると思います。

※【参考】デジタル大辞泉の解説.
「神に祈り求めなさい。そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」の意。
 転じて、物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、
 自ら進んで求める姿勢が大事だということです。
 自分は何を求めているのだろうか?
 求めて実際に行動しただろうか?
 得られるようにちゃんと努力しているだろうか?
 求めなければ、得られない物事が沢山あります。
 手を拱いて何もしないで得られるものは少ないですし、
 喩え、得られたとしても喜びは小さいのではないでしょうか。
 自分が心から求めているものを、努力してやっと手に入れた時の幸福感は大きいのです。


「与えよ、さらば与えられん」☞ 利他

この新約聖書の言葉を、先に何かを与えることは、廻り回って見返りの何かが後からやってくる、
と言う物質的な報酬の関係と捉え、解釈している人が多いようですが、
改めてこの言葉の語彙を私見も含め紐解いてみると、物的見返りを期待しない、
即ち、損得を抜きに純粋な心で他人に情けを施せば、その本人は気分が爽やかになり、
施した相手や周りの人々からも感謝されるといった精神的な報酬の関係を言い表していると解せます。
即ち、無償・無条件の奉仕(≒仏教の布施行で言う無財の七施)によって、
自己の内面や他者を通じて神や仏の祝福が与えられるという、
精神的な報酬の関係を言い表していると考えられます。

この二つの言葉を確りと心に刻み「継続こそ力なり」
の心で日々取組んで行くことが大切だと思います。  


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