接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  『正しい』と「当たり前」

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正しい』と「当たり前」の内なる基準

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

正しい当たり前1

現在の民主主義の社会制度は、人によって『正しい』と思うことは異なるというのを大前提にして作られています。
古から正しいと決られている物事や全員が正しいとされていることが『正しい』のであり、
自分自身の当たり前の基準の元に「自分が決めたから正しい」「自分が正しいと思うから正しい」
という利己的な理屈は、「自分は全員である」ということになり、社会通念上では有り得ないと思います。

このように社会通念の「正しい」と自分自身の「当たり前」とは共通する処と相反する処があります。
それは正しい基準と当たり前の基準が人夫々異なることから生じます。
例えば、人生経験の浅い若者の正しいと当たり前基準と年長者の持つ基準が違うと言うことです。

人は、得てして自分の「当たり前」を基準に、心や物事を思考しがちです。
正しいと判断する時は、自分の当たり前と社会通念の当たり前を
比べながらその判断材料としなければなりません。

特に学びや修行の場に於いては、己の当たり前を意識から取り去り、
教わる方の話や内容を一度謙虚に受け入れる必要があります。
そして、不要な物を見付け出し必要と思われるものを精査し、自らの血肉にしなくてはなりません。

物事が正しいのか、筋が通っているか、即ち道理に適っているかどうかを判断するには、
自分の持つ「当たり前」を一度金繰り捨て、論理的に矛盾がないかということだけでなく、
それが人として取るべき道に照らし合わせて、不都合がないかという確認が必要です。

即ち、原理原則に基づいて常に判断し、行動しなければならないと言うことです。
原理原則に基づくということは、人間社会の道徳、倫理といわれるものを基準として、
人間として正しいものを正しいままに貫いて行くと言うことです。
人間としての道理に基づいた判断であれば、時間や空間を超えて、
どのような状況に於いても相手や社会に受け入れられるのです。

いつの時代でも言われることですが、
「今の若者は・・・」とか「時代が変わって感覚が変化したから」と言われます。
また、年齢差などによって感性が大きく変化し、
以前『正しい』と思っていた人として成すべきことを
「押し付けがましい」、「今の時代に合わない」と言われることも間々あります。
言い換えるなら『正しい』という判断基準も、時代の進化と共に大きく様変わりしていると
言うことの表れだとも考えられます。

しかし、本当にそれで良いのでしょうか?
どんなに時代が移り変わろうとも『人の心』は不変だと考えます。
日本国内では、震災後、「自分の為より、誰かの為に」といった利他の心、
人との繋がり方、婚活や様々な省エネへの取組などにも表れているように、
『正しい』(≒当たり前)と思っている心の持ち方や判断基準に様々な変化が見られます。
このことは、人の心の原点に立ち返ることに人々が気付き、
今迄は「正しい」(≒当たり前)と考えていたことを見直した証でもあります。

そこで、温故知新の心を以って改めてこの「正しい」について
古より日本にある仏教の教えから考えてみたいと思います。

お釈迦様が最初の説法の時に八種の実践徳目(正しい道)を解き明かしました。
それは以下に記した八正道(ハッショウドウ)と言われ、
正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定の方法を示したものです。

1)正見=正しい見解・正しい見方をすることです。
2)正思=正しい思惟であり、正しく考え正しい心構えを保つことです。
※思惟(シイ):考えること。思考。
3)正語=正しき言葉を使うことです。
4)正業=正しき行為です。
5)正命=正しき生活です。
6)正精進(正勤)=正しき努力と勇気です。
7)正念=正しき憶念(オクネン)です。
※憶念:深く思い、絶えず忘れないこと。また、その思い、執念。
8)正定=正しき禅定であり、静慮にして精神を統一することです。

この八正道は、古より日本に伝わっていて現在の社会環境でも相通じる仏教の教えです。
この教えは、人としての意識や物事・事象の『正しい』を理解認識する為にも学び知り、
身に着ける必要があると考えます。

また、このことは正しい判断力を育む上でも無くてはならない【心の体力】に結びつくと考えます。
物事や事象、人の態度、意識などを「正しい」と考える判断基準は、
社会で存在する定められた様々なルールや法律(規律)以外のことについては、
人夫々により差が生じ、異なるということを予め弁えておく必要があると思います。

あくまでも私見ですが、それは個々人が持つ、道理に適っているかの是非、
物事の原理原則の認識の有無、夫々の人の育ち、生活環境の経緯、経験・体験の大小、
年齢、立場(社会・生活上)、教養(学歴含)、精神状態、モラルの基準、
心の成長度合などと言ったものが基となると考えます。

例えば、正しい判断をせず間違った判断をした時などは、状況を見る視野が狭いか、
偏った見方をしている場合が多く、物事の見方が公平さに欠ける場合が多くあります。

そのような時は、主観的にならず客観的視点に立って「公平に判断する」ことです。
即ち主観を捨てて現実を直視し、公平に物事を判断することにより「正しい」が導かれると言うことです

◆正しい判断は
1. 原理原則を弁え、正論を導き出せる
2. 利他、公平、公正、誠実、正義、勇気、努力、博愛と言ったことを表現、認識出来る
3. 論理を優先し、感情論を捨て決める、強い意志力を備え持つ
4. 正確な状況判断と分析が出来る
5. 適正な判断のタイミング(ТPО)の認識する


※自分はいつも判断を間違えてしまうと言う人は、謙虚に自らの持つ「当たり前」の弱い判断力では、
生きる上ためばかりか仕事に必要とされる判断が充分に出来ないと自覚して
「正しく判断が出来る人に助けを求めサポートして貰う」と言う自らの気付きも大切です。


※【正しい】三省堂 大辞林より
物事のあるべき姿を考え、それに合致している様をいう。
(1)道徳・倫理・法律などに適っている。よこしまでない。道理に適っている
(2)真理・事実に合致している。誤りがない。
(3)標準・規準・規範・儀礼などに合致している。
(4)筋道が通っている。筋がはっきり辿れる。
(5)最も目的に適ったやり方である。一番効果のある方法である。
(6)ゆがんだり乱れたりしていない。恰好がきちんと整っている。


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