#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎) 日本人の心「義」を紐解く

#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎)

人を心から想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは「おもてなし」の『心』です。
20178-1.jpg


クローバ横

当ブログ&Humane-Project「礎」の御案内横

コンセプト おもてなし講座s

ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s

※各文字をクリックして戴くと内容が御覧になれます。
クローバ横
金色3線

当ブログに御訪問戴き、誠に有り難うございます。

この心の礎に載せてある「人の心」や「対人関係」の記事は壮年に至るまで先々のことや人の心や思いを意識せず、
目の前の「楽」やその時の感情・我欲を自制出来ず、刹那に生きてしまった、と自省のキッカケとなった壮年後の
学びから気付かされた他人への「想像力や心に関わる心」の在り方、持ち方などを過去の実体験に照らして知った
知識や智慧など,御覧戴く皆様の今後の社会生活や仕事上で僅かでも役立てて頂けたらと考えて載せております。
ですから書いている私が記事内容の総てが出来るのではなく甘く見ても2~3割程度しか生かして使えません。
思いやりや礼節・感謝・誠実などの心に関する項目は「対人関係」上の参考資料として使って戴けると幸いです。

私的利用外の文章・写真のコピーや転載は御遠慮下さい。教材や営利を目的とした無断引用転載は禁止です。
尚使われる場合は記事の右横、Categoryの上にある「問合せMail」にてお名前・連絡先・目的をお知らせ下さい。

金色3線

人間関係力の礎「

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

折り鶴s日本人の心「義」

今の社会は、表面上のテクニックや形に捉われ人間力の礎であり、
一人の人として相手を認める「思いやり」でもあり、
信頼の源である「」の心が乏しくなっているように思えます。

例えば、「御世話になったことに感謝し、決して忘れません。」
「何らかの機会にお食事でも、と思っています。」
「頂いた御恩決して忘れません。」
などとその場凌ぎの調子の良いこと言っていても、
いつになっても何の挨拶や形を示さない、
などと言った体験をされたことがありませんか?

本当に心にそういった気持ちを抱いている人は、何も言わなくても、
日本人、一人の社会人としても大切な「≒恩」を忘れず、
何らかの心を表す態度、或いは物や形としてキチンと相手に現し、伝えます。
その人達の心に息づいているのは、支え、生かされている方への
人としての「≒義理」の精神と、それを表す「感謝の心」です。
この心は、日本人が決して忘れてはならない日本人の心の礎を築くものであると思います。
そして、それは人としての親交を深め、人や会社の信頼の原点でもあります。

但し、この「義」の精神は、無理に相手に【押し付ける】ことではありません。
そこで、この「義」について記してみます。

義務】特定の個別的な行為や一般的な行為を行うべきであるとして人に課し、
     人を拘束する、習俗、法律、特に道徳の規範をいう。即ち従うべきとされること。

道義】人の踏み行うべき正しい道。道理。

恩義】報いなければならない、義理のある恩。
     真田幸村の名言に「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べる。」とあります。

道理】物事がそうあるべき筋道。理。訳。

義理】義(正義)と理(筋道)に由来し、その意味は文字通り「正義の道理」。

自分が不義理をされたからと言って、自分が不義理をして良いという事はありません。
人としての道を歩むなら、如何なる時も自分だけは義理を欠いてはなりません。
『義』には、打算や損得のない人の道であると共に、正義を指し正しい行いを守り、
人として正しい道という意味もあります。

孔子は『論語』の中で著した、
「義を見てせざるは、勇なきなり」との言葉は有名です。
※人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは勇気がない。

また、孟子は、羞悪の心が義の端であると説いた。
※羞悪の心とは、悪を羞(ハ)じる心のこと。
そして、「仁は人の心であり、義は人の道である。
その人の道を捨てて顧みず、その心を見失って
探そうとしないのはなんとも悲しむべきことか。
人は鶏や犬を見失っても探し出す方法を知っている。
しかし、心を失えばその探し方が判らないのだ。」と説いています。

日本では、新渡戸稲造が、武士道の基本は「義を貫くフェア・プレイ」の精神と言い、
江戸時代後期の経世論家・林子平が、
「道理に従いためらうことなく決断する力」と定義とし、
「死すべき場合に死し、討つべき場合に討つ」決断力を『義』とした。

人として、どれだけ不条理なことがあったりされたりしたとても
それは自らの襟を正すチャンスであると受け止めるように努めたものです。
また、人様の短所や悪い処を見て、自らを省み、改めるきっかけになることもあります。

古より、お天道さまが必ず見ているといわれていますが、
人は誠心誠意の態度と気持ち、常に人として正しい道を歩もうと
心掛けていれば必ず何らかの形で、自他に報われると思います。

詰り、それは自らの心に恥じないず、気持ちを偽らないことであり
他人も必ず見ている、なによりも自分が見ている事であります。

人に後ろ指を指されながら豊かな生活を送ることが幸せなのか?
それとも貧しいながらも、一切の恥ずべきことが無く胸を張って生きて行くのか?
どちらが人として幸せなことなのでしょう。

私見ながら、上記した「義の心」には、その答えがあると思われます。

    ブログパーツ
    関連記事
    スポンサーサイト
     

    コメント
    この記事へのコメント
    コメントを投稿する
    URL:
    Comment:
    Pass:
    秘密: 管理者にだけ表示を許可する
     
    トラックバック
    この記事のトラックバックURL
    http://projectishizue.blog60.fc2.com/tb.php/2424-d8b50612
    この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
    この記事へのトラックバック