#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎) 日本人の心「義」&「和」の心「言霊」

#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎)

人を心から想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは「おもてなし」の『心』です。
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ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s

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当ブログに御訪問戴き、誠に有り難うございます。

この心の礎に載せてある「人の心」や「対人関係」の記事は壮年に至るまで先々のことや人の心や思いを意識せず、
目の前の「楽」やその時の感情・我欲を自制出来ず、刹那に生きてしまった、と自省のキッカケとなった壮年後の
学びから気付かされた他人への「想像力や心に関わる心」の在り方、持ち方などを過去の実体験に照らして知った
知識や智慧など,御覧戴く皆様の今後の社会生活や仕事上で僅かでも役立てて頂けたらと考えて載せております。
ですから書いている私が記事内容の総てが出来るのではなく甘く見ても2~3割程度しか生かして使えません。
思いやりや礼節・感謝・誠実などの心に関する項目は「対人関係」上の参考資料として使って戴けると幸いです。

私的利用外の文章・写真のコピーや転載は御遠慮下さい。教材や営利を目的とした無断引用転載は禁止です。
尚使われる場合は記事の右横、Categoryの上にある「問合せMail」にてお名前・連絡先・目的をお知らせ下さい。

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「義」&「和」の実践

お薦め度【★★★☆☆】全業種、業態用

日本義と和

日本人の心と古からいわれる「義」は、とても重みがある言葉で、
その心は打算や損得のない人としての「正しい筋道」即ち「正義」を表わしています。

人は、自己顕示や我欲ばかりを追求していると利己的な生き方に陥ってしまいます。
それは人と人の競争や対立を生み、組織と組織の争い、国と国の戦いをも生み出します。
また、現代を生きる私達にとって重要な課題となっている少子高齢化、環境問題や
食糧・エネルギーなどの問題も、利己的な生き方のままでは解決できません。
これに歯止めをかけるのが、私達の日本人の心にある「和の心」や「利他心」、
モラル(倫理観)であり、そしてそれを「筋」を通し、実践することこそが“義”であると思います。

同時に、他者を「思いやる心」、「筋を通し人を立てる」の心で、
「和を以って尊しと成す」の精神である人と人との繋がりを強めて行かなければなりません。

今までに、自分の欲や他者の力に負け、落ち込み、騙され、裏切られた体験があります。
現代社会は、弱者が更に追い詰められ、自ら命を絶つ人もいます。
こんな世の中だからこそ、日本の心である「和」と「義」の精神が必要だと思います。
厳しい少子高齢化社会に入った今、「和を以って尊しと成す」の日本の心の元、
私達は「義」の精神を備え、人をサポートし、人を育て、未来に希望を持って生きなければなりません。

ひとりでも多くの人がこの「和」と「義」の心を備え、
人を思いやり、権力や利害関係などに屈することなく、
正しいと信じることに迷わず突き進む「謙信」や「兼続」の堂々とした
生き方が出来る社会にして行かなければならないと思います。
「和を以って尊しと成す」の精神である人と人との繋がりを強めて行かなければなりません。

〇「自分の発した言葉に責任を持つ」不信、いじめや引きこもり要因や起因となると考えられることの一つに

“義”をなす「自分の発した、言葉の重さを弁え、責任を持つ。」ことがあります。
その一例として、経営者や人を管理指導する立場の方からよく聞かれる会話に
「時間を作って、こちらから連絡します」と言う言葉があります。
今迄の様々な人と触合いの体験から、このような仕事や他人に真面目に取組む人程、
この言葉を真摯に受け止め、期待感を抱き連絡を待っていると思われます。
しかし、いつまで経ってもその言葉が実際にされないと、
発した人へ不安や不信感を持つ誘因にもなります。
若し、何らかの事情で伝えるために時間を要する場合は、
不安を与えないためにも適時適切な連絡をすることも心掛けることだと思います。

また、この言葉には、捉え方が二、三あると考えられます。
一つ目は、伝えた相手を認めていることと共に、
それを聞いた相手の何らかの期待感を生み出しことを自覚している場合であり、
二つ目は人としての“義”に自ら反し、相手から自分を守るための保身や
其の場凌ぎの意などであると考えられます。
また、自分の保身や其の場凌ぎの場合は相手への距離を置きたいと言う
意思の現れなどの場合が多いようです。
何れにしろ、人との触合いに於いて、喩え相手が自分の意にそぐわない人物であっても
「自分の発した、言葉の重さを弁え、責任を持つ。」こと、
善し悪しに関わらず自分の意思をキチンと相手に伝えることは、
社会人としても人としても大切ではないでしょうか。
その結果、相手が離れたり、縁が切れたりしてもよし、と捉えることも必要だと思います。

日本では、子供の頃から“義”と“礼”表すこととして
「自分の言うことに責任を持ちなさい」
「何かして貰ったら、ありがとうと言うのです」
「間違ったことをしたら、ご免なさいと謝りなさい」
などと親から教えられます。
しかし、大人になるとその大切な教えを自尊心や忙しさ、
利害関係や好き嫌いなどで実際に行わなくなることも多いようです。
そして、そこには人間の欲とも言える当たり前に「見返りを期待する」心が存在します。
純な心を持ち、このような見返りを期待せず、
私心の無い「認める」「感謝」「情けや施し」などの活動に心掛けたいものです。

〇“義”とは
現代に生きる私達にとって“義”とは、どんな行動でしょうか?
貴方にとって“義”とは、どんな行動、どんな生き方なのでしょう?
「義」と言えば、戦国武将「上杉謙信」「直江兼続」が思い浮かびます。
謙信は、家臣の直江兼続に『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』と話しことは知られています。
過去、日本では、弱者を平気で切り捨てて
「勝ち組」とか「負け組」だとか騒ぎ立てた時代もありました。
「人」の文字の心を忘れ、人が人を「勝った」「負けた」などと平気で言え、
自分だけが満足し、幸せでいいなんて言う社会は何処か違和感を覚えます。
勝ち負けに関わらず、人を思いやる心、正しいことをして堂々と胸を張って生きる、
それこそが本当の勝者、幸福者だと思います。
このような生き方をしてこそ、人は生きている幸せを感じることができると信じます。


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