接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  和の心「礼」

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
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と奥ゆかしさ

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

礼に始まり

人の想いは、心で思っているだけでは、伝わらないことがあります。
どんなに心で思っていても、実際に言葉に出したり、行動に移したり、
態度で表さないと、その相手に伝わらないことがあります。

このような相手を思いやる気持ちは、
その時の相手の器や感情を推し量り、察知し、その相手に合わせて伝え方で、
相手が受け取り易いような言葉や態度をしてこそ初めてその人に伝わるものです

その大切な想いは、奥ゆかしく、丁寧に、繰り返されることで洗練されます。
そして、余計なものは削ぎ落とされ、大事なことだけが選ばれます。

ある日本を研究している海外の方が
奥ゆかしさとは、もっとも無駄のない立居振舞である
と言ったそうです。
まさしく思いやりの心は、奥ゆかしい形「」に表われてこそ、伝わるのだと思います。

この「奥ゆかしさ」の語彙は、
慎み上品で深みがあり、心が引かれる。または、その度合い。
深い心づかいが見えて、何となく慕わしい。
深い思慮があるように見える。
と辞書にあります。

語源は、「奥ゆかし」で、「ゆかし」は「行かし」即ち、心が引かれる意。
元々古典語には「ゆかし」という言葉がある。
人の心中や物語の先行きが見たい、知りたい。と言う語彙。
動詞の「行く」からできた形容詞「行かし」が語源で
見たい、知りたいと言う気持ちを「行きたい」と言い表す。

また、新渡戸稲造氏の書かれた【武士道】に、人と共に喜び、共に泣けるか。
」とは他人に対する思いやりを表現すること、とも記されてあります。

の定義

 「」について、先達の偉人や賢人たちが、以下のように著しています。
 [以下、学びのメモより引用]

・江戸中期の儒学者太宰春台は、
「仁は目で見え難いが、義は行動となり、礼は形となって表れ目に見える。
 従って、礼を厳しく躾ければ、その過程でなぜそうすべきか解り、
 悪い心を持った人間でもその行儀作法と共に心も自ずから正しくなっていく」

新渡戸稲造は、その著『武士道』で、
「礼は寛容にして慈悲あり、礼は妬まず、礼は誇らず、驕らず、
 非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を思わず」
「優雅な感受性として表れる礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、
 他人の感情に対する優しい気持ちによって物事を行うので、
 いつも優雅な感受性として表れる。」
「奥ゆかしさとはもっとも無駄のない立居振る舞いである。」
「あらゆる礼法の目的は精神を淘汰することである。」

福沢諭吉はその著『文明論之概略』で、
「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云うなり、
 衣食を豊かにして人品を貴くするを云うなり」
「文明とは人の安楽と品位との進歩を云うなり。
 又この人の安楽と品位とを得せしむるものは人の智徳なるが故に、
 文明とは結局、人の知徳の進歩と云ってもよいであろう」

・戦国時代の奥州戦国大名伊達正宗は、
「度を過ぎた礼はもはやまやかしである」

・小笠原流宗家、小笠原清務は、
「礼道の要は心を練るにあり。
 礼を以て端座すれば兇人剣を取りて向ふとも、害を加ふること能はず」

・中国の春秋時代における斉の政治家、管仲は、
「衣食足りて礼節を知る」


古より、夫々の賢人がこのような定義や著しておられます。


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