接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  自分自身と「向き合う」・・・己を認める

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
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ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s

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自分の心を知り、認める

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

向き合う-自分を認める

人は皆、元来孤独で寂しがり屋ではないかと思います。
弱く脆い自分や格好の悪い自分自身を認めたくない、
そんな気持ちは自分と向き合う為に必要ありません。
今の自分自身の心と姿を素直に認めて下さい。
同時に、自らの当たり前の意識を見直すことを心掛けるようにすることも必要です。

その為に、先ずは、今の自分自身を客観的に見つめ、認めることから始めることです。
今現在の自分に、出来る事と出来ない事、強み、弱みなどを紙に書い出すこともその一つです。
例えば、人の思惑が気になる、緊張し易い、精神的に脆い、
いつも中途半端で継続出来ない、依存体質が強いなどと言ったことです。
そうする中で考えながら落ち込むかもしれませんが、自分の弱い部分を確認する事で、
気持ちを逸らしたくなることがあっても、諦めずに自分自身の本来の姿を理解し、認めてあげてください。

これらを繰り返し行うことで、自らの本質や価値を自分自身で評価出来るようになって行きます。
大切なのは、自分を客観視することが大切で、周りの人の否定的な意見を取り込まないことです。

負けず嫌いが強く、直き心で自分自身を認められない内は、
常に他人からどう見られるかとっいた思惑や人の目を意識して、
人に対し優位に立とうとすることばかりを中心に考えしまいます。
そこの意識を抜け出すことで、スムーズに自分自身の総てを認められるようになれます。

他人と一体感を持つことでしか、自分の存在を確認できず、
お買い物、食事をするのも、必ず誰かを誘い独りでいることが耐えられない、という人がいます。
そのような人は、休日に、家で独りだけで過ごすなど考えられず、
手当たり次第に友人達に連絡をし、誰に相手にも相手にされないと、
まるで自分だけが世の中から取り残されてしまった様な不安と焦りに苛まれます。

そして、そのような人は、人当たりがよく社交的に見えるのですが、
他人と対立することを避け心に様々な塵や埃が溜まっています。
他人に文句が言いたくても、中々それが言えず、作り笑顔や曖昧さでごまかしてしまう。
人に何かを頼まれれば、嫌なことでも他人の思惑が気になって断れない。
感受性豊かで、他人の感情を素早く読み取り、自分を押し殺して相手に合わせてしまう。

そのような人は、心が擦り切れる程他人に気遣ってでも、
独りぼっちになることを避けようとしているのです。
それだけに、自分を尊重してくれない人には、
激しい怒りや憤りを感じてしまいその人を避けるようになります。

また、友人にメールを送り、レスが貰えないと腹が立つ。
こういった人は
「自分を認めてくれているか」「他人が自分を見捨てようとしていないか」を
常に意識し、警戒して怯えている場合が多いようです。

他人との関わりを大切にし、多くの人と触合うということは人として大切なことです。
しかし、そういった行為が付き合いを楽しんでいる訳ではなく、
利己的な「独りぼっちになるのが怖い」という強迫的な考えに
動かされているのだとすれば、やはり問題です。

「総ての人から好かれたい」
「他人から常に良い人だと思ってもらい、好かれなければならない」と
考えている人は、誰とも深く付き合うことはできないのです。

「他人と一緒にいなければ不安で仕方がない」と
いう人は自分と向き合うことから逃避しています。

例えば、自分は、
・本当に幸せなのだろうか?
・有意義な人生を送っているだろうか?
・人として、自分に与えられた役目・役割を果たしているだろうか?
・他人の役に立ち、周りの人に信頼されているだろうか?
・目標や信念を持って生活しているだろうか?

そう自分に問いかけても、適切な答えが見つからず、焦り落ち込んでしまい、
その無力感、劣等感を埋め合わせるために、
必死で周り人々から認められようとしてもがき苦しみます。

逆に、他人との関わりを一切絶って、自分の殻に閉じこもってしまう人も居るようです。
やはりそういう人も、他人を総て敵と見なし、
「傷つけられるのが怖い」という強迫的な考えに縛られています。

常に他人と一緒にいなければ不安で仕方がないと言う人は、
「他人とも自分自身とも真剣に向き合うことを避けている」という点に於いて、
他人を拒絶している人と根本的に同じなのです。

また、他人に依存してばかりいる人も、他人を全く拒絶してしまう行為も、
正常な人間関係の活動とは言えません。

他人と触れ合う時間も大切ですし、静かに内に向かう時間も同じ位に大切なのです。
人は、他人と触れ合うことで、人に生かされ支えられている有難味が理解出来ますし、
孤独に自分自身と向き合うことで、自らの気持ちや現況を整理できます。

人間の心は、言わば「糠床」のようなもので、
「状態を観察」し、「頃合いを見て時々かき混ぜること」と、
時間をかけて「熟成させること」が必要です。

どこまで他人を頼り、どこまで自分の力で生きるべきなのか。
どこまで他人に譲り、どこまでアピールや自己主張をすべきなのか。

そういったことは、その人の性格によっても違うでしょうし、時と場合にも依るでしょう。

問題は、それが正しく積極的な意欲に基づくものなのか、
強迫的な不安や不信に依るものなのか、ということだと考えます。

孤独は淋しいし成りたくない。しかし、他人と関り余計に気遣うのも嫌だし、傷つくのも怖い。
このような気持ちや強迫観念に縛られている人の多くは
「出来るだけ、楽をし、ダメージを避けよう」ということだけにしか考えが及んでいません。
ダメージを受けずに済んだとしても、それはプラスではなく、ゼロに過ぎません。
自らのマイナスを避けることに終始するだけの人生に喜びや幸福感はありません。

喩え他人と意見やが思いが衝突することがあっても、
本気で真剣に自らの本音をぶつけ合ってこそ、人は互いに理解し合えるのです。
そして、孤独と向き合い己を認めてこそ、確りとした自分自身が持てるのです。
時に大きなプラスを手に入れるために、敢えて小さなマイナスを受け入れることも必要です。

他人の意見は、参考にするのは良いことですが、
その意見に振り回されてはいけません。

人は、いつでも周りの人々から愛され続けることは不可能です。
そして、総ての人から愛されている人はいません。

他人から認められることは、確かに素晴らしいことですが、
それは人生や心の「糧」や「励み」になっても、
「目標」や「目的」であってはならないのです。

独りでいる時、孤独の不安に襲われたなら、こう自分に言い聞かせてください。
「私は独りではない。目を閉じれば、親しい友人や家族の顔が思い浮かぶじゃないか」

何か行動する時、他人の思惑を意識し、顔色を窺ってしまう人は、こう自分に問いかけて下さい。
「自分は、若し誰かに見られていなくても、同じ行動や態度をとるだろうか」

独りでいる時は他人と一緒に居るように、他人といる時は独りで居るように行動すれば、
精神のバランスがうまく取れるようになると思います。

認め、認められると言う人の心と活動ために、
「自分自身と向き合う」時間を作ることは素晴らしい明日のあなたを創り出します。

時に、自分自身への【思いやり】は大切であり、必要です。


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