おもてなしは「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎) 『道徳』ってどんなこと?(11)-信

おもてなしは「心の礎」 (旧・接客マナーは心の礎)

人を心から想い、思う気持ち“思いやり”は【心の礎】です。それは「おもてなし」の『心』です。
2016・6


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「信」を紐解く(1)

お薦め度【★★★★】全業種、業態用

道徳虹1小-11

【信】・・・・・学びのメモより一部記載
「信」の字を、「人の心と口」「人と言葉」と解し、発信すると解します。

今の個中心の世の中に欠けている人が多くなりつつあることであり、
それは、人や行為を【認める】ことと深く繋がっていとも考えられます。
また、友人、知人、親や兄弟といった全ての人間関係における心の在り方。

当たり前に感じている関係こそどこかで見つめ直す必要があると思います。
友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。

五常の徳に、【信】の解釈として『人を信じるに素直にあれ』とあります。 
これは、「言明を遵守し、約束を守ること」を表しています
私自身、「五常の徳」の中で、実生活で直ぐに生かせることだと思います。
伊達政宗「五常訓」には『信を過ぎれば損をする』とあります。

また古典に、孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し
前漢の董仲舒は五行説に基いて「信」を加えた。
仁は同情心、義は正義感、礼は社会的節度、
智は道徳的分別に信を加えて五常となる、とあります。

〇「信用」と「信頼

信用」の言葉は文字通り、「信じて用いる」ことを言います。
信用」する為には、
信じる為に必要だと思われる幾つかの客観的根拠の有無、
信じるに値すると判断できる対象の人との実際の体験、
また自らの体験や知識から明らかであると判断出来るもの
(自らが保有する現時点の常識や当たり前)
これらの条件が備わったことに対して信じることを
信用できる>ことであると言えるのではないかとも考えます。

この「信じる」ことの積み重ねによって他者から得られる『信頼』は
「信じる」ことよりも、はるかに難しいことであると体験しています。
信頼とは疑う余地が無く、信頼した結果が得られなくても
その責任を自分自身に求めることが出来る状態を言います。

言葉通り、『信頼』は【信じることを頼る】わけですから、
その対象となる人が信じるに足りる様々な根拠や裏付けが無ければ、
その人を信じることも、頼ることも出来ません。
場合によっては相手を信頼するために、
相手を徹底的に疑ってかかる場合も多々あります。

さて此処で、信頼ということを考えてみることにします。
信頼の基礎となるのは、その対象となる相手を「信じる」と言う意識です。
「信じる」の語彙は<自らが真実と思うこと。信仰すること。>と言う意味があります。
それは、事実や現実を捉える「真実」ではなく、自らが「真実と思う」ことです。
当然ながら、他人の意見は関係がなく、明確な裏づけや根拠を探る必要もありません。

人が人を信じると言うことは、ある意味でその人、「本人の心」と言えます。
信じると言うことは、その本人が今迄に培ってきた知識、
現在まで生きてきた体験、また、その人の持つ独自の感性や個性から判断を下すことです。
即ち、「自らが得心出来ること。疑っていない」
ことを真実と思う意識が【信じている】ことなのです。
人は同じことをしても、信頼の有無、相手との関係かによって、
物事や結果についての受け止め方、見方は変化します。

別な見方で考えてみますと、
相手に対し「信頼関係を作ろう」と意識したり、目論んだりして作る
「信頼」は、見返りを望んだり、求めたりしていることで「信頼」とは言えません。
また、「信頼」は「信じて頼る」ことの以前に、相手が心から喜んでくれ、
温かな気持ちを持って貰うことも前提の一つとも考えられます。

即ち、信頼は、双方の心の中において、
「一方的で無条件に信用していること」
「受け入れていること」(≒受容し理解認識する)
「依存するところに根ざしていること」
「認め、許していること」であり、
それは時により、双方が噛み合ったり、噛み合わなかったりし、
互いの心の領域からはみ出すこともあります。
また、互いが我慢や自制、コントロールすることもあり、時に節度も必要であり、
喩え自分の心(意識)や判断や決断と異なることでも認め、許せること、
であるとも考えられます。

※【信じる】の同議語
・真実として受け取る
・何かを確信する
・真実の保証のある
・何かの善良さに関し堅固な信念がある
・信条に従う


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