接客マナーは心の礎 (おもてなしの心)  良好な対人関係の源 『仁』と『礼』

接客マナーは心の礎 (おもてなしの心) 

人を想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは人との「和」「おもてなし」の『心』です。
2017新タイトル

ハート無題1s #思いやり ってどんなこと? ハート無題1s

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」を以って「」を成す

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

仁礼和紙

人間の心には、煩悩と言われる人の心を迷わせ悩ませ、
苦しみの原因となる貪、瞋、癡、慢、疑、悪見などがあります。
例えば、
いい人と思われ「たい」、
好かれ「たい」、
愛され「たい」、
認められ「たい」、
褒められ「たい」
と言った「たい」の我的欲求願望(意識)と受動的な意識があります。
この総ては期待・欲求・願望・要求・欲望と言った自己欲に因ると考えられます。

こういった意識(思考)を持たないよう心掛け、自発的で能動的な好きになる、
愛する、認める、褒める、自他の良いところを自らが積極的に見付け出す、
そして言葉や態度での表現の活動をすることで豊かな人間関係を育めます。

積極的に、【一体・連帯・安泰・態度・状態・応対・大切・連隊・忍耐・歓待・土台】
の文言を意識するようにすると良い人間関係を築け、色々な道が広がります。
そして、論語にある【・義・・智・信】の文言を理解認識しておくと良いでしょう。

まず、「」と「」について考えてみます。
私達の住む社会は 、人間関係の『礎』ともいえる「認める」こと
即ち「承認・信認」を表す「感謝」や『』の心の表現伝達が
疎かになりつつあると感じられることを様々な処で味わい、見聞きします。

例えば、
何らかの形で他人を動かしお世話に成ったり、ビジネスや普段の生活において
見知らぬ他人との縁や繋がりに何らかの御尽力を頂いた人に対し、
人として自利や感情を抜きにして示し、伝えなければならない心身の活動が
感謝」でありそれは『』を以って成すことであると思われます。

或いは、ビジネスや私生活で挨拶したりやメールを送ったりした時、
返事ひとつで発信した人の活動の仕方が決まったりするのに、
返事もしない、メールもKS(既読スルー)したり、無視したり何の返事もしない。
その結果として自分も相手もネガティブな思いをしたり、ビジネスに繋がらない。
こういったことが平気で行われていることを時々体験し見聞きします。

人として大切な「」=相手への思いやり、「」があって生かされる「礼」、
有難い、お陰様ま「感謝」の心の表現伝達について気してみます。

[感謝]と「愛]の対義語

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 共に、認める心や活動の有無が礎です。

また、会話時に目上の方や上司との会話で、腕組みや足組みをして聞いていたり、
目上の方への承諾を「了解しました」と返事をしたり、
目上の人や教えを受ける人に「参考にします」と平気で話したり
喪中なのに「新年おめでとうございます」と言った言葉を平気で使ったり、
金銭の授受の有無に関わらず教えて貰うだけでその後の経過を返さなかったり、
先人への節度の無いタメ語や無礼な態度をしたり、
こんなことをする社会人が増えていると思われます。

即ち、礼を利己的に捉え、『礼』を尽くさずとも生きて行けると安易に考える人が多いと思います。
誠に残念ながら、現実の生活、国や地方の行政機関での行為を取りざたされているように
自己顕示、利己、保身、自己都合といったことが大手を振ってまかり通る社会になりつつあります

このことを少なくするには次のようなステージで思考行動する癖を付けることだと思われます。
◆一人称~三人称の「Stage」&「Eye」
人称別ステージ05
自心も他人にも嘘偽りのない
自らの本当の姿を知るために、
自分を一番理解し愛せるのは自分だけだと自覚し
「自分と向き合う」活動をする際、
その時の様々な視点の一例を記してみます。

皆さんは、人(=仲間)や物、物事・事象=自社(自店舖・商品)を
どのステージの目線で見てどのステージに立って捉え、
どのステージ立って思考(想像)し、夫々をどのように認識し、
そして、どのような言葉や態度に表現しますか?

そして、思いやりはどのステージでどう捉えることを言うのでしょうか?

※以下、『仁と礼』の大切さについて以下、学びメモと論語から記します。
新渡戸稲造氏は、その著『武士道』で、
「礼は寛容にして慈悲あり、は妬まず、礼は誇らず、驕らず、
 非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を思わず」

江戸中期の儒学者太宰春台氏は、
「仁は目で見え難いが、義は行動となり、礼は形となって表れ目に見える。
 従って、礼を厳しく躾ければ、その過程でなぜそうすべきか解り、
 悪い心を持った人間でもその行儀作法と共に、心も自ずから正しくなっていく」
とそれぞれ著書のなかで記しております。

「礼」は、
「仁」によって育まれた気持ちを形とする。
「仁」のみであってはいけませんし、「仁」なくして『礼』はあり得ないということです。

即ち「礼」は「仁」を具体的な行動として表したものです。

元々は宗教儀礼のタブーや伝統的な習慣・制度を意味し、
後に、人間社会の上下関係で守るべきことを意味する。
また、武道の基本とされる
『礼に始まり礼に終わる』も多く知られています。

孔子の論語の中にある以下の語に「礼」の心が窺い知れます。
『礼を学ばざれば、以って立つことなし。』[季子第十六]
『礼を知らざれば、以って立つことなし。』[尭曰第二十]

※[原文の意味・解釈]
 孔子は長男の伯魚に、庭先で「礼」を学ぶことを強くすすめた。
 「礼」を知らないと、人格形成が出来ず、人間関係が上手くいかないからだ。
 伯魚の告白によれば、直接の父である孔子から教えを受けたのは、
 庭先で会って「詩(学問)の勉強」と「礼の勉強」を薦められた。
 この二つだけだったと言っている。
 さしずめ現在ならば「庭先での教え」は家庭で親が子に教える「躾教育」と言ったことです。

 また、孔子は「礼儀作法」を重んじた。
 「礼」を知らない「無礼者」になるなと。
 「礼」とは「礼儀作法」のこと。

 今流に言うと「礼儀」は「マナー」と「モラル(倫理・道徳)」、
 「作法」は、「ルール」「規律・規則」と言うことでしょう。

※礼(れい)とは、さまざまな行事の中で規定されている
動作や言行、服装や道具などの総称。
 春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が付与され、
 人間関係を円滑にすすめ社会秩序を維持するための
 道徳的な規範をも意味するようになった。

 礼に始まり礼に終わる 武道の基本。
  この言葉の初出1907年7月『武徳誌』
 に内藤高治が発表した論文「剣道初歩」。
 
*熟語 -礼記・礼拝・礼儀・礼装・礼服

字源
禮の古い時代から用いられている略体「礼」より。
「禮」は、「示」+音符「豊」の会意形声文字。
「豊」は「豆」に形よく供え物をならべた様。
形よく整えられた祭礼を意味。

意義
1.形よく整えられた行儀作法。儒教の徳目のひとつ。
2.形よく整えられた儀式。 婚礼、祭礼
3.社会習慣、慣習。
4.相手を尊重する取り扱いや挨拶。
礼遇、敬礼「礼」の漢字の成り立ち・由来 形声文字です。

※漢字の成り立ち事典より「礼」を学びました。
まず以前に学んだ「しめすへん」です
神様へのお供えをのせた台をかたどって出来た文字でした。
「豊」の文字と合わせて収穫の感謝を表した
「禮」の文字がありました。

「礼」は神への感謝の気持ちで「禮」は
五穀豊穣への感謝を示す文字として使い分けられました。
今では「禮」は略され「礼」の漢字で統一されました。
私見ですが豊かな心と解します。


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