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コロナウイルスに立ち向かう日本人
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「おもてなし」と茶道

茶の湯(茶道)と「おもてなし」

茶道とおもてなし

日本独自の文化である「おもてなし」は、平安、室町時代に発祥した茶の湯から始まったと言われ、
客や大切な人への気遣いや心配りをする心が築かれた世界に誇れる日本だけの文化です。
同時に、日本の文化おもてなしの<原点>は、茶の湯であると古より言われています。
また、おもてなしやホスピタリティは、触合い接する人と同等の立場で行われるのも特徴です。

茶の湯と言われる茶道は、接する人を慈しみ、
その人を思い遣る心を表すことを旨としています。
そして茶の湯は、
「一服の茶を相対する客に対し、心から作り、それを差し上げる。」
ただそれだけのことであり、その行為を含んだ全ての物事です。

その行為の裏には、
表面上だけの仕草や言葉を無にし、相手を敬い、思いやる心があります。
お茶を差上げる相手に対し、表面に出さない相手(表無し)を
思い遣る心は、日本人が”地味(質素)”を愛する一面があることを表現している語句、
侘び寂びの心」から来ていると考えられます。

侘び寂び日本

侘び寂び」この言葉を適切に解説するのは
あまりにも奥が深いことですので解る範囲で記します。

「侘び寂びの心」は本来日本人ならば、
必ず持ち合わせている精神ではないかと思います。
そして、それは教えられて知るものではなく、感じ、
身体と心に覚えながら身に着けていくものだと考えます。

日本人は世界的に見ても「地味」を愛する一面を持っていのではないかと考えます。
この地味を愛することを究極まで突き詰めたて形にしたものが茶道であると考えます。
侘び寂び」の言葉は、本来「地味」を表す語句です。
そして、ただ地味な面ばかりではなく、必要とされない精神やものを一切削ぎ落とした完璧なまでの
質素さシンプルさを備え持ち、物事の有りの侭の自然な姿を求め、自然環境を愛する心です。

自らが、今生かされ、生きて在ることに感謝し、清らかな美しい心を備え、
時代の移り変わりを全身で感じながら受け止める姿勢を持ち、
どんな人でも持っている煩悩(虚飾)を一切捨てる去ることで残る慎ましやかな心、

それが、「侘び寂び」ではないかと私は考えます。

この「侘び」とは、慎み深く奢らぬことであり、
「寂び」は、禅の師清巌和尚の言葉を引用すると、
「茶の湯をする人は、大名なら大名らしく、金持ちは金持ちらしく、世捨て人は世捨て人らしく、
夫々の置かれた環境に応じてするのが一番だ。」
と言うことです。
そしてこのことは、自慢するのは、とてもみっともない行為であるが、
だからと言って余り遜ることも不自然だと言うことも意味するのです。

侘び寂び」とは、謙虚さを大事にし、己の存在感を失わないようにすることであると考えます。
日本のおもてなしに、この「侘び寂び」の精神は不可欠なことであり、とても大切なことです。

また、日本のおもてなしは、風情とも言われる「余韻」にも重きを置いているのです。
一方で日本人の「おもてなしの心」の基盤には、誰に対しても自然に親切にする意識があります。
この意識は、日本人の特性とも言える「恥の意識」、
人の目」(思惑)を気にすると言った独自の気質から生じることかも知れません。

そして、日本人は、とても几帳面で相手を思い遣る優しい心を持ち
人に不快感を与えない程度の距離を保ちつつ
良い人間関係を作ることを常に心情にしている国民性があります。
このような様々なことが日本の文化である「おもてなし」の『礎』になっていると考えます。

同時に、一期一会の心である、其の時、其の場において、其処に会した人々が
二度と会うことの無いであろう出会いの機会として、其の一瞬大切にし、出会った相手を敬い、
思い遣りの心で触合い、接することも
「おもてなし」に欠かせない大切なことです。

一方、「おもてなし」は、触合う相手と互いが思い遣りの心を持ち、
互いの心が通い合う関係が『』になるとも考えることが出来ます。

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Theme: 対人コミュニケーション | Genre: ビジネス

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