接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  おもてなしの礎「思いやり」

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
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 ホスピタリティ&日本の『】の「おもてなし

 お薦め度【★★★★】全業種、業態用

 和洋おもてなしの「心」

 現在、世界中の多くの人々が知っている「おもてなし」は、【お持て成し】と書き、
 動詞『もてなす』の連用形名詞『もてなし』に美化語(丁寧語)の接頭辞『お』が付いた言葉です。
 現在は「お客様を歓待すること。お客様の世話をすること。」
 などを意味することで多くの人々使っています。

 この「おもてなし」の心の底に流れているのは、儒教の「仁」、
 西洋のキリスト教の「慈愛」とも言えるホスピタリティの言語
 「ホスピス(旅人への御世話)」の人としての心、
 古より日本の伝統として受け継がれている「を以ってと尊しとなす」にある
 日本人の心とも言える人とのを重んじる調です。

 それは、客人や他者に敬意を払い、温かく待遇する「心」、即ち相手を「思いやる心」です。
 世界中の総ての人間に存在するのが、この「思いやり」の心です。
 
 同時に、この二つのおもてなしに必要なことは「商品」でなく、提供する「人の心」です。
 儒教で説かれている「仁」は人を思いやる心のこと言うとは多く知られていても、
 その「思いやる心」は、一体どんな心やことを指すのか、
 どんな語彙や具体例があるのか迄は意外と知られていません。

 そのような知識や原義、原点を自らの心に落とし込むことで、
 人のこともより深く理解出来るようになると言うことも体験から認識出来ました。
 その心は、現在のような情報過多の社会だからこそ、
ひとり一人の生きるための知恵として役立つと確信致しました。

 このおもてなしとその心を修めるには、総ての人間関係力の原点である「仁」、
 即ち、先ず人を思う「利他」の【思いやる心】、を学び知り、生き方に生かすことです。
 この心を理解し、身に着けることは結果として自らの成長にも繋がります。
 その「おもてなしの心」は、人と触合う仕事だけでなく様々な日常生活にも役立ちます。
 言うまでもなく「人」の文字の如く、人は人に支えられています。
 同様に、「人の心」も「人の心」に支えられているのです。
 では【思いやる心】はどんなことで、その活動はどんなことを言うのでしょうか?
 
日本独自のの「お持て成し」

 私たちの住む日本には、「四季」と言われる春夏秋冬があり、独自の「伝統文化」があります。
 また、世界的に見ても珍しい、日本人独自の地味を愛するシンプルで自然な姿を表わす「侘び寂びの心」、
 相手を敬い尊び、自らが遜り、相手への思いやる心を表面に出さず、
 大切な人や客人に、自らの心に問いかけて思いつく限りの礼を尽くし、あくまでも丁寧さを以って応対する。
 などと言った、国民性によって培われたのが、「日本のおもてなし」の特質であると解します。

 また、何気なさやさり気なさと言った自然な立ち振る舞いで、触合う相手に
 余計な心配や気遣いをさせない心配りをする、と言った面も「日本のおもてなし」の特長です。
 それは、自然を愛し、自然な姿を求める有りの侭の心であるとも言えます。

 前記の「侘び寂び」と言われる、今命の在ることに感謝し、時の移ろいを肌で感じる取る姿勢、
 偽りや虚飾を全て捨て去り、そこに残る清楚な美しさです。
 即ち「侘び」とは、静寂さや、質素さの持つ美しさであり、
 「寂び」とは、枯れた古さの持つ、美しさでどちらにも共通するのは
 「美」(不完全美)がそこに存在すると言うことです。

 このようなことを総てまとめたことばとして、
 「和敬清寂」の四文字熟語に表されております。
 これは、日本独自の感覚のスマートさとクールさであり、欧米の感覚とは違う美観です。

 茶道などで言われる「侘び寂びを極める」とは、
 詰り「慎ましさの美」を自らが知得すること、
 言い換えるならば、知足(足りるを知る)と言うことです。

 また、味覚の基本の甘み、辛味、酸味、苦味に加えて、日本人は「旨味」を重んじます。
 その味の旨味である本質を実際に知らないと、決して本来の味が解らないという意味では、
 「侘び寂び」は、概念でなく感性であると言えると思われます。
 その心は、自らが求め知るものではなく、自然に感じ、覚え身に付いて行くものです。

 この「侘び寂び」を感じる取る対象は、大地の恵みとされる自然の情景と人工の物があります。
 それを成立する条件は、以下のようなことが挙げられます。

 ・「死」や「老い」をも美の一つと考え、儚さ、悲しさ、寂しさを含む。
 ・時に機能美であり、また古さを含む場合もある。
 ・その物自体が簡素ではあるが、気品や風情と言われる趣がある。

 日本のおもてなしがHospitalityや儒教と異なるのは、以下のような行動様式です。
 「日本のおもてなし」は、その「心」を建物や庭、家具、食器、インテリア、飲物・料理、
 接客する人の立ち居振る舞い、芸者による音楽、踊りなど、全てに表現されているのです。
 四季折々に合わせた風情を巧みに織り込み、
 「主客一体」の心で客人や相手に接し、様々な「しつらえ」と言われる、
 自然に何気なく飾られているお花、花瓶、掛け軸、お香に至るまで
 日本の伝統文化の粋が込められているのです。
 このような日本のおもてなしは、他国の影響を受け創り上げられたのではないと解します。

 日本のおもてなしの代表的な茶道は、
 一節に、神社にお参りする旅人へお茶を振る舞ったことに由来するとも言われています。
 この客人などを「持て成す」際、表の「モノ」と言われる目に映る形のあるリアルな物、
 「コト」と言われる、裏の目に見えないバーチャルな心を持って成します。
 このことから「表無し」「表裏なし」とも言われます。

 即ち【モノを持て、コト成す】と言うことです。
 「魂を持って、物を成す」と言うように、この「モノ」と「コト」を、前後入れ替えて使われる場合も多々あります。

 具体的には、ただ物を売るだけのみでなく、お客様にお買い求め頂いた物の楽しみ方も、
 同時お伝えするのがホスピタリティの「おもてなし」や日本の和の「おもてなし」なのです。

 詰り、和とホスピタリティ(洋)の「おもてなし」は、人の心に依存することから生まれると言うことです。

 

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