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一期一会のおもてなし

一期一会は、「義」と「仁」を以って

日本ブランド「おもてなし」一期一会

皆さん御存知の通り、「一期一会」は、茶道の教えであり日本人の心です。
人と人との出会い、語らいは一度限りの大切なもの
(≒諸行無常)といった意味で使われている言葉です。
その心は普段の生活や大切な人とのお付き合いにも決して忘れてはなりません。
同時に、この心は、『大切な人の大切を大切にする』ことにも当て嵌まります。
即ち、『大切な人と過ごす、 大切なこのひと時を、 精一杯大切にする心』です。

一期一会の「一期」とは一生を意味し、
「一会」とは唯一度の出会い(出逢い)という意味です。
ですから、大切な出会いのその瞬間を
一生(一所)懸命に、誠心誠意の心を以って接することにより、
心から満足感や幸福感を味わって頂こうとする考え方が生まれます。 
この考え方が日本独特の慎ましく控えめで、決め細やかさ、
優しさ、親切さ、さり気ない気遣いと伝統文化が
融合して作り出されたものが「日本のおもてなし文化」なのです。

この一期一会の心の表現は、触合う相手から察知されることなく
何気ない心配りのある言葉や自然な気遣いの仕草に表してこそ、
生かされると言うことを確りと自覚認識しておくことです。

海外でクールジャパンと称され、憧れとされている「日本のおもてなし文化」がありますが、
残念なことに最近の日本では、本来の日本人らしさが
薄れつつあると思われる節が多々見られます。
それは海外の様々な情報に振り回され過ぎて、
自己顕示や利己の意識が高くなり、この慎ましく、
さり気ない控えめな日本人の素晴らしさが薄れている
と思われることに表れていると感じます。
その表れとして、人を正しく導き提案する大切な立場である
コンサルタントやインストラクターの方々の文書や情報ツールに、
自分が話したことに涙した、感動させた、企業や心を成長させたなどと
必要以上に書かれていることにも出ていると感じます。
このような自分言行を自ら言い表すことは、
本来他者が評し、表現することないかと考えます。

本来一期一会は、日本人ならではの「利他の心」
を以って成すべきことであると思います。
さて、この一期一会について別の角度から紐解いてみようと思います。

「一期」はその際に必要とされる人としての「義務」≒「義」

「一会」はその人の歩んできた「道程」の結果であると共に相手に対する
「思い遣り」≒「仁」であると考えます。

「義務」≒「義」は、人としての義務即ち、挨拶は相手、
対面非対面に関係なくにされたら必ず返す、
メールや電話での問い掛けや頼まれごとは曖昧にせず、
ハッキリと応えるべき答(特に断る場合)を
出来るだけ時間を置かずに伝える、頂いた物が喩え邪魔であっても
相手の好意やお世話の気持ちが感じられる時は損得に関係なく
」を伝え、場合によってはそれに見合う適切なものを判断して
お返えしをするなどと言ったことです。
この活動は人として果たすべき義務、ろであり
安心感、信頼、感謝のキャッチボールです


「思い遣り」≒「仁」は、博愛の精神を表わし伝えること、
即ち見ず知らず他者に対する意識であり、
中でも大切な人に対する「思い遣り」
言い換えるなら親愛の情、優しさであると思います。
また、人としての義理でもあると考えます。
それは物事の正しい道筋。人間の踏み行うべき正道とも言われ、
物事の道理であり、対人関係や社会関係の中で、
守るべき道理として意識されたものです。これを道義とも言います。

日常生活にこの「一期一会」を当て嵌めてみますと、
大切な人や知人友人、或はお客様や個人をお迎え、
接し、応対すること自体が偶然ではなく、必然であると捉えられます。
何故必然かと言いますと、佳きにつけ悪しきにつけ見知らぬ人との出合いは、
その人の歩んできた人生の道程から生じるからです。
現在に至るまで己の心に正直に真直ぐな生き方をして来た人、
そぐわない生き方をしてきた人、夫々の生き方の道程に合った
出会いがあり、その人が試めされる出逢いもあります。

一期一会は、個人は元よりこれからの日本の為にも、
個々人が幸せで豊かな日々の生活を得るためにも、
「義」である「義務」、「仁」である「思いやる心」とそれを体現する
「礼」の紳士化の活動を以って表現伝達することをお薦めします


義務(以下出典不明・我学びメモより)
 従うべきとされることを意味する。
 然るべき約束事を認識する。
 (以下出典、世界大百科事典第2版より)
 特定の個別的な行為や一般的な行為を行うべきであるとして人に課し、人を拘束する、習俗、
 法律、とくに道徳の規範を言う・

※「」 
 『現代国語辞典』では「道理、条理、人間の行うべき筋道」。
 『大辞林』では「人のおこないが道徳・倫理にかなっていること」。
 (以下出典不明・我学びメモより)
 五常(仁・義・礼・智・信)のひとつ。正しい行いを守ること。決断力。
 同時に「打算や損得から離れた」との意味が含まれ、人の欲望を追求する「利」と対立する概念。
 人間の根源的なエネルギーとされる欲望を制御しなければなし得ない。
 孔子の『論語』に、「義を見てせざるは、勇なきなり」と書かれています。
 (人の道として当然行うべき事と知りながら、これを実行しないのは勇気がないということである)
 武士道で「義」とは、打算や損得のない人間としての正しい道、即ち正義を指すもの。
 「義」から派生した言葉に大義・道義・節義・忠義・仁義・信義・恩義・律義、義理・義務などがある。
 武士はこの武士道精神の中心に据え、これを踏み外した者は卑怯者として糾弾の対象とした。

※「」(以下出典不明・我学びメモより)
 孔子がその中心にすえた倫理規定、人間関係の基本。
 他人に対する親愛の情、優しさを意味する。
 医療は仁術。医療は人を活かす心なり。
 仁術は仁愛の心を元とし、人を救うを以て志とする。
 我身の利養を専ら志してならない。

(参考)
 孟子は、「仁は人の心であり、義は人の道である。その人の道を捨てて顧みず、
 その心を見失って探そうとしないのはなんとも悲しむべきことか。
 人は鶏や犬を見失っても探し出す方法を知っている。
 しかし、心を失えばその探し方が判らないのだ」と述べている。

※礼
仁によって育まれた気持ちを礼に依って形とする。
仁のみであってはいけませんし、
仁なくして礼はあり得ないという事です。
即ち、「仁」を具体的な行動として、表したもの。
現代的な意味での礼(禮)は、表面上の敬意・うやうやしさ・
感謝や規律・言行動作ばかりが強調されていますが、
そのような規定されたものは形式であって本質ではありません。
礼(禮)の本質は、「素行自得」であり、自己自身を表すものあり、
今その時に心から自然と溢れ出るところのものを尽すことです。
拠って、所作の形に「心」が宿さない限り無意味になってしまいます。
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