#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎) 『道徳』ってどんなこと?(3)

#おもてなし は「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎)

人を心から想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは「おもてなし」の『心』です。
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当ブログに御訪問戴き、誠に有り難うございます。

この心の礎に載せてある「人の心」や「対人関係」の記事は壮年に至るまで先々のことや人の心や思いを意識せず、
目の前の「楽」やその時の感情・我欲を自制出来ず、刹那に生きてしまった、と自省のキッカケとなった壮年後の
学びから気付かされた他人への「想像力や心に関わる心」の在り方、持ち方などを過去の実体験に照らして知った
知識や智慧など,御覧戴く皆様の今後の社会生活や仕事上で僅かでも役立てて頂けたらと考えて載せております。
ですから書いている私が記事内容の総てが出来るのではなく甘く見ても2~3割程度しか生かして使えません。
思いやりや礼節・感謝・誠実などの心に関する項目は「対人関係」上の参考資料として使って戴けると幸いです。

私的利用外の文章・写真のコピーや転載は御遠慮下さい。教材や営利を目的とした無断引用転載は禁止です。
尚使われる場合は記事の右横、Categoryの上にある「問合せMail」にてお名前・連絡先・目的をお知らせ下さい。

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道徳を紐解く(3)

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

道徳虹1小3

「正しい」と言うこと

個々人の「道徳」と「正しい」と言う意識と選択活動は切り離せません。
また、躾・ルール・マナー・倫理・コンプライアンスも夫々は関り合ってしています。
それは個人の生い立ち、生活環境、性別年齢、し事や立場などに影響されます。
どんな境遇や立場であっても変わらないことは人として正しいか?と言うことです。

〇正しい思考と判断

一般社会では『正しい』と判断する個人的思考の基準は
夫々の人により『正しいと考え、思うことは異なる』
ということが前提とされ時代の進化と共に様変わりしています。

また、その判断基準は年齢差などによって
感性が大きく変化し、人として成すべきことを
『当たり前で正しこと』と考えて伝えると、
受け止める人により「見返りを望み求める」とか
「押し付けがましい」、「今の時代に合わない」
と言われることも多々あると思われます。

しかし、このように言われて簡単に妥協してしまって良いのでしょうか?
私見ですが、どんなに時代が移り変わろうとも、
人である以上その『心』は不変だと考えます。

日本国内では、様々な自然災害震が頻繁に起こり、、
自分の為より、誰かの為に」というような思いやり利他の心
人と人との繋がり方、婚活や様々な省エネ(エコ)への取組などにも
表れているように、『正しい』(≒当たり前)と思っている心の持ち方や
判断基準に様々な変化が見られます。

このことは、人々が人の心の原点に立ち返ることに気付き、
今迄自分自身が「正しい」(≒当たり前)ことと考えていたこと、
判断してきたことを見直した証でもあると思います。
この、正しい思考と判断基準は次の稲盛和夫氏語録にあるように捉えることです。

以下【稲盛和夫氏語録】より引用

思考と判断は、その原理原則を弁え、公正、公平の元に、
先ず、人として何が正しいのかを考え判断することです
自分はいつも判断を間違えてしまうと言う人は、
謙虚に自らの持つ弱い判断力では、
仕事に必要とされる判断が充分に出来ないと自覚して
「正しく判断が出来る人に謙虚に助けを求め、サポートして貰う」
と言う自らの気付きも大切です。
引用終り

前記した「徳」の意味する「直き心」は、
『論語』の子罕(しかん)」に記されてあり、
「意なく、必なく、固なく、我なし」を踏まえた
誠実で素直な心のことを指す。 

「意」は、思い込み。
「必」は、無理押し。
「固」は、固執。
「我」は、我儘。

「勝手な心を持たず、無理押しをせず、執着をせず、我を張らない」
という柔軟な思考と客観性を保ち「直き心」を行い続けて「徳」を積んだ人を人徳者、
或は有徳者と言い、私見でその人の固有の持つ「人徳」、
その仁の心である「仁徳」と解します。 
「直き心」は、真理を愛する心で、直は「すなお」の意であり、
正直・実直・率直・撲直などの熟語、
直往邁進(ちょくおうまいしん)して「義」の為に、
「勇」を奮うのも直とされています。

※【直往邁進】・・・学びのメモより転載

ためらわず真っ直ぐに進んで行くこと。
従って邪なこと、卑怯なこと、緩慢なこと、優柔不断なことを嫌う。
心が直くで、正しいものは、言うことに嘘偽りがない誠実さに当たると解します。

元来、嘘と言うのは、自分の悪事を隠すためか、体裁を飾るためか、
或いは不当の利益を得るためなどに、その方便として言うもので、
一時はそれで通れることがあっても、決して何時までばれないものではありません。

また、一度嘘を言えば、それを隠すために第二の嘘をつき、
第三、第四、第五と際限なく嘘を言うようになってしまい、
人々から相手にされなくなり、その結果周りの人々から見放されて孤立したり、
いじめに走ったり、或は人としてあるまじき様々の犯罪の起因になったり、
自分が嫌になり世間から離れたり、孤立したりするようになり、
大切な命を自ら断つ自殺に追い込むはめにもなり兼ねません。

「人として成してはならない過ちやいかなる悪事も嘘から始まる」
と言われる様に、そのようなことをする人の元をただせば
嘘をつく習慣が身に付いてしまったことによると考えられます。
我達は、自分の都合などで些細なことでも

決して嘘を言わぬよう心掛けたいものです。

古より「嘘も方便」と言われている、相手を思いやってつく嘘は、
「表裏一体」即ち裏表のない心で、表向きは嘘という形であっても、
その裏側に相手への慈しみや思いやりが隠されている言い回し「仁徳」と解します。
但し、自利、利己とも言える、保身のためにその場凌ぎや言い訳でつく嘘は、
「嘘は方便」でなく「嘘は自分や他者からの逃避」と捉えて良いのではないでしょうか。

以下、『道徳』ってどんなこと?(4)に続く


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