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恥の躾か?罪の躾か?

現在のモラル

社会やI.Т.の進歩と共に現代人の夫々の
常識やモラルの意識も大きく様変わりしています。
そのモラルの基礎になるものの一つがです。
親のに関する考え方も様々のようです。

子供の先々のことを考え「礼儀作法」は
皆さんなりの環で教え、学ばせているようです。
(これにも格差が関係する場合もあります)

現在、人としての心が感じられない犯が多発しています。
日本人のに関する考え方も時流に合わせて思考し
変化させていく時期に来ているのではないでしょうか。


躾とモラル意識

心を持つ人は夫々の当たり前の基準常識力
モラルは、貧富の差、育った環境、生活状況、立場、年齢や体験のより差が出ます。
その中でも、その人の育った環境と体験や年齢による差異は顕著に表れます。
厳しい躾をされて育てられた人、甘やかされ自由奔放に育った人でも差異が生まれます。

特に「」は、子供の頃からの親の考え方、教育の取組み方や生まれ育った生活環境に
大きく左右される場合が大変多いのでないかと思われます。

当然ながらベテラン社員と新入社員との常識力は異なりますし、
20代の若者と40~50代の人間では常識力が異なるのは当たり前のことです。

「躾」の根本は、社会の為に働く人間としての
誇りの自覚と認識と周りの人々への思いやりを現す形です。

一般社会人の「躾」と「モラルの修得は、
人として社会人としての様々な決まりを

「学習化」⇒「習熟化」⇒「習慣化」⇒「習性化」
のプロセスから成立つこと認識し、それを実施することです。

また、挨拶力も捉え方によっては「常識力」に含まれると思われます。

社会には、様々な常識力とその基準がありますが、
その基礎となる「躾」「モラル」について考えてみます。

さて、20世紀末頃迄は、日本人は人の目人種と言われ
子供は親や肉親から、人様に対する「」を柱に

「そんなことをすると人(誰々さん)に笑われますよ」
「我が家のになるようなことは止めなさい」
「みっともないから、やめなさい(してはいけません)」

と言ったように人の目や思惑を意識した躾で育てられて来ました。

これに対し、欧米の子供の躾はキリスト教の教え「善悪」を前提にし
「それは悪いことだからしてはいけません」
「人に迷惑をかけると罰せられます」
「それは、良いことだからしなさい」

と言う風に躾られて育つと聞き及んでいます。

要約すると20世紀末頃迄の日本は「の躾」、
欧米は、「の躾」であると言えると考えられます。

私見ながら21世紀に入ってからは、自らが積極的に他者を認めず、
認めて欲しい、認められたいと言う人、個人の利益・保身、安心安全を優先する
「保身?の躾」になっているように思えます。

従って、個を主に捉え、自己顕示や自分さえ良ければと言う考え方、
褒められてぬくぬくと育てられた結果、打たれ弱くキレ易い体質になり、
人としての常識力を軽んじ、モラルを低下させる結果になっているのではないでしょうか。

社会の中枢を担う人や人を指導教育する立場の人に、
古より日本人が大切にして来た人の心の礎とも言える「義」や「礼」、
モラルに乏しい人達が多くなってしまったように受け止められます。

また、私達日本人は、自分の家の物は、よく気をつけて大切に使い、清潔に保ちます。
しかし、海外で公の乗り物の中や施設を汚すのは日本人が多いと言われています。

数年前にあったヨーロッパの有名な遺跡に、日本人の若者の心ない落書きがされていたり、
公共のトイレを汚したまましにしたりする事例が実在しているのが現状です。

私達は、日本人の原点である「義・礼」を省み、
その大切さを再認識する必要があるのではないでしょうか。



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    Theme: 対人コミュニケーション | Genre: ビジネス

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