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当サイトには、実体験と晩年の学びで得た「おもてなし接客&生き方の知恵」が載ってます。

※各投稿へのコメントは「日本語」でお願いします。


自分と向き合う(指差す)

自分自身を知り、認める!

認める勇気

自分と「向き合う」ためには、先ず自分自身と真摯に向き合い、
有の侭の姿と自分がまだ気付かない未知の自分を知る、
そしてその自分自身を素直に受容れそして認めることです。
その為に先ず、自分の強み弱みと真摯に「向き合う」ことから始め、
他人とは、お互いが人として「認め合い」、本気で真剣に相手と「向き合う」ことです。

人は素直に自分自身を受け入れることが苦手とし、
己の心に向き会い、自らの本当の姿を知ったり、
認めたりすることをせず、安易に自分を認めてくれ受け入れてくれる
他人との触合いや交わりを求める(他人と向き合う)ようになりがちです。

その結果として、即、他人との繋がりに結び付く、
即ちコミュニケーションスキルを磨くことに目が行くようになり、
自分自身を知り、認めることが後回しになってしまいます。

己をよく知り、理解せずそのようなスキルを磨いても、所詮「人形作って魂入れず」、
即ち、外見だけの付け焼刃になってしまいます。
先ず、自分を理解した上で、自分の能力に見合った知識やスキルを身に付ければ、
それは、その人の「」として身に付きます。


【内省】 深く自己を省みること、反省、冷静に自己を内省する。内省的。内観。

「因果応報」≒「自業自得」

因果応報

私は現在に至る迄、波乱万丈な人生を生き、
この二つの言葉に、身にせまされることがあります。
せめて、利他の心を以って僅かでも己の過去の罪滅ぼし、
今迄無事に生かされ、生きて来られた世の人への恩返しを
出来る限りして行かなければならないと思う今日この頃です。
その一つとして、誰もが知っていることで「心の礎」となるであろう
様々な人としての「心の基礎体力」(≒心の基礎知識)や「対人関係上」て必要と
考えられることについて体験と学び得たことを此処に載せております。

その中には、当然だ、当たり前だということがあるかと思います。
でも、人の原点に戻って謙虚に「学びは、人の為ならず
と自らを省み学び知ることも様々な情報が溢れ過ぎ、
それが物凄く速い現在の社会では必要とされると思います。

対外の対人関係力ばかりに眼が向けられる今の御時勢です。
そのような時代だからこそ人としての「心の礎」、
即ち、人の心の原点となる「心の基礎体力」を
一人ひとりが確りと身に修める必要があると思います。
僅かでも、そのお手伝いが出来たらと考えています。

以下、仏教の教えより引用

釈迦様は「因果」の法を説かれます。
「因果」とは、「原因」とその「結果」という意味です。

自業自得とは、自分の行い(業)の結果を
自分が受けなければならない自得と言うことです。
日本の昔話に、善いことをすれば善い結果悪いことをすれば
悪い結果が現れる、自分の幸せ、不幸せの運命の原因は、
自分の行い依るという因果応報、自業自得の教えがあります。

前の東北大震災では、レストランを飛び出た客が、
後で、お金を払いに来たとか、店員のいないコンビニの商品を
レジにお金を置いて持って行ったという日本人の行動が
海外では奇跡的に報じられています。

その根底には、誰が見ていようが見ていまいが自分のやった行いの結果は、
自分に返ってくるという仏教の、因果応報・自業自得の教えが根付いているからと言えるでしょう。

善いも悪いも因果の種は播(ま)けば芽を出すいつの日か』という川柳がありますが、
良い種をまけば良い実がなり、悪い種をまけば悪い実が必ずなるということです。
つまり、総ての現象には必ず「因」という種があり、
必ず「果」という「結果」が現れるということです。
ところが、この「果」はすぐに現れるものと、ずっと後で現れるものがあります。

例えば良い種をまいたとしましょう。
その結果良い実はなりますが、すぐになった実は非常に小さい。
小さい実はすぐ食べてしまい、もっと欲しくなります。
ところが、忘れた頃にやってきた良い実は
非常に大きく一口では到底食べ切れません。
何故こんな良い事が起こるのだろうと
考えてみても解らないぐらいその実は大きいのです。

しかしながら、逆に悪い種をまいたとしましょう。
すぐに「ごめん」・「すいませんでした」と謝れば
その実は小さく、すぐに許してもらえるでしょう。
ところが、黙っておれば解らないと錯覚し、
そのまま黙って放っておれば、その悪い実はだんだんと大きくなり、
気がつけば、手が後ろに回ってしまい、
犯罪者になっている自分がそこにあります。
今の時代、格差社会と言われ個人差が大きい社会です。
何が「善因善果」「悪因悪果」と思うことが多々あります。

お釈迦様は、そんな凡人の姿はとっくにお見通し、
善を施すに、その報いを求めてはならない
と厳しく戒められておられます。

良い行いをするのが当たり前
悪い行いをすれば、罰を受けるのも当たり前

「悪いことをしても、罪に問われないのであれば、良いことをするだけ損だ」
と反論する人がいるかもしれませんが、その人は非常に不幸な方です。
仏教の因果応報の教えは、
善因善果」「悪因悪果」だと考えることです。
良い行いをすれば心が楽になり、欲の海から救われ、喩え貧しくとも、
今の瞬間をありがたい、お陰様でと生きている人なのです。

自分だけがいくら金銀財宝に埋もれて生活し、
或は、これだけ相手に楽しい・良い思いをさせたのだから、
きっと自分には未曾有の財が転がり込んで来るだろうと思い込んで、
来もしない貪欲にどっぷりと浸かっている人。
その結果がどうなるかは皆さんも想像がつくことでしょう。

皆様お釈迦様の説かれております「因果応報」を
是非とも正しくご理解して頂きたいのです。 
【以上仏教の教えより引用終り】

因果応報」と「自業自得」この二つの四文字熟語は、まさしく己の行いを指差す言葉です。


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Theme: 心の持ち方 | Genre: 心と身体

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